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288引っ越しの紅茶事件02

 教頭は2人を連れて本校舎へと去っていった。その後ろ姿を見送ってから、紅茶愛好会の男子生徒が俺たちに振り返る。


「僕は久地修太郎(くじ・しゅうたろう)。紅茶愛好会の副会長を務める、3年1組の者だ」


 久地先輩はオールバックに固めた髪で、一本ほつれ毛を額に垂らしている。剣道の武具を身に着けたらさぞかし似合うことだろう。男前だが近眼らしく、その瞳は紫がかっていて、コンタクトレンズを使用しているとはっきり分かった。


「悪いが部室は諦めてもらおう。君たちに3年生はいないようだし、ここは僕や釜田会長、海藤を引き立てて譲るべきだ。君たちには来年があるが、僕たちには最後の一年なのだからな」


 英二がその理屈を打破した。


「では来年になったら部室を譲っていただけるとでも? そんな権力はないでしょうに」


 真菜が追い撃ちする。


「5人中3人が3年生なら、来年には会員は2人に減るってことですです。ねえ新橋芳実(しんばし・よしみ)さん、もう一人は2年生のお知り合いですですか?」


 緑がかったショートボブの女生徒が答えた。お饅頭のような丸顔で、日本人形然とした白い肌とくっきりした目鼻立ちをしている。少しぽっちゃり気味だ。


うてな、違うよ。こっちは遠藤涼香(えんどう・すずか)。1年2組さ」


 どうやら真菜と新橋は顔見知りらしい。朱里が爪をいじりながら口を挟んだ。


「涼香は紅茶なんて興味ないだろ。オレと同じクラスだけど、久地久地うるさいったらありゃしない」


 涼香が慌てた。こちらは癖毛の茶髪をヘアピンで無理矢理まとめている、実に今風の女子高生だ。ささくれだった顔つきには特殊な美がある。


「馬鹿、朱里! その話はここでしないでよ!」


 久地が涼香に問いかける。


「何だ? 僕がどうかしたのか?」


「な、何でもありませんよ、先輩」


 ふむ、このバレバレの態度からして、どうやらこの涼香は久地先輩目当てで紅茶愛好会に入ったらしい。もっとも鈍感なのか、今に至っても久地先輩は気付いていないようだ。


 話はまた元に戻った。海藤先輩が俺を憎々(にくにく)しげに指差す。


「お前と桐木はいちいち目障りなんだよ。部室はあたしたちのもんだ。さっさと引き下がれ」


「そうはいかんでしょう。てか、3年で吹奏楽部だってのに、紅茶愛好会に入会するってのはどういう神経なんですか? 受験勉強とか吹奏楽コンクールとか、色々やることは山積みでしょうに」


 海藤先輩は鼻を鳴らした。


「山積みだからこそひと息入れたいんだよ。旧棟2階2年3組の教室で昼食を取りながら、会員が()れた美味い紅茶を飲むのは、精神的にも健康的にもよい効果があるんだ」


 芳実が真菜を拝む。


「なあ台、今回ばかりは譲ってくれ! 3年生の充足した活動や来年の新入会員獲得のためにも、専用の部室は必要なんだ。頼むよ」


「そう言われましてもですです……」


 久地先輩が攻め口を変えた。


「大体『探偵部』とはいっても四六時中事件を抱えているわけでもないだろう。事件がなければただのだべり部じゃないか。違うか?」


 俺も部員たちも押し黙った。まあそうなんだけどさ。


「ほら見ろ。その点紅茶愛好会はどうだ。世界各国の紅茶をたしなみ、その香りや色、味わいを堪能(たんのう)する。まさに紅茶で世界を旅するんだ。こんな優れた活動は他にあるまい。どうだ?」


 待ったをかけたのは英二だ。


「何をおっしゃってるんですか? 要は紅茶愛好会も、ただ紅茶を飲んでだべっているだけじゃないですか。校内や、時に校外の事件も解決している『探偵部』に比べたら、紅茶愛好会なんて誰の役にも立っていないでしょう」


 久地先輩が熱くなる。


「それは紅茶の素晴らしさを知らない人間のいいぐさだ。お前はまことの紅茶を喫したことがないからそんなことが言えるんだ。本物は美味いぞ。これが同じ紅茶かと驚くほどにな。可哀想な奴」


 これはやはり、英二に笑殺された。彼は三宮財閥の御曹司(おんぞうし)であり、それこそ味覚に関しては我々凡人の及ぶところではないのだ。


「ならおうかがいしますが、『探偵部』の紅茶淹れ筆頭・菅野結城の腕前にかなう人間が紅茶部にいらっしゃるんですか?」


 結城は突然名前を出されても平然としていた。久地先輩がまばたきを繰り返しているところへ、田浦教頭と純架、釜田先輩が戻ってくる。


 健太が話しかけた。


「それでどうだったんですか、先生」


「いやあ、担当教員の初歩的なミスだったよ。『探偵部』と紅茶愛好会の両方に、ついうっかり同じ部室――部室棟1階2号室を割り当ててしまったみたいだ。すまなかった」


 純架は肩をすくめ、戻し、すくめ、戻し、を繰り返す。


 何のトレーニングだ?


「こっちは10人、そっちは5人。釜田先輩、どうか諦めてくれませんか?」


 これに激怒したのは久地先輩だ。髪の毛が逆立つほどの憤慨を放射する。


「ふざけるな。せっかく1年生の遠藤という新入会員が来て5人となり、部室を持てる同好会として成立したんだ。さあこれからだってときに、その部室を奪われてなるものか。……田浦教頭」


 先生に顔をめぐらした。


「教師の凡ミスで弾かれるなんて冗談じゃありません。他に空いている部室、または使用されていない教室はないんですか?」


 田浦教頭は頬をかいた。


「残念ながら一つもないんだ。ここは桐木君の言うように、10対5だし、何とか耐えてくれないか?」


「無理ですよ!」


 久地先輩は怒声を放った。ここを先途(せんど)とまくし立てる。


「じゃあ紅茶で勝負させてください。うちの釜田会長とそちらの菅野、どちらがより美味しい紅茶を淹れられるかで競い合うんです。そして勝った方が部室を獲得できる。どうですか?」


 英二が腕を組んだまま大声で対抗した。


「おう、やってみてくださいよ! 絶対無理ですから!」


 俺は彼の肩を叩いた。


「落ち着けよ英二。相手は紅茶部だぞ、相当な腕前のはずだ。そんな危険な話は許容できない。なあ純架?」


「いいですよ」


 部長の即断即決に、俺は開いた口が塞がらなかった。


「おい純架! 正気か?」


「久地先輩、やるからには徹底的に戦いましょう。僕らを代表してくれるよね、菅野さん」


 結城はかしこまってお辞儀した。闘志むき出しだ。


 海藤先輩が純架を馬鹿にしたように(ののし)った。


「ふん、釜田に勝てるものかよ。……ルールはどうするんだ?」


 釜田先輩が提案した。


「勝負には家庭科室を使いましょう。茶葉や道具の持ち込みは何でもありの乱闘スタイルで」


 くすくすと上品に笑う。


「ぜひとも美味しい紅茶を淹れて、本気でかかってきてください。その方がわたくしも張り合いがありますし、審査してくださる人々にも素晴らしい体験を授けてくれることでしょうから」


 田浦教頭がアイデアを出した。


「そうだね、私が審判するよ。他にも2名ばかり先生を選んでくる。紅茶を味わうんだ、せっかくだから両チームからも代表を1名ずつ選出して加わってもらおう。必ず不偏不党で、厳しく味を審査することを誓ってね」


 久地先輩は了承した。


「よし、紅茶愛好会の代表はナンバー2の俺だ。そっちは?」

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