281健太の初恋事件05
彼女は「好き」という言葉に震え、あからさまにうろたえた。目が泳ぎ、態勢を整えるのにしばし時間を要する。
「えっ、あっ、その……。う、うん。去年撮ったツーショットの写真、今でもスマホの待ち受けにしているぐらいよ」
そうだったのか。まあ確かに分かりやすかったが。純架は麗先輩に話の矛先を向けた。
「あなたは柳君の一目惚れの件で、僕が3年3組を訪問してくるだろうと見越した――もし来なくとも、別段何か差し障りがあるわけではないけどね。だから髪型を入れ替えた。多分帰宅した雪子先輩から僕の話を聞いて、爆笑でもしていたんだろう」
健太が巨体をわななかせる。屈辱と悲哀とでその顔は引き歪んでいた。とても正視できない。
「そんな。それじゃ、麗先輩は――おいらの初恋の相手は――」
純架は言いづらそうに暴いた。
「柳君、君をダシにして一人笑い転げていたんだ。君の気持ちを知りながら、ね」
健太は歯を食いしばって涙をこらえる。拳をきつく握っていた。
一方、ようやく事態を悟った雪子先輩は、妹の仕掛けた趣味の悪いいたずらに絶句していた。ようやく絞り出す。
「本当なの、麗ちゃん」
麗先輩はその冷徹な本性をむき出しにした。
「ああ、そうだよ、姉君。こんなウドの大木に惚れられてはうっとうしいから、姉君に押し付けたのさ。もう少し楽しみたかったんだけどな。さすがは『探偵部』部長だ。恐れ入ったよ」
健太がすがるように最後の気持ちを吐き出した。
「じゃあ、じゃあ麗先輩は、おいらのことは何とも――」
彼女は失笑した。
「まだ分からないのかい? 私は君など路傍の小石にも思っちゃいないよ。諦めてくれ、すっぱりとな」
とうとう健太は泣きじゃくり始める。その一方で、雪子先輩が純架の袖をつまんだ。
「桐木君、この際だから聞いちゃうけれど……。君は私のこと、好きになってくれる?」
純架は首を振り、ゆっくりと3年生の手を外す。
「残念ですが、僕には恋人がいます。諦めてください」
「そんなあ……」
雪子先輩は両目を固くつむり、澄明な水滴をぽたぽたと床に落とした。
麗先輩が独自の笑い方で高らかに嘲る。
「ははは、ここは失恋の修羅場というわけだ。いや、実に面白いね。人が惨めな思いをしてたたずんでいる姿というのは」
そこに一切の温情はなかった。俺は激発して、気がつけば麗先輩の胸倉を掴んでいた。
「きゃっ!」
「あんたは他人を何だと思ってるんだ! 雪子先輩と柳に謝れ!」
麗先輩の顔から笑みが吹き飛び、俺に対する怯えが浮き上がってきた。真剣な面持ちの純架が俺の腕を押さえる。
「楼路君、暴力はよしたまえ。相手は女子だぞ」
俺はデコピンでもいいビンタでもいい、一発殴ってやりたかった。だがその思いをしぶしぶしまい込むと、彼女を解放して引き下がる。
純架は沈痛な顔で重々しく指摘した。
「麗先輩、恋を笑う者は恋に泣くといいます。今本当に惨めで情けないのは貴女自身です」
彼女は首元をさすりながら、心身の態勢を整えている。余裕が緩やかに回復しつつあった。
「ふふ、私にはれっきとした恋人がいる。勝者の席から見下ろしていて、どうして情けないものか。どうして泣いたりするものか」
純架はきっぱり言い放った。
「きっと貴女は誰かと本当の恋愛に陥ることはないでしょう。これは負け惜しみではなく、貴女の性格から導き出される断定可能な未来です。でも僕らは笑いません。むしろ同情することでしょう。いつかきっと、この意味が貴女にも分かる時が来るはずです」
麗先輩は鼻白んで立ち尽くす。純架は溜め息をついて再び口を開いた。
「……僕からは以上です。雪子先輩、すみませんでした。じゃ、帰ろう。柳君、楼路君」
健太は号泣していた。俺がポケットティッシュをひとつまみ渡すと、盛大な音を立てて鼻をかむ。
「路傍の小石……路傍の小石って……。あんまりですよ……」
純架は彼の手首を掴み、引きずるように歩き出した。
「行こう、柳君」
放課後の部室では、今回の一件への怒りがそこかしこに散見された。
奈緒が机を平手で叩く。
「あんまりだわ。今からでもいい、部員全員で文句を言いに向かいましょうよ!」
英二が呆れたようにつぶやく。
「お前はヒステリックだな。時代が時代なら革命家にでもなってたんじゃないか?」
「何よ、文句あるの? 三宮君」
「……いや、ないけどな」
しかし健太は既に落ち着いていた。
「飯田さんや他の皆さん、ありがとうございます。そのお気持ちだけでありがたいです。結局おいらに人を見る目がなかったのが一番の原因ですから。今はもう、終わったことという感じで、すっきりしていますよ」
誠がなだめた。
「まあ、元気出せ。長い人生、こういうときもあるさ」
純架は胸に手を当てた。強引にまとめる。
「以上がこの事件の全貌だよ、皆」
そしてたけしスクワットを開始するのであった。




