280健太の初恋事件04
「どうですかね、富士野先輩」
俺は結城の手並みに感心しながら答えた。
「ばっちりだよ、柳。これならクレオパトラもしなだれかかってくるってものさ」
「そうですか! よっしゃあ、何だかやる気が出てきましたよ! ありがとうございました、菅野先輩」
結城は苦笑して謙遜した。
「どういたしまして」
純架はフラメンコのように、「ワオ!」と叫びながら肩の上で手を叩いた。
馬鹿にしてるのか?
「明日は決戦だよ。作戦名は、そうだね……『神々の黄昏』でどうだい?」
最近田中芳樹のSF小説『銀河英雄伝説』を読み始めたという、純架らしい作戦名だった。だがそれを批判するものはいない。意味が分かっていないから、というのが正解だろう。
健太は「ラグナロック……ラグナロック……」とお経のように呟いている。自己暗示をかけているようだった。
「決めました。明日の昼、一対一の話し合いで、おいらは桂川先輩に告白します!」
日向が自分の頬を両手で挟んだ。恋話が大好きな彼女だった。
「応援してますよ! ラグナロック、成功させましょう!」
その作戦名でいいのか?
そして翌日、そのときは来た。昼休みになるや否や、健太が即行で2年1組に現れた。
「行きましょう、桐木先輩、富士野先輩、飯田先輩、辰野先輩!」
俺はきっちりワックスで固めた髪や、ズボンに折り目正しく収納されたシャツなど、健太の「正装」に二度見してしまった。
「気合入ってんな、柳」
純架たちが席を立つ。健太に釘を刺した。
「僕らは桂川先輩を呼び出したら、そこの廊下で待っているよ。彼女を連れて屋上か中庭か、あるいは他のどこでもいい、ひと気のない場所へ移動するんだ。そしてきっちり話をつけるんだ、いいね? そうでないと、桂川先輩に『告白も一人でできないのか』と見下されるからね」
健太は噛んで含めるような物言いに、真剣に耳を傾けていた。
「分かってます。おいらは男です。やってみせますよ」
奈緒と日向までついてくる必要はなかったのだが、当人たちの「強い希望」で野次馬となった。他人の色恋沙汰には無責任に首を突っ込みたがるんだな、と思ったが、それは俺が言う台詞でもないかと思い返す。
純架を先頭に、俺たちは3年3組教室前の廊下に到着した。健太の初恋は実るのか? 俺も心臓の鼓動が高まってきた。どうにか上手くいってほしい。彼はいい奴なのだから。
健太は大量に発汗する額をハンカチでぬぐう。純架が桂川先輩を呼び出した。しかし、間を受け持った3年生の男子は、「どっちの?」と奇妙な質問を返してきた。
「え?」
これには純架も少し戸惑ったようだ。俺たちも湧き上がる不審に顔を見合わせる。桂川という名字の生徒が複数いるのだろうか。そうなると、ただ「桂川先輩」では確かに特定できない。でも俺たちは、彼女の下の名前を知らなかった。
健太がかすれた声を出す。
「ポニーテールの女子の先輩です」
男の先輩は「ああ、彼女か。ちょっと待ってろ」と返し、教室に戻っていった。やがて一人の女子を連れてくる。廊下までやってきたのは、昨日の桂川先輩だった。ポニーテールで豊満な胸の美人さん。俺たちの到来を待ちかねていたかのごとく、浮き浮きと心を弾ませているようだ。
「桐木君、来てくれたのね。……こちらの大きな方は?」
190センチ近い巨漢の一年生を前に、彼女は面食らっている。純架は、その脳内の複雑な回路が正しく働いたかのように、何かの確信を抱いたようだった。
「そういうことだったんですね。……彼は『探偵部』部員の1年生、柳健太君です」
桂川先輩は摩天楼のようにそびえ立つ健太を見上げ、また純架に視線を戻す。『探偵部』部長は咳払いをした。
「それよりも。桂川先輩、ひょっとして双子の姉妹がおられますか?」
彼女は目を丸くする。
「あら、よく分かったわね。そんなに有名だったのかしら、私たち。ええ、私は桂川雪子。双子の妹の麗は、今この教室で昼食をとってるわよ」
俺は頭がこんがらがった。もつれた糸をほぐすのは苦手なので、他人に答えを求める。
「どういうことだ、純架」
彼は苛立っているようだった。
「ひょっとして、お二人は髪型を入れ替えていませんか? 麗先輩の提案で」
雪子先輩は今度は本気で驚いたらしく、開いた口を隠すように手の平を添えた。
「あれ、何で分かったの? ……そうよ、妹の麗から数日前に、『髪型を入れ替えない?』って指示されたの。『百花祭』が終わって気分を一新したかったし、私はオーケーしたわ。その後それでクラスメイトたちが私と麗を間違えるのが楽しくてね。しばらくこのままでいようね、って約束したの」
純架は長く息を吐いた。怒りの成分が多量に含まれている。
「……真相が見えました。麗先輩を呼んでください、雪子先輩」
雪子先輩は何のことやら分からぬといった体だったが、ともかく教室に引き返して、一人の女生徒を連れ出してきた。髪を下ろしているが、それ以外は顔も身長も胸も雪子先輩とそっくりな、瓜二つの女性。
健太が大声で叫んだ。
「桐木先輩、こっちの方です! おいらが惚れこんだのは!」
純架は憎々しげに彼女を睨む。
「麗先輩、お遊びが過ぎますよ」
雪子先輩が引っ張り出してきた3年生――桂川麗先輩は、微苦笑を隠せないらしかった。
「ふむ、さすがに気付かれたか。もう少し姉の動揺振りを見たかったものだが」
雪子先輩は妹の麗先輩の台詞に、戸惑いを隠せない。
「え、何? どういうこと?」
純架は解説を始めた。
「つまりこういうことです。麗先輩は体調不良で保健室のベッドに寝ていた。そこへ膝を怪我した柳君が入ってくる。麗先輩はごく普通の良心から、彼を手当てした。そしてその際、柳君が自分に一目惚れしたことに気付いたんです。明敏なことに、ね」
麗先輩は腕を組んで、まずは最後まで拝聴しようとでもいうのか、口を開かなかった。純架が続ける。
「そして柳君が『探偵部』所属であることを知った。麗先輩は恐らく姉から、『探偵部』の部長が僕、桐木純架であることを聞いていたと推測される。そこで根暗なアイデアが彼女の頭をよぎった。柳君を使い、姉の雪子先輩をもてあそぼうと、ね」
雪子先輩が目をしばたたいた。
「え、私を?」
純架の推理は一瞬の遅滞もなく滑らかに流れ出る。
「体が回復した麗先輩は、保健室を出て通常の授業に戻った。そして帰宅するや、雪子先輩に髪型を入れ替えっこしようと提案したんだ。雪子先輩は受け入れ、その通りにした。そして昨日の昼休みだ」
純架は中っ腹を隠さなかった。
「僕と楼路君は柳君を連れて行かずに、雪子先輩に会ってしまった。何しろ髪型を入れ替えただけで、どっちがどっちか分からなくなるぐらい似ている二人だ。麗先輩と取り違える形で、僕らは雪子先輩を柳君の想い人だと信じ込んでしまった……」
彼はポニーテールの雪子先輩に正対した。
「雪子先輩、あなたは僕が好きなんですね? 昨日や今日の態度でもろ分かりですが」




