269演劇大会事件07
「彼女が2年生、3年生とかなら、あるいは自筆の脚本でも著していたかもしれない。でもまだ入学して1ヶ月半の彼女は、台本を作成するところまではやっていないだろう。『好きな人へ』のコピー台本にメモするにしても、当然万年筆を使ったりはしないだろうし」
そこで純架は苦笑した。
「まあ、何だか西さんが今回の犯人みたいなこと言ってるけど、それもまだ推量の域を出ていないからね。そうだね、今日の昼休みに、楼路君と辰野さん、台さんの3人でまた1年2組に出張ってきてよ。脅迫状を受け取った感想を個別に聞き出すんだ」
俺は一応尋ねた。
「その人選の意図は?」
「単なる気まぐれだよ。じゃ、頼んだからね」
かくして俺と日向、真菜は空きっ腹を抱えながら、改めて1年2組に赴いた。この前同様、廊下に一人一人呼び出して質問する。
まずは西真紀子と相対した。予断を排するよう純架から命じられていたので、被害者の一人として接することにした。
「西はどうする? 脅迫された以上、やっぱりヒロイン・みなも役を降りるのか?」
真紀子は胸底に満ちているであろう恐怖に、敢然と立ち向かう。
「それも一度は考えましたが……。私、みなもの役が好きです。それにこの役を演じているときは、クラスメイトからも先生からも絶賛が相次ぎました。多分、私の本当の姿は何かを演じているときに発揮されるのだと思います」
「真実の自分を観てもらいたい、ってこと?」
真紀子は少しはにかんだ。
「はい。この機会を失いたくありません。降板なんてさらさら考えていません」
俺は彼女の瞳に揺るぎない意志を見出した。
日向が英二の意見も尊重する。
「ところで、西さんは国語の授業や文章を書いたりすることはどう? 好きな方?」
真紀子は無関係そうな話題をいきなり振られて目をしばたたいた。微かに笑みを浮かべる。
「はい、好きですよ。それは今回の脅迫状の件と関係あるんですか?」
真菜が遠慮会釈なく問いただす。
「犯人は長文を書きやすい万年筆で脅迫状をしたためましたです。ご存知とは思いますですが。それで西さんは、万年筆とか結構使いますですか?」
これには真紀子も少し怒った。眉をひそめ、声を尖らせる。
「いいえ、全く。犯人扱いならやめてください。心外です。……話がこれだけなら、もう戻っていいですか?」
俺は了承した。
次は不動賢介。みなもの父役だ。少し憔悴していた。俺はなるべく柔らかく聞く。
「不動の元にも脅迫状が届いたけど、どうする? 出演を見送るか?」
賢介は首を振った。その意志は唐突な劇薬にも化学変化していないようだ。
「まさか。たかが紙切れ一枚で自分の役割を放棄するわけにはいきませんよ。誰かのいたずらだって可能性もまだ残されていますからね」
日向が確認する。
「不動さんは脅しが気にならないんですか?」
「いや、それはまあ、いい気はしませんけど。ただ親友の川勝雄之助が、僕より遥かに多い4回もの脅迫を受けているのに、まるで動じずひたむきに練習していますからね。あいつが出る以上は俺も後には引きたくないです」
真菜が彼の精神に感動していた。
「強情なんですですね」
賢介は鼻の下を擦った。
「あいつは仲間ですから」
続いて神田晴が、賢介と入れ替わりに廊下へ出てきた。みなもの母役だ。俺は尋ねた。
「神田、脅迫状みたいなものを受け取るのは人生初か?」
「はい。どこの馬鹿がこんなくだらない真似をしたのかと、頭にきています」
晴はその言葉通り、随分と憤っているようだ。日向がやや気圧され気味に質問する。
「神田さんは西さんや不動さんと同じく、降板する気はないんですね?」
「当たり前です。犯人が誰でどんな動機でこんなことをしでかしたのかは分かりませんが、ともかくあたしは負けたくないです。『好きな人へ』、必ず成功させてみせますよ」
最後は石井博之。医者役だ。彼だけは何の脅しも届いていないので気楽そうだった。俺は一応聞いてみる。
「石井はやっぱり与えられた役を演じるんだな?」
「ええ。まあ当然っすが」
調子よく切れ味鋭い回答だった。日向が前の3人のとき同様にメモを取る。掛け持ちで新聞部もやっているからか、その姿には風格があった。
「1年2組の生徒、特にキャストの人間関係について、何か知ってることはありませんか? 細かいことでもいいんですが」
博之はにやにや笑い、「どうしよっかなぁ」ともったいぶる。真菜が首を傾げた。
「何ですですか、その思わせぶりな態度は」
「いやあ、まだ話していないこと、あるんっすけどねえ。川勝とは関係ないことなんで、今まで黙ってたんすけどね」
俺は前傾姿勢になった。
「何かあるなら言えって。秘密は守るからさ」
「そうっすね……」
余裕たっぷりに俺たちを眺め渡す。注目を浴びるのが快感らしい。俺は辛抱強く待った。
「じゃ、スペシャルで話しちゃおうっかな。実は俺、中学時代に西真紀子と同じ学校に通っていたんすよ。で、何かあいつ、清純そうっていうんすか? それで好きになっちゃったんすよね」
「おお、新事実だ! で? それで告白とかはしたのか?」
食いつかざるを得ない俺を、まるで馬をなだめるように博之は制した。
「まあまあ。俺は紳士っすからね。自信もあったんで、ある日告ったんです。結果は……」
また俺らを見渡した。
「結果はオーケーでした! 俺と真紀子は付き合い出したんす。まあ余裕でしたね」
日向が熱心にシャーペンを走らせる。
「それで?」
「でも実際に2人でデートとかに行って、俺思ったんすよね。何かこいつ、辛気臭い上にまるで面白くないなって」
俺は酷評に気分を悪くした。
「酷いこと言うなぁ」
「で、これ以上は付き合えないと、早々に俺から別れを切り出したっす。真紀子、泣いてましたね。それ以降は他人同士になったっす。真紀子は多分、今でも根に持っていると思うっすよ」
日向が珍しくいらいらしていた。
「細かいことでもいいって言いましたが、ずいぶんな話ですね」
博之はどこ吹く風だ。
「だから真紀子は今回、川勝や皆を降板させてゴタゴタにさせることで、俺の晴れ舞台を台無しにしようとしているんじゃないっすかね。俺に振られた仕返しに」
俺は矛盾を指摘した。
「いや、振られた仕返しをするなら、お前にだけ脅迫状を送りつけるだろ」
「ああ、そうっすねえ。それは気付きませんでした」
「今は別れたままなんだよな?」
博之はまんざらでもなさそうな顔をする。
「いやあ、それがねえ。稽古で見せる真紀子の演技は、これがあの根暗なあいつかと思うほど生き生きしていて、惚れ惚れするものがあるんっすよね。犯人じゃなければ、また付き合ってやってもいいかな、とか思っちゃったりして」
「……というわけだ、純架、皆」
俺は放課後の部室で、昼休みの聴取の結果報告をした。純架はしなやかに腕を組む。
「ふむ、役者は全員やる気なんだね」
真菜が純架に対して得点を稼ぐように詳報する。
「むしろ、『先生や他の生徒たちにこのことを知らせないでほしい』というあたしたちのお願い――まあ川勝君の希望ですが――を聞き入れてくれましたです。脅迫されている身なのに、ですです。ガッツが感じられてとても良いですです」




