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264演劇大会事件02

 それからも幹久が見舞いに行くという形で、病室での逢瀬おうせは続いた。しかしある日、みなもは医者から余命宣告を告げられる。長くて残り一ヶ月だという。彼女はそのことを隠し、見舞いに来た幹久に、彼をモデルとして絵を描きたいと告げる。喜んで快諾する幹久。みなもと幹久の、最後の一ヶ月がこうして始まった。みなもは生き生きとキャンバスに線を走らせる。彼女の両親はその光景をそっと見守りながら、神様が娘に最後の力を与えてくださっているのだと感激する。


 だが幹久の肖像画が完成するより早く、みなもは容態が急変。帰らぬ人となった。一報を聞きつけ駆けつけた幹久は、完成前に中断された彼女の絵画と、冷たくなって息絶えたみなもに号泣する。両親から真相を知らされ、みなもは幸せなまま逝ったと聞かされると、涙は止めどもなく流れた。そこでふと、幹久は絵画の端に書かれた『好きな人へ』という文章に気付く。彼は自分のことを、みなもが愛してくれていたのだと知った。


 それから数年後。幹久は美術大学に進み、油絵の技術を獲得する。そうして、みなもが生前残した笑顔の写真を元に肖像画を描き始めた。数ヶ月の後完成させた彼は、その隅に一言『好きな人へ』と書き記し、彼女との想い出を振り返って慟哭するのだった――




 純架は思わず、といったていで拍手を惜しまなかった。


「へえ、とても良い話じゃないか。川勝君、君は役者をやるのかい、それとも裏方をやるのかい?」


「実は、主人公の岡田幹久を舞台上で演じることになりました」


 奈緒が両の手の平を合わせた


「素敵ね! うん、ぴったりだと思うよ」


 雄之助は美人の先輩に褒められ少し照れたものの、すぐ真面目な顔つきに戻った。


「うちのクラスは早くて、昨日の『百花祭』開催決定の報せの後すぐ役割分担が決まりました。僕は大役を任されて、張り切って稽古に臨もうと奮い立ちました」


 その表情に暗雲が立ち込める。


「ところが、今日の朝、僕の机にこんな切れ端が入っていたんです……」


 そう言って雄之助が鞄から取り出したのは、白紙のノートを千切ったと思われる一枚の紙だった。


「見てください、皆さん」


 純架が代表して受け取り、皆が横や背後から覗き込む。そこにはこう書かれていた。




『幹久役を降りなければ天罰が下る』――




 英二が差出人への怒りを込めて叫んだ。


「ほう、脅迫状か!」


 結城が執筆者を侮蔑する。


「下手な字ですね。まるで小学校低学年です」


 純架が看破した。


「筆跡でばれないように利き腕じゃない側でしたためたんだ。たとえ拙い文字でも、これは立派な脅しだね。……なるほど、川勝君はこいつを自分の机に投函してきた犯人を突き止めてもらいたいわけだね」


 雄之助は青白い顔をしていた。真剣な目に光がまたたく。


「その通りです。僕が大騒ぎし過ぎなのかもしれませんが……。何分脅迫状を受け取るなんて、人生初めてのことですから。どうしたらいいか思案して、やっぱりプロの方々にお任せした方がいいか、と……」


 真菜がくすくす笑った。


「プロだそうですですよ、純架様」


 純架は鼻の下を伸ばした。相変わらず賛美に弱い。


 英二が腕を組み、白皙はくせきの顔に夕日を滑らせる。


「昨日役割分担が決まって今朝にそれだろ。犯人は川勝が幹久役をやるのがよっぽど気に入らなかったに違いないな」


 純架は首肯し、机を人差し指でこつこつと叩いた。貧乏ゆすりらしい。


「そうだね。それに川勝君の机の位置を正確に知っていたことから、クラスメイトや担任の先生が犯人として絞り込まれる。まだ入学して二ヶ月も経ってない事実もそれを補強するね。川勝君、君はその中の誰かから恨まれるようなことをした覚えはあるかい?」


 雄之助は真剣に悩み、頭を引っかくように掻いた。そして溜め息をつき、首を振る。


「いいえ。別段心当たりはありません。何しろこの渋山台高校に来て日は浅いですから、明確にそうだと答えられます」


 純架はチョークを手に取り、黒板へ『はあ面倒くせ』と心の声を書き込んだ。


 依頼者の雄之助に失礼だろ。


「ふむ。ではやはり『百花際』が決まってからの怨恨と断定して良さそうだね。川勝君、『好きな人へ』の他の配役とかは分かるかい? まあ覚えてないならそれでもいいけど」


「大丈夫です、昨日台本に記入しましたから」


 雄之助は机上の鞄の中を漁る。目的物はすぐ見つかったらしく、手に取って開いた。


「ええと、ありました。台本のコピーです。まず主人公の幹久役は、僕、川勝雄之助。ヒロインの藤波みなも役は、西真紀子にし・まきこさん。僕と同じ演劇部ですね。みなもの父親役は不動賢介ふどう・けんすけ。僕の友達です。それからみなもの母親役には神田晴かんだ・はるさん。病院の医者役は石井博之いしい・ひろゆき君。演出家は三浦揚羽みうら・あげはさんが務めます」


 誠が純架の狙いを代弁した。


「川勝を妬むとしたらキャストだな。端役をやらされることになった、同じ男の不動と石井が怪しくないか?」


 雄之助は少しむっとしたようで、その語気に棘が混じった。


「不動はそんなことしません。彼は僕の親友ですから」


「俺たちに依頼しに来た以上は、あらゆる前提を取り払わないと。案外親友だからこそ……ってのもあるしな」


「……そうなんでしょうか」


 雄之助は納得しがたいといわんばかりの表情で考え込む。純架が指を2本立てた。


「道は二つある。このまま僕らに犯人探しを任せるか。それとも脅迫に屈して幹久役を降りるか。どうするね?」


 雄之助とすれば、降りれば解決する話だ。だが彼は厳として胸を張った。


「僕は卑怯者に負けたくありません。そんなこと耐え難いです。皆さん、ぜひ犯人探し、よろしくお願いいたします」


 そうして深々と頭を下げた。純架は「ハイヤヨッサイ! ハイヤヨッサイ!」と奇声を発しながら、片足ジャンプで室内を一周する。そしてそのことには一切触れずに言った。


「まあ、今日のところは材料もないし、まだ3週間もあるんだ。依頼は引き受けたから、今日のところはひとまず帰りたまえ。犯人も今すぐに動いたりはしないだろう。ちなみに台本の読み合わせは始まっているのかね?」


「はい、昨日の放課後に第一回がありました」


「演目を決めてからその日の放課後にもう台本が届いたのかね?」


「高梨一成さんのシナリオはネットですぐダウンロードできますから。それを演者の分だけプリントアウトしたんです」


「なるほどね」


 純架はさっきの「ハイヤヨッサイ」で痛めた足を気にしている。


 馬鹿か?


「では川勝君、詳しいことを聞きに行くから、明日の昼休みに1年2組へうかがうよ」


「はい、お願いします!」


 雄之助は鞄を提げて部屋を出た。ペコペコ頭を下げるその姿が消え去るのを見送る一同。ドアが閉まってしばらくして、俺は至極真っ当な疑問を誰に対してでもなくつぶやいた。


「でも何で脅迫状なんだ? 川勝が幹久役をやるのが気に入らないなら、口で直接そう言いにいけばいいのに。何だか陰湿だな」

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