263演劇大会事件01
(五)『演劇大会』事件
ゴールデンウィークも終わり、渋山台高校旧棟1年5組の『探偵同好会』部室は、10人目の入会者を獲得するための議論でかまびすしかった。純架がハッカ味の飴玉を口腔で転がしながら、名案が浮かんだとばかりに俺に主張してくる。
「ここは楼路君の義妹で帰宅部だという富士野朱里君を誘ってだね……」
そう、朱里は何故か未だに部活動や同好会に籍を置いていない。この前聞いたら「オレの勝手だろ」と突き放された。
「無理無理。あいつ俺のこと嫌ってるし」
英二が意外そうに声を出す。花見会で誠から受けた傷は大分治っていた。
「そうなのか?」
「まあな。毎日毎日何かにつけてぎゃあぎゃあやり合ってるからな。よっぽど心惹かれることでもないと、俺たちの輪には加わろうとしないだろう」
誠がシャーペンをカチカチ鳴らす。どうも筆記用具の調子が悪いようだ。
「そいつは残念だな」
数日前、真菜は純架に振られて嗚咽を漏らしながら去っていった。しかし次の日からは連日顔を見せている。聞けば、「いつか必ず辰野さんを純架様から引っぺがしてみせますです。純架様にふさわしいのはあたしだということを、何としてでも分からせて差し上げますです」とのことだった。日向を敵視し、むしろ闘志を燃やしていた。
純架は彼女にまとわりつかれなくなってホッとする反面、彼女が脱退しないように何くれとなく気を使っていた。
健太が弁当を食べている。昼にも放課後にも食うらしく、常に二つ持参しているそうだ。彼の底知れないパワーや体格はこうして作られているんだなと強烈に実感させられる。
「そういえば昨日のホームルームで、今年から渋山台高校クラス演劇の大会を始めるぞ、とか先生が言ってました。ええと、何て名前でしたっけ」
純架が凄まじい形相でパズル雑誌の数独を解いている。
怖いからやめろ。
「確か『百花祭』だったと思うよ」
誠が熱いコーヒーに息を吹きかけている。
「うちのクラスでも言ってたぞ。6月初旬にやるんだっけな。ま、俺はもちろん舞台には上がらないけどな」
俺はひどく同意した。
「同感だ。みんなの前で演技だなんてこっ恥ずかし過ぎる」
奈緒が注意してきた。
「演劇部の人が怒るよ、楼路君。桐木君はどう? その美貌なら壇上で栄えないかしら?」
結城が茶々のようなツッコミを入れた。
「多分奇行癖を発症して滅茶苦茶になると予想されますが……」
「ああ、そうだね。桐木君に舞台は無理かな」
純架は「プンスカ! プンスカ!」と怒った。
ずいぶん古風な怒り方だ。
「失礼な。人を何だと思ってるんだい」
純架は立腹したが、さっきから鏡を見ながら歌舞伎の化粧に熱中している。
そういうところだ。
大体、新入生入学式でかました奇行癖を忘れたとは言わせんぞ。
日向は演劇祭への消極的な姿勢を示した。
「私は小道具でもちょこちょこ作っていたいです」
真菜は張り合うように、しかし後ろ向きのコメントを出した。
「あたしは衣装係ですですね。これでも裁縫関係は得意ですです」
俺は窓際の机に頬杖をついて、新緑にもえる木々を見下ろした。
「俺も音響とかでいいかな。BGMと効果音をタイミングよく再生するって奴」
健太はようやく弁当を食べ終わった。が、その顔はまだ物足りてなさそうだ。どれだけ食べたら満足するのだろう?
「おいらは雑用でいいです……」
純架は顔面に朱を塗り始めた。
本気で化粧するな。
「皆勝手なことを言ってるね。たまには舞台上でもう一つの人生を演じてみるのも悪くないと思うよ。人間という奴、皆どこかで自分のキャラを演じているものだからね。気分転換にどうだい、楼路君?」
「お断りだ」
英二もやる気はなさそうだ。
「俺は背が低くて務まらないだろうからな……」
そこでドアがノックされた。純架が「どうぞ」と声掛けすると、開いた扉から1人の男子生徒が現れた。まだ幼さの残る童顔ながら、その意志の強さは鋭い両眼に発揮されている。外見はツバメ、内面は鷹といった具合か。均整の取れた四肢はやや細身である。制服の着こなしに慣れていないのが初々しい。身長は160センチちょっとと小柄だ。
はきはきした声で尋ねてきた。
「ここは『探偵同好会』様の部室で間違いないでしょうか?」
純架は素早く立ち上がり、商売人のように揉み手でかしこまる。
「ひょっとして入会希望者? はたまた何かのご依頼で?」
生徒は後半ですと主張した。
「僕は演劇部の川勝雄之助と申します。1年2組所属です」
そこでいったん区切り、少しためらった。が、何かを振り切るかのように言葉を発する。
「実は『探偵同好会』の皆さんに解決してほしい問題がありまして……。ただ、今の時点で騒ぎ立てるのもどうかという、小さな出来事なんですが……」
純架は椅子を用意して雄之助を座らせた。
「どんな些細なことでも構わないよ、川勝君。むしろ初期段階で来てくれて助かるね。では川勝君、全員で聞くから話してみてくれたまえ」
雄之助は力強くうなずいて、組み合わせた両手を垂らし、ぽつぽつと語り始めた。
「ことの始まりは『百花祭』の開催決定です。僕の1年2組は『好きな人へ』という芝居を上演することになりました。これはプロの脚本家で漫画原作なども手がける高梨一成さんが、数年前に学校演劇用に書き下ろしたオリジナルのお話です」
誠が記憶巣を刺激されたようで、眉間に皺を寄せて唇に拳を当てた。
「ああ、名前は聞いたことあるな。どんな内容なんだ?」
「皆さん、あらすじは演劇の命です。公演が終わるそのときまで秘匿していてもらえますか?」
純架も俺たちも、もちろん深く点頭した。それを見渡して、雄之助は唇を舌で湿した。
「概要はこうです……」
うららかな春の午後。軽度の盲腸――急性虫垂炎で入院中の高校生・岡田幹久は、医者から院内を歩き回っても良いとされ、特に目的もなくぶらぶらほっつき歩いていた。しばらくして、目の前で話し合っている中年夫婦が持つ、一枚の絵画に視線がいく。それは油絵の見事な風景画だった。この病院の窓から外の景色を描いたものだろう。幹久は好奇心にかられ、それが誰の手によるものか尋ねる。中年夫婦は実に嬉しそうに、「それなら描いた人に直接お会いしてください」と、すぐ側の病室――『藤波みなも』と室名札があった――へ幹久を招き入れる。そこにはベッドに半身を起こし、白いキャンバスへ筆を走らせる、痩せ気味の少女の姿があった。彼女こそは藤波みなもだ。幹久が彼女の絵を激賞すると、みなもは恥ずかしそうに照れて笑った。幹久は可愛い子だな、と思った。
みなもは高校の美術部に所属し、熱心に絵を描いていた。その理由は、人生や空間を自在に切り取ってキャンバスに収めるという、絵画の持つ魅力に取り憑かれたからだという。しかし一年前、重い病に侵されて入院。以後はだんだん弱りつつある心身を奮い立たせ、こうして手先が鈍らぬよう筆を取っているのだそうだ。幹久は感銘を受けた。そして同時に、自分の生涯を振り返って、彼女のように何かに全力を傾けてひたむきに頑張ったことなどなかったことに気づく。幹久は心からみなもを尊敬した。そして仲良しになり、色々なことを良く喋った。みなもの両親も加わって、それは楽しい一日となった。やがて時が流れ、幹久の退院が決まる。彼は「今度はここの外で会いたいね」と語り、先に病院を後にした。




