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260純架と日向のデート事件03

 人生初のタイ料理は心と腹を充足させ、俺は満ち足りた気分でお冷を飲んでいた。しかし何しろ追跡者としては、常に標的の行動より一歩を先んじていなければならない。俺はどうやらカレーライスとハンバーグを食べているらしい純架と日向への注視を怠らなかった。


 2人が立ち上がる。どうやら会計だ。奈緒が腰を上げる。


「出るみたいね。私たちも遅れちゃ駄目よ。そろそろ行こうよ」


「よし、出よう。ただし鉢合わせにならないよう、こっちがちょっと遅れていくんだ」


 俺は二人分の勘定を済ませ、純架たちの動きに注意を払う奈緒へ追いついた。


「出てきたわ。今あそこをゆったり歩いている」


「次はどこに行くと思う?」


「さあ、どうかなあ」


 俺たちは彼らの後を再び追っていった。帽子を更に深く被り、用心に用心を重ねる。


 純架と日向が入ったのは――


「あっ、ケーキ屋さんに入るみたいね」


 奈緒が指差した。そこは渋山台でも割と有名な、イートインコーナーのある大規模デザートショップだった。まだまだ昼時ということもあり、ガラス張りの店内は若い客で混雑している。


 俺はうなった。


「甘いものは別腹ってわけか。監視に適してそうな最寄の飲食店は……っと」


 しかし、最適な店は見つからなかった。


「しょうがない、外で待つとしよう」


 奈緒が反対する。


「いいじゃない、私たちも入ろうよ」


 俺はさすがに尻込みし、慌てて手を振った。


「それはいくらなんでもばれないか? 辰野さんはともかく、純架の目に留まらぬわけがないと思うんだが……」


「大丈夫よ。私、あそこ行ったことあるもの。食べてる最中は周りのことは気にならないし、一番遠い席を取れば何とかなると思うわ」


 奈緒の強い要請だった。俺は渋々折れる。


「しょうがねえな……」


 かくして俺たちは帽子を目深に被り、窓際3番目の席に今まさに座らんとする純架たちの後に入店した。まずは何を買うかだ。彼らの視界から外れ、ショーウインドウの奥に居並ぶケーキ群を眺めやる。


 奈緒がよだれを垂らさんばかりだ。


「せっかく来たんだし、何か食べようよ、楼路君」


「思ったより大胆なんだな、奈緒って……。俺はモンブランでいいや」


「私は定番のショートケーキにしよっと」


「太るぞ」


「後でダイエットすればいいもん」


 俺は小声で注文し――店内のにぎわいを考慮すれば、別にそうする必要もない気もするが――、会計を済ませて商品を受け取った。熱いカプチーノのコップも手にする。


「おい、どこに座るんだ、奈緒。どう考えても見つかるぞ」


「あの斜め端が空いてるわ。あそこにしようよ」


 背を向けている純架はともかく、こちらを向いている日向にはばっちりバレそうな気もするが……。俺は緊張に若干強張りながら、帽子を被ったまま席に着いた。


 すると、意外なことに気がつく。2人に背中を見せる奈緒が盾となり、俺の顔は日向の視線から隠されることになったのだ。奈緒にそのことを告げると、「ほらね」とばかり微笑んだ。


「私があまり屈まなければ大丈夫ってことね。でも2人とも会話と食事に夢中だから、それほど気にする必要もないと思うわ」


 奈緒は「てなわけで……」と嬉しそうにフォークを手にした。


「いっただきまーす」


 俺も食べ始める。ケーキは口に運ぶとすぐ強烈な甘味をもたらした。だがそれ以上のことは分からない。俺はケーキに関しては味音痴なのだ。奈緒はそうでもないらしく、


「美味しい! やっぱりこの界隈で一番の人気店だけあるね」


 と、抑制を効かせた声で賞賛した。だらしない顔で咀嚼そしゃくする。俺は栗を噛み砕いた。


「まあ、美味しいんだけどもな……。俺もショートケーキにしとけば良かったかな」


 奈緒がねだる。


「少し分けてちょうだい、楼路君」


「へいへい」


 俺は奈緒の分を微量ながらいただいた。うん、美味い。さすがは王道。


 やがて俺たちはケーキを食べ尽くした。食後のデザートとしては及第点だ。満腹になりのんびりコーヒーをあおっていると、不意に日向が立ち上がった。俺は思わずうつむく。


「どうしたの、楼路君」


「2人が店を出る」


 俺は固まって動けない。奈緒も同様に硬直する。やがて店員の「ありがとうございましたー」の声と、ドアを開閉する音が重なり、俺は彼らに置いていかれたことを知った。


「ばれた……か?」


 奈緒がここでようやく金縛りから解き放たれ、背後を振り返った。無人のテーブルには早くも次の客が座り始める。窓の外で純架たちが仲良く去っていくのが視界に映った。


「ぎりぎりセーフみたい。私たちも出よう、楼路君」


 俺たちは急いで店を出て、純架たちの姿を捜した。だがその背中は見当たらない。見失ったか?


 奈緒が俺の手を引き、一方向を指差した。


「いた! 尾行するよ、楼路君!」


 彼女は早歩きで後をつけていく。俺は引っ張られるように従った。


「目がいいんだな、奈緒」


「まあね。次はどこに行くんだろう?」


 2人は総合複合施設の方へ進んでいく。ショッピングモールでお買い物、か? その俺の予測通り、彼らは巨大な建物の中にその後姿を消した。奈緒が目を輝かせて俺を見る。


「私たちも入ろうよ。ここまで来てやめられないでしょ?」


「まあな。最後まで仕事を仕上げれば、明日純架を驚かせてやれるしな」


 その未来を思うだけで胸が躍る。あの純架を出し抜いてやれるのだ。こんな痛快なことはない。


 俺たちは広壮な店内に入り、人が行き来する通路を歩いていった。衣服や眼鏡、レストランや化粧品、雑貨などの専門店が左右に立ち並び、吹き抜けの2階へエスカレーターが続いている。純架たちは女性物の衣類の店舗に入った。


 奈緒が目を離さず反対側の店に飛び込む。


「楼路君、早く! 見つかっちゃうよ!」


「お、おう」


 俺は奈緒と共にその店――アクセサリーショップに足を踏み入れた。物陰に身を隠し、ターゲットたちの買い物を眺める。彼らの動きが気になって仕方ない俺をよそに、奈緒は陳列されたペンダントやイヤリングを見て回った。結構のん気だな。


 やがて奈緒に肩を叩かれる。


「ねえ楼路君、ちょっとこっち来て」


 俺は緊張感のない彼女に違和感を覚えながらも、その正体が掴めぬまま従った。奈緒は銀のプレートのネックレスが気に入ったらしく、俺に説明する。


「これ、二つあるでしょ? どちらもプレートは一面がギザギザ。でもこれ、両方を合わせると……」


 まるで鍵が錠にはまるように、プレートは一つに合体した。


「ね、面白いと思わない? 恋する私たちにぴったりでしょ!」


 俺は無邪気に喜ぶ奈緒に、頭を掻いて呆れ返った。


「何だかバカップルが喜びそうなアイテムだな」


「いいじゃん、私たちバカップルでしょ」


「まあ反論はしないな」


 奈緒が俺の腕にしがみつく。


「ねえ買おうよ、これ。私もお金出すからさ。出会って約一年の記念に、ね。いいでしょ?」


 俺は純架たちが出てこないか確認した。彼らは店内でまだ商品を物色している。


「分かったよ。買う買う。あいつらをつけてるって目的、忘れないでくれよ」

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