259純架と日向のデート事件02
「そうだったそうだった。まあ当時の奈緒は『折れたチョーク』事件で判明したように、宮古博先生に惚れ込んでいたからなあ。辛い思いをしたもんだ……っと」
純架が現れた。美貌がばれないようにサングラスとマスクを装着している。昨日俺が指示した格好と背丈でそれと知れた。映画館の方に歩いていく。
俺は立ち上がった。
「行こう、奈緒」
「うん!」
俺たちは2人して帽子を深々と被り、外に出た。『探偵同好会』会長の後姿を遠くからつけていく。やがて彼は映画館前の屋外ベンチに腰掛けた。俺たちは彼が背中を向けていることをいいことに、植木の物陰からこっそり様子をうかがう。
「桐木君に服装をアドバイスしたの? ずいぶんまともな格好じゃない」
「そりゃ、辰野さんに恥をかかせるわけにはいかないからな」
奈緒は当然のように指摘してきた。
「本当に相手は日向ちゃんなの? 別人だったりして」
「まあその可能性もあるんだけどな」
しかし奈緒は深く考えていないのか、その点に関してはそれ以上つっこまなかった。
やがて純架の元に女性が現れた。やっぱり辰野日向だった。奈緒が興奮する。
「来た来た! 日向ちゃん、頑張れ!」
その口調に、俺は何となく違和感を感じた。どこがどう、と問われると困ってしまうのだが。
まあともかく、上品なおめかしで一瞬分からなかったが、日向は黒縁眼鏡と首から提げている紅色のデジタルカメラですぐそれと知れた。予想通り、今日は2人のデートってわけだ。
純架と日向は二言三言会話をかわし、連れ立って映画館のチケット売り場へと歩いていく。
奈緒が俺の袖を引っ張った。
「当然、私たちも映画を観るわよね」
「そうだな。2人を2時間も外で待ってるのはあれだし。俺たちも観ようぜ」
「おごってくれる?」
「ああ、構わないよ」
奈緒は器用に指を鳴らした。
「そうこなくっちゃ!」
傑作アクション映画の対決作品ということで、今爆発的なヒットを飛ばしているくだんの洋画。俺も奈緒も、大作への期待に興奮する客たちの最後尾に加わった。
長い行列が劇場内へ、まるで進行する蛇のように吸い込まれていく。俺と奈緒ははるか前方の純架と日向に注目しながら、ゆっくりと流れに沿って歩んでいった。シアターに入るなりこっちが見つかったんじゃしゃれにならない。俺は奈緒と共に、分厚いドアの内側へと足を踏み入れた――
奈緒が俺にこっそりとささやく。
「いたわ。前方よ」
つられて俺も小声で返した。
「どこどこ?」
「ほら、スクリーンの手前」
明るい客席前方で、確かに純架と日向が仲良く腰を下ろす後姿が視界に捉えられた。俺は彼らを監視しつつ、なるべく距離を取った後方へ着席する。
「ね、楼路君、手を繋いでもいい?」
「え、ああ、ごめん。気がつかなかった」
俺はさっき買っておいたコーラをビニール袋から出すと、彼女と手を絡み合わせた。にっこり微笑み合う。何というか、至福だった。
やがてブザーが鳴り、満員近い客席からざわめきが消え失せる。場内が暗転すると、巨大な画面に各種予告編が流され始めた。アニメ映画『天空のカリオストロの城』か、なかなか面白そうだ。
「始まった!」
奈緒が小さく叫ぶ。俺は映し出されたフィルムに没頭し始めた。
上映された映画はたまらなく面白かった。テロリストに占拠された高層ビルの屋上から、タイムマシーン・デロリアンが時空を超える場面では、お互いの手を固く握り締め合うほどだった。まさに大興奮、大スペクタクル。こりゃ凄い。
やがて感動に包まれたまま、超大作は終了した。しかしスタッフロールが流れ始めても、おまけを期待してか、それともエンディングテーマに聞き惚れてか、多くの観客が席を立たなかった。
俺はふと気付いた。
「このままじゃ俺たち、2人に見つかっちまうんじゃないか?」
奈緒も現実に引き戻されたかのように素になる。
「そうね。どうやら桐木君たちは最後まで居座るつもりみたいだし、私たちは先に出ようよ」
映画館から出ると、再び日常の中に舞い戻ってしまったようで少し切なかった。俺たちはコーラの空きペットボトルを捨てると、館外の地べたに足跡をつける。
「いやー、面白かったなあ。奈緒と観れて良かったよ」
奈緒がにこやかに笑った。ああ、いいなあ。
「うん、私も。さあ、隠れて出口を見張ろうよ。まだまだ追跡するんだから」
しばらくして、再びサングラスをかけた純架が、日向と共に劇場から姿を現す。2人は手を繋いだりせず、まだ微妙な距離を保っていた。何だ純架の奴、意外におくてだな。
彼らはあれこれ話しながら――多分映画の感想だろう――街道をぶらぶら歩く。俺たちは2人が振り返りそうにないのをいいことに、間隔を狭く取って、すぐ近くから尾行していった。
やがて彼らはファミリーレストランに入った。俺はそういえばそろそろお昼時だなと気がついた。
「ほう、昼食か。にしてもファミレスとは、意外と庶民的だな」
奈緒が俺の腕を引っ張る。
「ねえ楼路君、私たちも食べようよ。お腹空いちゃった」
俺はこのおねだりに仰天した。
「えっ、あいつらと一緒の店で食べるのか? それはさすがに気付かれるだろう」
奈緒は苦笑して首を振る。
「まさか。向かいのほら、あそこにあるタイ料理の店に入るのよ。そこから監視するの」
「タイ料理か。食ったことないな」
「私も。面白そうじゃない、行こうよ」
ファミレスを見ると、純架たちが窓際の席に着いたことが確認できた。まずい、このままじゃこちらが見つけられてしまう。
「しょうがないな。よし、入ろう」
「うん!」
店に入ると、タイ人の店員がかたことの日本語で迎え入れてくれた。俺と奈緒はファミレスが良く見える席を所望し、叶えられた。
「メニューはコチラになります。ではゴユックリ」
俺は食べるものの選別より純架たちが気になる。彼らは料理表を手にし、ウェイトレスに品目を告げていた。奈緒が何やら話しかけてきたが、俺は上の空で「ああ」とうなずく。
日向が純架を好きなのは、『激辛バレンタイン』事件の一件で分かっている。しかし純架の方はどうなのか? 一応ここまでを見る限り、親密にしているようだが……。いつ彼の奇行癖が爆発し、デートが台無しになるか、追いかけているこちらがハラハラしていた。
「ハイ、お待ちどうさま」
そこでウェイターの言葉に突如意識を引き戻される。いつの間にか奈緒が俺たちの食い物を注文し、それが出来上がっていたのだった。奈緒がスマホで料理を撮影している。
「楼路君はトムヤムクンね。『世界3大スープ』に数えられている、海老の煮込みスープよ。私はパッタイ。タイの野菜が豊富に盛り込まれた焼きそばよ。美味しそうね!」
俺は彼女の妙な博識が気になった。
「何だ、食ったことない割には詳しいじゃないか」
奈緒は俺の指摘に、少し焦ったようにあさっての方向を見る。
「いや、別に。常識でしょ、常識。さあ、冷めないうちに食べようよ」
「あ、ああ……」
俺はスープを口に運んだ。辛味と酸味が利いていてとても美味かった。




