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249純架の初恋事件01

   (二)『純架の初恋』事件




 なかなか気温的には春が来ない異常気象が続く中、俺たちは今日も午前の授業を終える。昔の俺はこの時刻になると、購買にダッシュして昼飯のパンを確保していたものだ。しかししばらく前から――飯田奈緒と恋仲になってから――俺は、彼女の手作り弁当をありがたく頂戴していた。最初こそ目も当てられない、下手すればリバースするような糞不味い質だったものの、最近は特訓に特訓を重ねて「美味い」の範疇に片足を突っ込むようになってきている。ありがたい話だった。


 今日も白米に卵焼き、ウインナー、チーズ入りミートボールにブロッコリー、トマトとキャベツ。そつなくまとまっている。俺は恋人を拝んだ後、早速箸を掴んだ。


「いただきます」


「どうぞ、楼路君」


 現2年1組は真新しい友人関係が構築されつつあり、俺もサッカー部のキーパーである山岸やまぎしや新聞部の小金沢こがねざわなどと親しくなった。でも昼食は1年からの習慣で、『探偵同好会』メンバーと取るようにしている。すなわち純架、奈緒、日向とだ――まあ日向は2年から同じクラスになったんだけど。


 その純架はぎっしりご飯が詰まった中に梅干1個という弁当を食べている。


 戦前か?


 彼は俺の視線に気付いて微笑んだ。


「これもサバイバルの一環なんだよ。毎日こうというわけじゃないのは、楼路君も知ってるくせに」


 純架の母、桐木玲奈きりき・れなさんは大のサバイバルゲーム好きで、息子や娘に厳しい食事を課すことがある。この前はコーンの缶詰と缶切りという昼食だったっけ。たまにまともな弁当を持たせることもあるから、まあ完全にいっちゃってるわけじゃなさそうだが。


 日向はコンビニで買ったらしいサンドイッチを腹に詰め込んでいた。あまり食べ物に関して好き嫌いはなさそうだ。


 俺たちは机をつき合わせて昼食を進める。純架と日向が陰ながら付き合っている、その片鱗を掴めないかと注視しながら、俺は奈緒手製の弁当に舌鼓を打っていた。


 と、そのときだった。


「ちょっと食べながら聞いてほしいんだけど」


 純架が日の丸弁当をいったん放置し、俺たち3人を眺め渡す。俺はかしこまった彼を見て、まさか日向との交際の表明か、と少し期待した。


「僕が小学生時代、初めて謎を解き、そしてひとに恋した事件について話そうかと思うんだ」


 全然違った。奈緒が箸を休める。


「へえ、興味あるわね。でも何で今?」


 純架は両手に箸を握り、激しくヘッドシェイクしながら弁当箱を乱打した。


 ドラマーかよ。


「それについては後で話すよ。聞いてもらえるかい?」


 俺は自販機で買った紙パックの牛乳をストローですする。


「全然構わないぞ」


 日向も身を乗り出した。何やら複雑な表情をしているのは、俺の目の錯覚ではないだろう。


「ぜひ聞かせてください」


 純架はうなずくと、両手を組み合わせて机上に置いた。そして脳に埋まった昔の記憶を発掘し始める。




「あれは僕が小学校5年のときだった。11歳だね。僕は当時から奇行癖が顕著でね。それまで同様、友人のただ1人も出来ず、クラスからも浮いた存在だった。僕は孤独を愛するが、それにも限度というものがある。僕はあまりの寂しさと人恋しさのあまり、皆に馴染もうとしてやらかしたんだ」


 俺は卵焼きを咀嚼そしゃくした。


「ほう、何をだ?」


「エアー猪木対馬場さ。結局実現しなかったプロレスリングの最高峰カード。その実演というやつだね。僕は教室の黒板前で、クラス中の視線を浴びながら、エアー猪木を相手にした馬場を演じたんだ」


 馬鹿みたいだな。


「エアー猪木のドロップキックやブレーンバスターを食らいながらも、馬場である僕は必死で応戦した。特に足四の字固めを裏返す攻防では、何とか皆の関心を集めようと夢中になった」


 ああ、裏返すと仕掛けてる方にダメージがいくんだよな。


「でも誰からも理解されなかった。汗だくになって時間切れ引き分けで終えてみれば、皆移動教室で出払っていた。室内には僕1人だけ取り残されていたんだ。これには深く傷ついてね。以降、周囲との接触を極端に避けるようになったよ。ますます孤立したわけだね」


 まあ当然だよな。


「そして翌日、12月9日の朝だった。天候が不順でね。昨日の雨雲がまだ居座っていて、いつ降り出すか分からない空模様だった。僕は妹のあい君が友達と仲良く登校していった後、黒いランドセルを背負って1人家を出た。当時僕が住んでいた地域では小学校と中学校が近くてね。通学路を歩く人には学ラン姿やセーラー服姿の中学生も珍しくなかったんだ。僕はそんな背中を見ながらてくてく歩き、大きな横断歩道を渡った。小学校まではあと少しの距離だった」


 そうそう、純架がここ渋山台市にやって来たのは去年の春。それまでは別の県にいたんだっけな。


「そのときだったよ。灰色のダッフルコートを着込んだ、途方に暮れている女子中学生と遭遇したのは。正直可愛らしい人だった。慎ましく咲いた紫陽花あじさいのようで、栗色のポニーテールに混じり気のない黒い瞳がよく調和していた。整った鼻と唇は繊細で、白い頬はきめ細かく紅色に息づいていた。僕はどきりとしたよ。そして、何で頬を掻いたり腕組みしたり、頭を傾けたりして困っている様子なんだろうと気になった。僕はどうしたものかと思案した挙句――まあそんなに長い時間でもなかったけどね――、声をかけてみようと勇気を出した。そこでまず、木村拓哉の物真似で『ちげえしっ!』と発声練習をしたんだ」


 意味あるのか?


「喉の調子が整ったところで、僕はおっかなびっくり尋ねてみた。『どうしたんですか?』ってね。彼女は背の低い僕に、まずいところを見られたかのように照れた。汚れを知らぬ清純そうな印象だったよ」




「何かお困りですか? あ、あの、僕は桐木純架って言います。小学5年生です」


 僕が自己紹介すると、女子中学生はにっこり微笑んだ。まるで太陽が差し込んできたかのようだったね。


「ありがとう。桐木……君、私を心配してくれたのね」


 僕はもじもじと指先をもてあそんだ。


「いや、その……。僕に出来ることがあれば、何でも協力します!」


「わあ、嬉しい! 優しいんだね。私は『若宮亜里沙わかみや・ありさ』って名前よ。よろしくね、桐木君」


 車やオートバイ、自転車に歩行者。様々な人や物が行きかう中、僕と亜里沙お姉ちゃんは通学路の端で立ち話を始めた。


「それで亜里沙お姉ちゃん、何を困ってるんですか?」


 彼女は笑顔をしぼませると、額に手を当て「うーん」とうなる。


「実はね、私、大切な懐中時計をなくしてしまったの」


 懐中時計。これはまた古風だな、と僕は思ったよ。


「落としたんですか?」


「多分そうなんだろうけど、ね。私の一家――若宮家に伝わる家宝の一つなの。そうね、特徴を教えるからとりあえず覚えてね」


 その時計とは戦前の1930年代に、セイコー、当時の精工舎が販売していたオープンフェイス・機械式懐中時計のことらしい。銀枠で八角形のブルーカットクリスタルフレームを採用して、3時方向にネジとチェーンがついている。文字盤中央下には秒を刻む独立した表示があるそうだ。

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