238未来史図書館殺人事件28
純架はカーディガンの下からすりおろし器を取り出した。その本体が少し曲がっている。
「こんなこともあろうかと厨房で準備しておいたんだ。なければ致命傷だったね」
矢沢が完全にとち狂った。獰猛な牙を剥き出しにし、純架を睨みつける。
「桐木、本物の『最後の予言書』はどこだ? 教えれば楽に死なせてやるぞ」
純架は好戦的に挑発した。手招きして煽る。
「正体を現したかね、怪物め。かかってこい」
矢沢が猛禽のようなうなり声を発して純架に飛びかかる。だがそれを傍らで見物しているほど、俺は非情ではなかった。間一髪早く、俺は犯人・矢沢の片足にタックルを仕掛けていた。もろとも倒れ、テーブルの上の灰皿が落っこちる。
「富士野! 貴様……!」
これまで金縛りに遭っていた晴香さん、斉藤さん、栗山さん、須崎が、目が覚めたように一斉に俺と純架に加勢した。凶暴な獅子が暴れ回るのを、無言の連携プレイで押さえつけようとする。矢沢は驚異的な体力と腕力を披露したが、死力を尽くした全員の前でとうとう床にねじ伏せられた。
純架は矢沢がガムテープで後ろ手に拘束され、制圧された後で、荒い息をつきながらソファに座った。斉藤さんと俺と須崎が犯罪者を床に押し付ける前で、呼吸を鎮めながら質問する。
「『最後の予言書』――まあ僕が用意した偽物だけど――の炎を消した際、『父さん、やっと会えたね』とか言っていたね。矢沢、お前は江島勝さんが自分の父親だと知っていたのかい?」
矢沢は耳を真っ赤にし、興奮状態のままもがいて答える。
「ああ、俺は父さんの隠し子だ。父さんは妻の江島幸子との間に子ができぬまま齢を重ね、失望したのだろう、よその女に手を出した。それが矢沢明美、つまり俺の母親だ。子供が出来たと知った父さんは最初こそ喜んだそうだが、妻に知られてしまったらしい。結局父さんは――江島勝は俺の母親を捨てたんだ。その後、母さんは一人で懸命に俺を育て、つい数年前に病気で亡くなった。立派な、立派な親だった」
須崎が未だ抵抗する矢沢の後頭部を殴りつけた。
「何故こんな真似をしたんだ? 言ってみろ」
矢沢は少し大人しくなって答えた。
「俺は母さんの死後にこの島の『未来史図書館』に来た。少しでも父さんの軌跡に触れたくてな。そして、石井すら在り処を知らない『最後の予言書』に強く興味を抱いた。俺はどうしてもそれが欲しくなった。正当な相続人は俺だとさえ思った。そうしているうちに、つい先日、石井から今回の招待状が届いた。石井は俺が父さんの息子だということを内密に知っている。だから『最後の予言書』探しに俺を含ませたんだ」
歯軋りして続ける。
「しかし、俺は今回父さんの墓所を荒らすことになる、欲に目がくらんだ盗賊どもを許しがたかった。石井も石井だ。大目的のためとはいえ、神聖な『未来史図書館』に探偵気取りを集めるなんて……。だから島に来る前から、大方の人間は殺してやろうと決意した。手紙を受け取った直後、石井に確認の連絡を入れ、粘り強く交渉した。そうして俺以外の客の名簿を手紙で寄越させると、今回の殺人のために入念な準備をしたんだ。犯行声明の原稿用紙や川美奈との共闘構築、客室の部屋取りがそれだ」
純架は矢沢から視線を外さず、首もとのボタンを一個外した。大捕り物で暑いのだろう。矢沢が睨みあげた。
「石井は俺を江島勝の隠し子だと発表したりはしないだろうが、念のため、また後々の殺人のために、俺は奴を最初の標的とした。後は桐木、お前の言ったとおりだ。俺は順番どおりに、用意した原稿用紙のとおりの殺しをやり、紙を置いて立ち去った。俺の父さん、神である江崎勝が天罰を下したのだと悟らせるためにな」
純架が厳しく言った。
「それが動機か。ふざけるな……!」
矢沢が嘲笑する。もはや観念したのか、暴れることはなくなった。
「一方、『最後の予言書』の在り処を俺一人で推理するのは無理がある。そこで桐木、お前や須崎といった、若くて体力があり、頭の回る奴は残すようにした。というより、全員殺し尽くしたら俺が警察に捕まってしまうというのもあった。全てはうまくいっていたんだ。なのに……」
純架は矢沢が沈黙し、暴れ回った余韻でまだ荒い息をついているのを哀れむように見つめた。
「矢沢、お前は何も分かっていないね」
ソファから離れ、自分が持ち込んだバッグの中身を漁る。そこから取り出したのは、原稿用紙の束。
「ここに本物の『最後の予言書』がある」
「何?」
矢沢が起き上がろうとするのを俺たちが押さえ込んだ。純架はやっぱり、本物に辿り着いていたのだ。彼は溜め息をついた。
「向こう100年間の予言なんてありはしなかった。あったのは、こんな文章だ。読み上げるから静かに聴くんだ」
表紙をめくる。
「『矢沢和樹よ、私の息子よ。今は23歳か。興信所を通じて遠くから知っている。キャリアだから階級は警部かな? 順調な、まっすぐな成長のようで頼もしいぞ。わしの自慢の息子だ。誇りに思う。妻の遺書に従う故、何も手助けをしてはやれなかったがな』」
矢沢は無言で聞き入っている。嘘のような静けさの中、純架の声だけが朗々と響いた。
「『……さて、わしと妻との間には結局子供が生まれなかった。わしは世間に対し、未来予知が出来ると散々言い募ってきたが、あれは真っ赤な嘘だ。将来のことなど何も分からん。もし子供が出来ないと分かっていれば、幸子と結婚したりはしなかっただろう。矢沢明美、お前の母と密会することもなかったはずだ。このとおり、わしには未来を見通す目などありはしない。ずっと、そう嘘をつき続けてきたのだ』」
須崎も斉藤さんも、矢沢の背中に体重を預けながら耳を傾けている。
「『天啓を受けたとの公表も事実無根だ。わしは未来を予知できないかと思考し続ける、単なる人型の回路に過ぎなかったのだ。ではなぜ世界情勢を予言できたか? これはただの偶然だ。大量の予言――そう、莫大な数の――を日付も入れて書き、溜めて、事実に即したもののみを公表する。それがわしの予言のからくりだ。最初にまぐれで的中しさえすれば、世間は信用してくれる――まあ、わしの友人たちは騙されなかったがな――。わしは死ぬが、死んだ後は管理人の石井がわしの筆跡を真似て『実は予言していた』という形で伝説を付加してくれるだろう』」
晴香さんと栗山さんを見やると、彼女らもまた純架の朗読に集中していた。
「『ふふ、なぜこんな真似をするかって? 悔しいからだ。幸子との間に子供を授からず、人並みの幸せを享受出来なかったことが。矢沢明美という女から距離を置かれ、妻からも接触を禁じられたことが。一人息子の成長を見守れなかったことが。ひいては世界の歴史を学び、史学の権威とさえ言われたこのわしが、何一つ幸せではなかったことがな』」
純架は古ぼけた原稿用紙をめくっていく。




