237未来史図書館殺人事件27
そうして、純架は――
矢沢さんを睨みつけた。
「そうですよね、犯人の矢沢さん?」
一同が息詰まる室内で喘いでいた。全ての殺害の実行者――矢沢は、しかし泰然自若としていた。煙草を取り出して口に咥え、火を点ける。まるで大したことは起こっていないのだといわんばかりに、深々と吸って美味そうに吐いた。紫煙が純架との間にたゆたう。テーブルの上の灰皿に灰を落とした。
「ふん、全て高校1年生の妄想だ。くだらん。俺を犯人扱いして名探偵を気取るなら、当然何か物証はあるんだろうな?」
純架は視線で焼き尽くさんばかりに矢沢を凝視する。
「振り返りますが、あなたは招待の手紙が届けられるや否や狂喜乱舞し、事前に石井さんと接触して、僕たち招待客の名前を教えてもらった。そして自宅のパソコンで複数の原稿用紙に順番と名前と殺され方を印字したんだ。そして、そのことを僕らに知られぬよう真っ先に石井さんを殺し、合鍵の束を入手した……」
だから、と続ける。
「あなたの部屋に行けば、残りの招待客殺しの犯行声明をプリントアウトした原稿用紙か、石井さんの合鍵が発見されるはずだ。あなたが安西さん殺しで終わりにするつもりだったのなら、両方とも既に捨てられているかもしれません。あるいは、既に殺した人物の部屋に移しているかもしれません。用心深いあなただ、多分証拠が発見されないよう手は打っていることでしょう」
矢沢は余裕を示して煙草をくゆらす。
「たわけたことを抜かすな。俺の部屋も残りの死者の部屋も勝手に調べればいい」
純架は歯噛みした。反論できないのだ。
「やはり証拠は隠滅しましたか。残念ながら、僕は物証は見つけられなかった。最後に見つけた、ある物を除いてね」
「ある物?」
矢沢がせせら笑った。完全に馬鹿にしている。
「ある物、ねえ。じゃあそのある物とやらを提示してもらおうか。その内容次第では、犯人扱いしてくれたんだ、半殺しにしてやるよ」
斉藤さん、栗山さん、晴香さん、須崎、俺がこの火花散る攻防を前に身じろぎ一つ出来ない。純架は持ち込んでいたバッグを開いた。中から取り出したものは――原稿用紙の束。俺は首を傾げた。
「何だそりゃ」
純架は紙束を一つ叩き、乾いた音を立てた。
「これは僕を含め皆さんが血眼になって探していた、江島勝の最後の著作。あの伝説の、『最後の予言書』の原稿です!」
矢沢はソファからずり落ちそうになるほど仰天した。彼だけではない。その場にいる全員が色めき立ち、腰を浮かすものが続出した。矢沢が煙草を灰皿にもみ消し、動揺して震えた声を出す。
「何だと?」
純架は二枚のしおりを取り出した。『2/3 十字架の』『3/3 あたる場所』と書かれた、例の奴だ。
「江島さんは僕らにヒントを残していました。三枚のしおりに直筆で、ね。まだ一枚目のしおりが見つかっていませんし、今後とも果たして見つかるのかどうか分かりませんが……。最初のしおりの内容は読まなくても分かる。多分『朱に染まった』とか『紅の』とか、そんなところでしょうね。先頭に『1/3』をつけてね」
矢沢がかすれた声を出す。眩しそうに純架の原稿を見つめた。
「何でそんな事が分かる?」
純架はしおりをバッグにしまい込んだ。
「十字架は影じゃない。光だ。あの矢狭間のような十字の穴に、太陽の光が差し込んで出来上がる、日の十字架。それが当たる場所が原稿の在り処だったんです」
「おい、それは、本当に……」
「ラムセス2世が作らせたアブ・シンベル大神殿をご存知ですか? エジプトの世界遺産なんですがね。そのひどく奥に刻まれた御神体は、春分の日と秋分の日にあたる年2回だけ、入り口から差し込んできた太陽の光に照らし出されるのです」
そういえば純架はエジプトの書籍を読みふけっていたっけ。
「このことをたまたま目に付いた本で知ったとき、僕はそれを江島さんが模倣した可能性について思いを馳せた。つまり春分である明日の日の出、『紅の十字架のあたる場所』――すなわち屋根裏部屋の十字穴とは正反対の壁に、原稿が隠されているのではないか。僕は急いで天井裏に舞い戻り、調べてみました。すると思ったとおり、そこの木枠に隠される形で、この『最後の予言書』が眠っているのを発見したのです。いや、さすがの僕も興奮しましたね、これは」
純架は『最後の予言書』に、ちゃんと辿り着いていたのだ。あんなわずかなヒントから……
「そして矢沢さん、これにはあなたが犯人であると書かれていました。どうですか? 江島さんの熱烈な支持者であるあなたなら、それが事実であると認めてくださいますよね?」
矢沢は常の冷静さを失い、明確にうろたえてしどろもどろだ。
「ば、馬鹿馬鹿しい。たとえ江島勝の『最後の予言書』であっても、俺が犯人だなんて書いてあるはずがない」
思い詰めた顔で立ち上がり、純架に手を伸ばす。
「と、ともかく見せてみろよ。そいつを。『最後の予言書』を……!」
純架は後ずさりし、原稿の束を掲げつつポケットからライターを取り出した。何だ? 何をする気だ?
「そうはいきません。僕は今回、この『深津島』の『未来史図書館』を巡る連続殺人事件に巻き込まれて、正直うっとうしかったんです。ほら、殺された人たちの無念の声、叫びが聞こえてきませんか? 僕には聞こえます。矢沢さんに天誅を、天誅を……ってね」
ライターの火を見せびらかすように点ける。矢沢が、俺が、他の皆が、魅入られたようにその明かりに視線を引き付けられた。
「そして、その呪詛はこうも言っています。『「最後の予言書」を燃やして、俺たち私たちの無念を晴らしてほしい。燃やせ、燃やせ!』と。……だから、こうします」
純架が予言書に、ライターの火を当てた。たちまち炎が吹き上がり、原稿用紙を舐めていく。矢沢が狂ったように叫んだ。
「な、何て事を! やっ、やめろおっ!」
矢沢がポケットから飛び出しナイフを取り出し、刃を外気に触れさせた。純架に獣じみた速度で襲い掛かり、その腹部を突き刺す。俺は尻餅をつく親友の姿に思わず絶叫した。
「純架っ!」
矢沢はナイフを放り捨てると、純架が落とした紙束を足で踏みつけ、火を消そうとした。なかなか消えず、その場に両膝をついて手で叩きまくる。一部黒焦げになりながらも、予言書の炎はようやく鎮火された。
矢沢は傷ついた原稿用紙を両手で掴み、その胸に抱きしめた。不気味なまでの随喜がその顔に満ち溢れていた。
「父さん、父さん、やっと会えたね……! もう大丈夫、火は消えたよ……」
まるで無邪気な子供のように、現役刑事は『最後の予言書』を開いてみる。その表情が一転して曇り空になった。
「な、何も書かれていない……? これは……?」
純架が腹を押さえながら立ち上がった。
「それは僕が用意した偽物です。……これではっきりしましたね。矢沢さん……いや、矢沢。お前は『最後の予言書』のためなら平気で他人を殺害することができる人間だ。お前こそが連続殺人の犯人だ!」
俺は刺されたはずの純架の腹部が、まるで血を噴き出さないことに呆然とする。
「つか純架、腹を刺されたのに大丈夫なのか?」




