232未来史図書館殺人事件22
純架は安西さんに再度うかがった。
「本当に自分の部屋で眠るんですね?」
「喝! 我に二言はないわ!」
純架は肩をすくめた。
「じゃあしょうがありませんね。今日は全員自分の部屋で寝ましょう。矢沢さんの案で」
栗山さんが面白そうに顎を掻いた。
「ふむ、よかろう。で、順番はどうするんじゃ?」
ポットのお湯が沸騰し、蒸気を噴出した。俺は空きっ腹を撫でた。
「とりあえず飯にしましょう、飯に」
晴香さんが微笑してうなずいた。
「そうね。食べながら相談しましょう」
純架と斉藤さんが温かいコーヒーを各人に配る。安西さんは「最期の食事か……」と陰気に呟いたが、皆はもう励ます努力を放棄して今後の動きのチェックに終始した。
その結果、北東が俺、純架、須崎の順。南東が斉藤さん、矢沢さん、栗山さんの順で、各3時間交代と決まった。晴香さんは女なので、安西さんは狙われている当人なので外された。
いったん決定すると、空気は弛緩した。この警備ならば誰も殺されることはないだろう。その楽観が大勢を占めたのだ。コーヒーをすすりつつ、皆は強いて明るい話をして場の空気を紛らわせた。
たった一人、安西さんを除いて……
「我はもう行くぞ」
食事を終えた安西さんが先に立った。時計は午後10時45分を指していた。
「そろそろ引き揚げるか。皆、自分の役目を忘れるなよ」
矢沢さんも立ち上がる。俺もその言葉で緊張感を取り戻した。俺は北東の監視役を初っ端務めるのだ。純架と共に、俺はいったん自室に引き取った。
「寒いだろうから厚着していったらいい。午前2時になったら呼びに行くから、ちゃんと見張ってるんだよ」
まるで子供に言い聞かせてくるみたいで、俺は少し意地っ張りになった。厚着はしておいて、出来る限り颯爽と扉を出る。任せとけっての。
午後11時。食堂から持ってきた椅子に座り、俺は西と南に伸びる回廊の交錯する角から、狼のように監視の目を光らせた。南の端では同様に、斉藤さんがチェアに腰を下ろして、西と北の廊下を見張っている。
「結構寒いな、富士野君!」
……と叫んでいるようなのだが、何分遠いのとこの屋敷の音の伝わりにくさとでよく判別できない。俺は適当に「そうですね」と返しておいた。やがて斉藤さんは、諦めたように押し黙った。
最初はみなぎっていた緊張感だったが、何事も起こらぬ光景にやがて退屈へと変わった。そうなると睡魔が蔦のように全身に絡み付いてくる。あと2時間半もあるのか。俺は腕時計を見る頻度を高めながら、ただひたすら両眼を光らせた。まぶたが次第に重くなり、俺は腕を伸ばしたり手の平をつねったりして抵抗した。
無音の世界が展開する。斉藤さんが凝固したように動かないのを見ながら、俺は殺戮者が今にも動き出すのではないかという恐怖が次第に減じていくのを感じた。結局この監視の前では、安西さんに手を出すことなどできないのではないか。その安心感が、抵抗しがたい睡眠欲を掻き立ててくる。
眠っちゃ駄目だ、眠っちゃ……
「楼路君! 起きるんだ、楼路君」
斬りつけるような言葉で目が覚めた。俺はいつの間にか眠っていたらしい。何分だ?それとも何十分か、何時間か。気が付けば目の前に純架の腹立たしそうな双眸があった。
「監視役が寝てちゃ駄目じゃないか。全く……」
南の斉藤さんの方を向くと、腹の底から大声を出した。
「おうい、斉藤さん! 楼路君はどれくらい寝てました?」
斉藤さんは久しぶりに喋れるので嬉しそうだった。大声で返してくる。「5分もないで。こっちは異常なしや。そっちは?」と聞き取れた。俺も絶叫寸前の応答をする。
「起きてる間は何事も起きませんでした!」
純架は俺の肩をいたわるように叩いた。
「任務ごくろうさん。じゃ、交替だ、楼路君」
俺はあくびをしながら大きく伸びをした。
「もう深夜2時か……」
また純架が鼓膜に響く声を出す。
「斉藤さんも矢沢さんと交替ですね。ゆっくり休んでください!」
「おおきに!」
俺は斉藤さんと矢沢さんが入れ替わるのを見ながら、純架に見守られて4号室に入った。入るなり、ベッドに身を投げ出した。眠くてしょうがなかった。あまりにも暇で無為な時間が、俺の眠気を引きずり出し、次の瞬間には熟睡へといざなっていた。
(五)
動けない。無限の夜の中で俺はただ立ち尽くして、言うことを聞かない四肢をいぶかしんでいた。
漆黒の闇の中で、脚本家・幸島さんの呪詛が響き渡る。
「何で僕が殺されなきゃならないんだ……」
俺の足に何か手のようなものがすがりつき、俺は悲鳴を上げた。だがほとばしるはずの声は何故か無音で、俺は声にならない声で叫び続けなければならなかった。
今度は司書・美奈さんの泣き声。
「彼氏に会いたい……彼氏に会いたいです……」
「私が何故こんな目に……。皆さんを招待しただけだというのに……」
管理人・石井さんの怨念が静かに轟く。俺に言われても困る。勘弁してくれ。
「僕はどうして殺されたんですかね? 犯人はどんな心理だったんでしょうか……」
心理学者・金子さんの無念が耳元でささやかれた。俺は頭がスパークし、ただただ恐怖と戦慄とで喚きたてながら、動かぬ五体に必死で力を込めた……
「うおおおっ!」
俺はベッドから跳ね起きていた。パジャマは寝汗でびっしょりだ。冷や汗と脂汗が混合して、何とも気持ち悪かった。
室内は蛍光灯が点けっ放しだ。脇を見ると、純架がソファで眠り込んでいる。なんでソファに……と思って、そういえば俺がベッドを取ってしまったのだと思い出した。
時計を見ると午前7時43分。監視の一夜は幕を下ろしたのだ――って、まだ3人目が見張っている最中か。安西さんは大丈夫だったろうか。俺は純架が掛けてくれたのだろう毛布から這い出ると、未だ寝息を立てる彼を揺り起こした。
「むにゃむにゃ……うわあっ! ドムが、ドムが来るっ!」
アニメ映画『機動戦士ガンダム3・めぐりあい宇宙編』における、ハヤト・コバヤシのうなされ声をトレースしている。
どんな古い夢を見てんだよ。
「おい純架、純架、起きろ。朝だ」
純架はようやくまぶたを開いた。すぐに覚醒して上体を起こす。
「今何時だい、楼路君」
「7時45分だ」
「じゃあ北東は須崎さん、南東は栗山さんが、まだ警戒しているはずだね。着替えて、急いで見に行こう」
俺たちは大慌てで安物の私服を身にまとうと、4号室の外へと出た。
「おっ、起きたか、お前ら」
天才高校生探偵・須崎が北東の椅子に座って、腕と足を組んでいた。純架が大声でやり取りする。
「何事も起きませんでしたか?」
「ああ、異常はなしだ」
今度は南の窃盗の達人・栗山さんに呼びかけた。
「そっちは?」
栗山さんは両腕で頭の上に丸を作った。純架はほっと胸を撫で下ろす。
「どうやら監視は上手くいったみたいだね。でも一応安西さんを見に行こう。心配だ」
俺たちは栗山さんのいる南東の角を曲がり、南の廊下の西端、10号室へ早歩きで向かった。到着すると、早速ドアノブを回す。鍵がかかっていて、金属音と共に拒絶された。




