229未来史図書館殺人事件19
「まあ幸島さん運搬で皆疲れていたし、眠りは誰もが深かったとは思うけれどね。殺害にかかったであろう30分、いや25分程度の時間で、犯人は戻ってきて、何食わぬ顔で眠り込んだんだ。ともかく、僕にはまだ誰が殺害犯か核心を得られないよ。楼路君、全ての招待客に気をつけるんだ。いつ襲ってくるか分かったものじゃないからね」
俺の背筋に悪寒が走った。
「脅かすなよ。……俺たち同士だけか、信用できるのは」
純架は豚の肌色の全身タイツ姿でうなずいた。
いい加減脱げ。
「そういうことだよ。さあ、着いた。川さんの遺品を調査しよう」
血の匂いが漂う空間は、しかし主の不在を何とも思わぬように静かだった。俺たちはまず川さんのトランクケースをひっくり返した。もはや使われることのない替えの下着や衣類を掻き分け、旅行券や財布などをチェックしていく。しかし、犯人や『最後の予言書』に繋がるような情報はどこからも得られなかった。
「空振りかな」
「そのようだな」
綺麗に畳んで立ち上がる。今度は室内の捜索だ。純架は風呂場やトイレを、俺は首なし死体が寝ていたベッド周辺を調べた。
「ん?」
俺はベッド脇に落ちていた文庫本に気がついた。血液が表に付着しているところから、殺害時に既に転がっていたのだろう。手にしてみると、ずっしり重い大長編だ。表紙には『一夢庵邸事件』とおどろおどろしい文字で書かれている。ミステリー小説のようだ。
「どうだい楼路君、何かあったかい?」
純架が戻ってきたので、早速見せてみた。彼は久しぶりに頬をほころばせた。
「ああ、これなら僕も読んだことがあるよ。戦国時代の傾き者が、2・26事件の時代にタイムスリップして謎を解くんだ。へえ、川さんも好きだったんだね。血痕からして犯人はこれに気がついていたとしか思えないけど、大して気にも留めずに放置したんだろう。矢沢さんもこれは撮影しているはずだし、動かしても問題ないね」
純架はペラペラとページをめくった。そこでふと指を止める。
「おや? これは何だ?」
開いた箇所に、厚紙のしおりが挟まっていたのだ。それには『2/3 十字架の』と書かれていた。俺は覗き込み、手書きの文字に首を傾げる。
「2月3日か……」
純架はしおりをつまみ上げ、表と裏を繁々と眺めた。裏には何も書かれていない。
「古いしおりだね。外に飛び出していた部分と内側とで変色の差がある。それに、この文字は万年筆だ。どうやら江島勝さんの筆跡のようだね」
俺は当然の質問をした。
「何でそんなことが分かるんだ?」
純架はしおりを指し示した。
「『架』の文字の形だよ。江島さんの指示書にあった僕の名前――まあ、石井さんが江島さんの筆跡を真似て書いたと僕は信じてるけど――の、『純架』の『架』の部分が瓜二つなんだ」
俺はその事実とそれを記憶していた純架の脳味噌の両方に驚いた。
「よくそんなもの覚えてるな」
純架は取り合わず、再び繁々としおりを検める。
「……にしても、何故『の』で終わってるんだ? 続きを書くスペースは十分にあるというのに」
俺は馬鹿みたいなことを口走った。
「あぶり出しとかじゃないか? 加熱すると文字が浮かび上がってくるとか」
「紙が燃えちゃうじゃないか。まあ、最後の手段として考えてはおくけどね。ともかくこれは江島さんが残したヒントの可能性が高いね」
俺は頭を振った。『十字架の』だけじゃ、何の手がかりにもならないからだ。
「『十字架』にも意味はごまんとあるだろう。例えば図書館内の本で取り扱っているにしても、その規模は数千、数万とあるだろうし、それを一から探していくのは現実的じゃないぜ」
純架は分かっているとばかりに首肯する。結論を述べた。
「何にしてもこれは川さんがこの屋敷で発見し、自分の持ってきた本に挟んでおいた――そう見て間違いないと思う。多分彼女にも意味は分かってなかったんじゃないかな。ただ川さんを殺した犯人――『内密の協力者』は、このしおりの存在に気付かなかったんだろう。それとも気付いたけど、意味が分からなくて敢えて戻しておいたか……」
純架は文庫本を床に戻し、つまんだしおりを左右に振った。
「ともかく楼路君、このことは僕らだけの秘密に……」
突然聞きなれたきざな声が響いた。
「そうはいかないな」
純架が驚いた猫科の動物のように跳ね上がった。俺もびっくりして変な声を出してしまう。純架は振り向いて、いつの間にか侵入してきていた人物に目を見開いた。
「須崎さん! いつからそこに?」
須崎は俺たちを仰天させたことに悦に入っているようだった。悪趣味な奴。
「気付かなかったのか? さっきからいたぞ。相変わらずこの屋敷の防音効果は無駄に高いな。……にしても、『2/3 十字架の』か。これは記憶に留めて置く必要があるな」
ということは、彼もこのしおりの存在を初めて知ったのか。いや、そう見せかけているだけなのかも。
そこへ斉藤さんが血相変えて駆け込んできた。俺は彼の真っ白い顔にただならぬ事態が起きたことを悟った。
「どうしたんですか?」
斉藤さんは息を乱し、両手を膝につく。
「さ、三人とも大変や! しょ、食堂に、殺害予告の原稿用紙が置かれていたんや!」
純架が顔色を変えた。
「何ですって? 行こう、須崎さん、楼路君!」
駆けつけてみると、食堂には残りの招待客全員が集まっていた。純架が息せき切って尋ねる。
「矢沢さん、原稿用紙は?」
「これだ」
テーブルの上に置かれた紙を指差す。俺と純架、須崎は急いで眺めた。
『5人目・安西信勝……刺殺』
原稿用紙にはそう印字されていた。須崎がしんとしている一同に質問を投げかける。
「誰だ? 誰がこの原稿用紙を最初に発見したんだ?」
矢沢さんが口ごもった。
「それが……」
そこで突如、安西さんが涙を噴き出し、慟哭を開始した。大きな声でおいおいと泣き、滂沱と落涙する。
「喝! 我が見つけたのだ! 犯人は江島勝の亡霊だ、皆彼の予言どおりに殺されるんだ! 次は我の番だというわけだ! 喝! 我が主宰する『幸せの便り』はどうなってしまう……! うおおっ!」
顔を歪めて号泣し、両膝から床に崩れ落ちた。誰も彼にかけてやる言葉を見つけられないでいる。そんな中、純架が声を励ました。
「落ち着いてください。まだ殺されると決まったわけではありません。皆で固まって助けを待てば、犯人は何の手出しもできやしません」
安西さんは激しい憎しみを込めた目で純架を睨みつけた。
「喝! 何を言うか! 昨夜も客間で枕を並べて眠りはしたが、川美奈は殺害されてしまったではないか! 悪霊の攻撃になす術などどこにもないわ!」
晴香さんがサングラス姿のまま頬を押さえた。血の気が引いている。
「部屋の合鍵は犯人に握られているし、原稿用紙の犯行声明がなくても金子さんは殺されてしまったわ。もう安全な場所、無害な人間なんて、この館には一つもないのよ!」
安西さんから始まったヒステリーのような恐怖は、晴香さんを通じて矢沢さんにも伝播した。
「犯人は無敵だ。どんな手段を用いても必ず原稿用紙どおりに殺してくる。これを防ぐ術があるというのか? 刑事の俺でさえ、もはや見当がつかん……!」




