228未来史図書館殺人事件18
俺は寝ぼけまなこを擦りながら彼女に問いかけた。まだ江島勝の亡霊に殺された余韻が残っていて、気分は最悪だった。
「どうしたんですか、河島さん?」
小説家は俺の両肩を掴んで揺さぶった。まるで叩き起こすかのように。
「いないのよ! 川さんがいないのよ!」
天才高校生探偵・須崎が耳をほじりながら半身を起こしている。迷惑そうな面だった。
「落ち着いて、河島さん」
ミステリー愛好会・斉藤さんも大きく伸びをする。
「せや、取り乱すばかりじゃわいらも分からへんよ」
刑事・矢沢さんはいち早く覚醒したようだ。
「川がいない……?」
窃盗の達人・栗山さんはけたけたと笑った。
「ほう、それは本当かの? お主がさらって殺したんじゃなくて?」
晴香さんが烈火のごとく怒った。サングラスの奥で鮮烈な眼光が閃く。
「馬鹿なこと言わないでよ!」
霊能者・安西さんが片手で拝んだ。この人はマイペースだった。
「喝! まずは恐怖を鎮めよ。落ち着いたら順序良く話したててみい」
晴香さんは腕を組み、その場で円を描くように歩き回った。やがて立ち止まり、ふっと溜め息をついて口を開く。
「順序良くも何も、目が覚めたら姿がなかったのよ。どこかに一人で出かけたんだわ、きっと。でもどこへ……?」
純架はさすがに豚の被り物を隅へ放った。付け鼻もむしり取る。
「まず大切なのは僕らがバラバラにならないことです。全員で、とりあえず川さんの8号室へ行ってみましょう。そこでいなければ、各部屋を回って捜してみましょう」
矢沢さんを先頭に、俺たちは寝巻き姿のまま客間を出た。廊下を歩きながら、図書館員・美奈さんの無事を祈ったのは俺だけではないだろう。純架は最悪の結果を覚悟しているらしく、その目は座っていた。
「ここだ」
俺たちは8号室の前まで来た。矢沢さんがドアノブを捻ると、苦もなく扉が開く。中を覗くと……
「嫌ぁっ!」
晴香さんが顔を覆ってうずくまった。室内の奥に、美奈さんの物である生首が、胴体から切断された状態で転がっていたのだ。その目はうつろに宙を見つめ、生命の痕跡はどこにもない。
純架が口元を押さえて憤激と失意を露わにした。
「これは酷い……!」
俺たち男たちは入室し、内部を検めた。須崎がベッドに寝ている首なし死体を嫌そうに見つめた後、テーブル上の紙片に気付いた。
「また原稿用紙だ。何々……? 『4人目・川美奈……斬首』」
矢沢さんが歯軋りした。奔騰する激怒を抑えかねる、といった風だった。
「今度は首斬りか……! 犯人は慈悲がないのか?」
純架が彼に尋ねた。無残な遺体に吐き気をこらえながら。
「どうですか矢沢さん、死体から何か分かりますか?」
現役の刑事は荒い息をつきながら、それでも努めて冷静であろうとする。
「首を切断した割には出血が少ないな。撲殺か絞殺か、ともかく殺してから頭を刎ねたに違いない」
須崎がベッドの胴体部を眺めている。
「切断面が粗いな。刀などではなく、のこぎりでも使って削ぎ落としたんだろう。見ろ、シーツが若干切られている。原稿用紙の文句のために、二重に殺されたといったところか」
俺はその冷徹な物言いに、かっと逆上した。
「川さんは本当に犯人じゃなかったんだ。須崎さん、謝ってくださいよ、彼女に!」
須崎は少し驚いた後、鼻で笑って却下した。
「ふん、馬鹿馬鹿しい。そんな無益なことするかよ。……ともかく焦点としては、どうやって犯人は川さんをこの部屋まで引きずり出したかだな」
斉藤さんが断言した。
「決まっとる。川さんは犯人と親しかったんや。そうでなければこっそりとここまでおびき寄せられへん」
矢沢さんは異議を唱えた。
「いや、別に親しくなくとも、客間の外の廊下にさえ何か口実をつけて引きずり出せば、絞め殺してからここまで運ぶことはできる。彼女の体は軽いからな」
純架は斉藤さんの意見を支持した。
「いいえ、やはり2人は親しかったとみるべきでしょう。もし絞殺に失敗して客間に逃げ込まれたら、騒音で誰かが目を覚ましてしまいます。皆が寝静まってから連れ出すにも、音を立てないような繊細な動作が要求されたはずです。川さんがそれを果たしたのは、やっぱり犯人をそうだと知らずに信頼して、ついていったからに違いありません」
須崎は熱心に首肯した。純架の言を補強するように繋げる。
「そうだろうな。そして、親しくなったのはこの『深津島』に来てからではありえない。恐らく渡航前、既に連絡を取り合っていたのだろう。『最後の予言書』探しで協力関係を結んでいた、そんなところだろうな」
安西さんが断固たる口調で主張した。
「むごい話だ。やはり犯人は人間ではない。きっと江島勝の悪霊だ!」
俺は二晩続いた悪夢を脳裏に鮮明に蘇らせた。腹の底まで染み渡るような恐怖が膨れ上がり、それに全身を絡め取られる。
純架の厳しい声がそれを断ち切った。
「思考停止はいけませんよ、安西さん。ともかく矢沢さんに現場を撮っていただいてから、不幸な彼女を管理人室へ運びましょう」
俺は唾を飲み込んだ。
「だ、誰が川さんの首を運ぶんだ……?」
一同はしんと静まり返った。やがて斉藤さんが意を決したように名乗り出た。
「わいが運びます。彼女の痣を、わいは心配しとったんや。天国では彼氏にぶたれることもなく、平穏に暮らしてほしいと思っとりやす」
声もなく、彼の思いは承諾された。
美奈さんの処置を済ませた俺たちは、再び客間に集まった。矢沢さんや晴香さんを初めとして、皆意気消沈している。壁時計の針が秒を刻む音が、やけに耳障りに聴こえるのみだった。
純架がコーヒーを飲み干して立ち上がった。
「川さんの部屋をもっとよく調べておきましょう。あるいは彼女なりに何か犯人に繋がる証拠を残していたかもしれません。もっとも、犯人がそれを見落としていた場合に限りますが……」
晴香さんは鼻をぐじゅぐじゅ言わせ、涙声で呟いた。
「私は行きたくないわ。もうこんな島、一分一秒だって居たくない!」
純架は周囲を見回した。誰も頭を上げるものはいない。
「では、皆さんはここに集まっていてください。僕は楼路君と行ってきます。さあ行こう、楼路君」
俺と純架は客間を出て西の廊下に出た。南進して南西の角を曲がる。再び8号室へ向かった。
俺はげっそりとしていた。
「何だかもう、俺たちの平穏な日常はどこへ飛んで行っちまったんだって感じだな……。純架、連続殺人の犯人については見当もつかないのか?」
純架は首を縦に振って肯定した。中世ヨーロッパの貴族のような黒髪がつられて揺れる。
「さすがに招待客自体が殺されて減っていってるんだから、必然、犯人も絞り込まれてきてはいるんだけれど……。証拠がない。誰もが殺害の機会を持っていたように思うし、犯行は綱渡りの連続のようなものだと思う。よくこれまで尻尾を掴ませないなと驚嘆せざるを得ないよ。特に川さん殺しは、犯行中に誰かが起きて客間をじっくり見渡せば、それだけでご破算になる可能性があったんだからね。当時、犯人と川さんだけが客間から8号室に移動していたわけだし」
俺は暗澹とした。犯人を強運が保護しているとしか思えない。




