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023タカダサトシ事件07

 華原がうなずく。


「高田聡は僕らの憧れの人物なんです」


 その目は恍惚(こうこつ)陶酔(とうすい)に満ちていた。


「そう、彼は古志君を()らしめたんです。僕らを助けるために……」


 そこで邪魔が入った。


「おうおう、別のクラスの奴が何俺の舎弟を尋問してんだよ」


 割り込んできた生徒は、眉毛がないことからすぐに誰だか見分けがついた。彼が1組担任の青柳先生と取っ組み合い、謹慎に追い込んだ、皆川源五郎その人だ。


「何だ、女みてえなツラしやがって。オカマか?」


 皆川は耳障りな声で純架を値踏みした。ポケットに手を突っ込んでじろじろ眺め回す。


「誰だか知らねえが自分の教室に帰りな。真島と華原も嫌がってるぞ。なあ!」


 話を振られた二人は、さっきまでの心酔(しんすい)の目はどこへやら、すくみあがって震え出した。明らかに恐怖の色がある。


「う、うん……。人のこと根掘り葉掘り聞くなんて、最低……だよ」


「そ、そうだよ。安心してよ皆川君。僕ら、何も喋ってなんかいやしないから……」


「当然だ」


 皆川は豪快に笑った。と思いきや、一転、俺たちをにらみつける。


「聞いただろう。さあ、帰れよ。お前らは邪魔者なんだよ」


 気がつけばクラス中の視線がこちらに集まっていた。静寂が耳に痛い。純架は肩をすくめた。


「今日のところは引き下がろう。帰るよ、楼路君」


「しかしな……」


 純架は俺の手首を掴み、強制的に引っ張る。


「さあ、もたもたしないで」


「分かったよ」


 俺たちは追われるように1組の教室を出た。皆川の陰気な笑い声が糸を引いた。




「何よあいつ! まるで私たちをゴミみたいに扱ってさ」


 奈緒は怒り心頭に発していた。自販機で買った紙パックのコーヒーをやけになったように飲む。俺は付き合いながら、頭は先ほどの二人の話にざわめき返っていた。


(2組の高田聡を崇拝するって……。高田は太っちょらしいし、どう考えてもカリスマって感じには思えないんだけどな)


「真島君や華原君も、何であんな最低な奴に従ってるのよ。意気地(いくじ)なし!」


 奈緒の怒りは治まらない。


(1組の連中は皆川を恐れているみたいだな。まああんな凄い形相の奴、相手にしたいと思う(やから)はいないだろうよ)


 純架は壁に寄りかかり、あごをつまんで何やら考え込んでいた。


「……よし」


 一つ思いついたらしく、純架は廊下を歩き出した。俺はその背中に問いかけた。


「どこ行くんだ?」


「2組」


 やっぱり高田聡に聞き込みするようだ。俺は廊下を眺めながら、紙パックの牛乳を飲んだ。やはりもうちょっと背を伸ばしたかったのだ。


 2組に純架が入る。と思いきや、太っちょを引き連れてすぐに出てきた。あれ? あれは高田聡か?


 俺が目をしばたたいていると、純架と太っちょは1組に入っていった。おいおい、これはどういうことだ? 純架の奴、何をやろうとしている? 気づけば俺はまだ少し残っていた牛乳を放り出し、1組へ全速力で駆け出していた。


「朱雀君?」


 奈緒の呼びかけも無視。俺は短距離走の選手のように、短い廊下を最速で走り抜けた。1組から悲鳴と怒号が上がる。心臓が早鐘のように鳴り響く中、俺は戸口に掴まって押し開けた。


 騒擾(そうじょう)が視界に飛び込んでくる。何と太っちょが、真島の襟元を両手で掴み上げ、窓ガラスに押し付けているではないか。それを純架と皆川、他の生徒たちが遠巻きに眺めていた。


 俺は純架の肩にすがりついた。


「おい純架、これはどういうことだ。あの太っちょは高田聡か?」


 純架はいたって冷静だった。


「そうだよ、2組の高田君だ。僕が『ねえ高田君、君を古志君突き落としの犯人として北上先生に告発した二人を、僕は知っているよ。1組の真島君と華原君だ。何なら案内するよ』と申し出たのさ。それでこうなったんだ」


 俺は開いた口が塞がらなかった。


「馬鹿か、純架! 真島と華原が半殺しにされるぞ!」


「そのときは僕が割って入るさ」


 俺はふと隣の皆川を見た。奴はさっき俺たちを追い出したときのような迫力と威圧はどこへやら、縮こまって黒板のあらぬ方に目を遊ばせている。まるで小動物だった。真島や華原をかばう様子は見られず、闖入者(ちんにゅうしゃ)である高田に好き勝手にやらせている。


 俺は皆川を軽蔑した。こいつは女のような外見の純架にはどすの利いた声で威嚇(いかく)する一方、暴走族『露邪亜』の一員という触れ込みの高田に対しては、何も話しかけるどころか注意さえ出来ないでいる。強いものには弱く、弱いものには強い。典型的な臆病者だった。なんて恥ずかしい奴だ。


 華原は相棒の真島が暴行を受けていてもおろおろするばかりだ。いや、華原に限らず、教室の誰もが手を出せないでいた。


 高田が指に力を込める。


「てめえ、てめえが俺をはめようとしやがったんだな?」


 真島は苦しそうに顔を歪めていた。


「はめてなんかいない。古志君を突き落としたのは高田聡だ」


「だから、高田聡は俺のことじゃねえか! てめえ、よくも全く関係のない俺様を利用したな! 俺と古志の族が対立しているのを知ってて俺に罪をかぶせようって訳か?」


 真島の苦悶の表情がいよいよ切羽詰(せっぱつま)ってきた。


「違う、君は関係ないよ。確かにあの時、君ではない高田聡が現れて、古志君を僕たち――僕と華原君の目の前で捨ててくれたんだ」


 高田は少し力をゆるめた。


「つまり俺以外に高田聡がいるってことか?」


「うん。そうだよ。現れたんだ、高田聡が。彼は古志君を許せず、だから成敗したんだ」


 高田が更に何か言おうとしたとき、昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。高田は舌打ちすると、真島を締め上げていた両手を離した。真島は咳き込みながらその場にくずおれる。華原がひざまずいて真島をいたわった。


「見世物じゃねえぞ!」


 高田の大喝に生徒のみならず教室さえも震え上がったかのようだ。高田は肩で風を切るように教室を出て行った。彼の姿が見えなくなると、パンパンに膨れ上がった風船のような室内の緊張が、一気にしぼんで弛緩(しかん)した。安堵(あんど)の声と吐息がそこかしこで発生する。


 純架はあごをさすった。


「帰ろう、楼路君。午後の授業が始まる。邪魔したね、皆川君」


 純架は何も出来ずにいた皆川を蔑視(べっし)すると、俺と共に1組を出た。




(もう一人の高田聡、か……)


 俺は授業も上の空で、真島の言葉を脳裏で反芻(はんすう)していた。


(でもあの現場には逃げた真島と華原、落とされた古志の三人しかいなかった。もう一人の高田聡はどこから来て、どうやって古志を突き落とし、どこへ去っていったんだ?)


 窓の外はいい天気だ。うららかな春の終わり、猛々(たけだけ)しい夏の始まり。季節の重なる淡いときが静かに流れていた。


(そう、「どうやって」は問題だ。古志は喧嘩最強、半端なく強い。二人がかりならともかく、一人では高田聡に勝ち目なんてないはずだ。いや、もし高田聡が古志を上回る格闘技能を備えていたとしても、やっぱり手すりの向こうへ単独で投げきることはできないだろう。それこそ超人でもない限り……)


 考えているうち予鈴が鳴った。今日の授業は終わったのだ。




 俺は純架と共に1組へ向かった。中断された真島・華原への聴取を再開するためだ。皆川の目が光ったが、さっき情けない姿をさらしたことを恥じたのか、今度は何も言わなかった。


 二人は仲良く帰ろうとしていたところで、俺たちの参上を迷惑がった。真島が皆川の方をちらちら見る。


「皆川君に怒られちゃうよ……」


 純架はさとした。


「大丈夫、今回は何もされないよ。ともかく僕たちは、あのとき現場にいた君たちに色々教えてもらわないとならないんだ」


「……分かったよ」


「じゃ、まずは……。君たちが言う『高田聡』君はこの学校の生徒かい? それともOB?」


 華原が答えた。


「違う。この学校とは関わりない」


 俺は彼らの目に崇拝の輝きが宿るのを見逃さなかった。純架が次の質問を飛ばす。

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