227未来史図書館殺人事件17
安西さんが雰囲気ぶち壊しなツッコミを入れる。美奈さんは頬を膨らませた。
「なら私が真っ先に毒見します。それでいいでしょう?」
安西さんは「ぐぬぬ」と呻いて引き下がった。相変わらず何なんだ、この人。
俺たちは冷めた食事を、これだけは温かいコーヒーで喉の奥に流し込み、とりあえず夕食を終えた。腹は6割方満たされたといったところだ。贅沢はいえないのが悲しい。
矢沢さんが立ち上がり、一同を見渡した。
「さて、今夜はどうする? このまま全員で客間で寝るのが、犯人から身を守る一番いい方法だと思うが。もちろん、電気は点けっ放しでね」
正論である。状況が状況だけに異論は出ないかと思ったが、晴香さんが反旗を翻した。
「嫌です。男たちに囲まれて寝るなんて真っ平ごめんです。シャワーだって浴びたいですし」
美奈さんは恐る恐る発言した。
「わ、私は構いません。客間で寝ます。でも、おトイレとかどうしましょう。居間に設置されていますが、そこへ一人で行くのは怖すぎます」
俺は胸を叩いた。
「何なら俺がついていきますよ」
栗山さんが疑り深そうに俺を睨んだ。
「ふん、そんなこと言って、殺す機会をうかがってやしないかの?」
俺は中っ腹で怒鳴った。
「何で俺が犯人扱いなんですか!」
純架が仲を取り持とうとする。
「まあまあ。……ただ、犯人が各部屋の合鍵を所持していることは確実です。個室に戻って一人で眠るのは危険すぎるでしょう。不満はおありでしょうが、やっぱりここで寝てください。シャワーに関しては、少々大げさですが、全員で見守りましょう。すなわち、これから各人がそれぞれの個室でシャワーを浴びるのを、他の全員でドアの外から見届けましょう。それで我慢していただけませんか、河島さん」
晴香さんは美少年である純架にこうまで諭されると、うなずかざるを得ないらしかった。
「寝ているところを痴漢されないか不安だけど……そこまで言うならそうするわ」
栗山さんが余計な一言を飛ばす。
「ふん、自意識過剰なんじゃ、お主は」
「何ですって?」
純架は苦笑いして両者をいさめた。
かくして9人全員が一人ずつ身を清め、残りが各部屋の前でそれを待った。2号室の晴香さんのターンは長く、一体どこまで念入りに洗っているのかと俺は思った。出てきたときは頬が紅色で、すっぴんを隠すためにサングラスをかけていた。
「あんまり見ないでよ。じゃ、次行きましょう。私はもう早く寝たいから、さっさと済ませてほしいんだけど」
勝手なことを言う。
3号室の須崎は手短に終えて出てきた。
「全く、何で俺まで犯人に怯えるような真似をしなきゃならないんだ。くそっ」
斉藤さんが彼の肩を叩く。
「まあまあ、そう言うても他に身を守る方法はあらへんやろ。ここは辛抱や、辛抱」
矢沢さんも叱咤した。
「我慢しろ。助けが来るまでの間だけだ」
美奈さんがのん気に言った。
「ここの水って、やっぱり溜めた雨水なんですかね?」
矢沢さんがうなずく。
「恐らくな。浄化設備でもあるんだろう。さあ、次は4号室だ」
純架が俺に目配せした。
「僕と楼路君は順番でシャワーを浴びよう」
「そうだな」
「ついては、汗を流す前に一汗かきたい。ちょっとラジオ体操をさせていただきます」
純架はラジオ体操第一を行ない始めた。あの音声そっくりの声真似を喋りながら、「斜め上!」などとのたまいつつ。延々と腕を振り腰をひん曲げ、飛んだり跳ねたりする。第一だけで終わるかと思ったら、第二にしれっと移行した。
お前、調子に乗り過ぎだ。
「よし、じゃあ風呂に入るか! 皆、覗かないでね」
純架はウインクすると、ドアを開けて室内に入っていった。一同をどっと疲労感が襲ったようだった。
よく考えてみれば寝る際の掛け布が必要だった。そのことをうっかり忘れていた9人は、皆が身を洗い清めた後、改めて各部屋を移動してシーツを集めた。時刻は深夜0時を回っていた。
ここまで団体行動は順調だった。これなら犯人が中に潜んでいたとしても、手出しが出来るはずもない。広い客間に戻ってきた俺たちは、疲れているものいないもの、それぞれあくびをして目を擦った。
美奈さんが少し嬉しそうに声を弾ませる。
「な、何だか修学旅行みたいです」
晴香さんがサングラスをかけたままうなずいた。
「女同士、身を寄せ合って寝ましょうね、川さん」
「はい」
かけたまま寝る気なのだろうか……
斉藤さんが俺と須崎の肩に腕を回して抱き込んだ。地味に痛い。
「わいたち男連中も仲良くせえへんとな。客間の電気は矢沢さんの言う通り点けっ放しにしとこうや。ほな、わいはもう眠りまっせ。二人とも、殺さんといてや」
「殺しません」
俺と須崎の声がハモった。
短い議論で、女はソファで、男は床で雑魚寝することに決まった。床暖房なので寒さに凍えることもない。ただ床はフローリングで、ごわごわして関節が痛みそうだった。
俺は壁とテーブルの間に身を横たえてぼやく。
「やれやれ、寝付けるかな」
純架が豚の被り物と付け鼻、全身タイツという「寝巻き」姿で横になっている。この姿について、彼から説明は一切なかった。というか、よくキャリーバッグに入ってたな、その頭部。
「楼路君、眠れないなら僕が柔道技で絞め落としてあげようか? きゅっとね、一瞬だよ」
「あほか」
いざ寝ようとするとなかなか眠れない。周囲からいびきが立つのを耳にすると、何となく取り残されたような気がして焦る。俺は寝返りをうって羊の数を数えた。一匹、二匹、三匹……
ふと気がつくと、あの『未来史図書館』の中に立ち尽くしていた。薄暗い中、書架はスーパーコンピュータのように整然と並び、果てが見えないほど奥へ奥へと続いている。辺りは無人で、生命あるものは自分だけのようだった。
「純架! どこだ!」
俺は親友の姿を捜し回った。大声を出して歩き出す。回廊のような通路は無限に思えるほどで、俺の声は薄闇に吸い込まれて空しく消えた。
と、その時だった。腰から下がない老人が、巨大な鎌を握り締めて前方にその姿を現した。明白な殺意をほとばしらせ、俺に向かって宙を遊泳してくる。鋭利そうな刃がぎらりと光り、俺の首を掻っ切るために振り回された。俺は腰が抜けて尻餅をつき、その結果、僥倖にも初太刀をかわす。
「荒らすな……荒らすな、盗人め……!」
這いつくばって逃げる俺を、恨めしげな声と共に追いかけてくる。これは江島だ。江島勝の亡霊が、俺たちを殺しに来たのだ。俺は前のめりに倒れ、慌てて反転した。ちょうど亡霊が鎌を振り上げたところだった。
「盗人め、くたばれ……!」
俺は震え上がり、声を発することもできず、ただ自分が殺されるのを傍観するだけで精一杯だった……
(四)
俺は悪夢から目覚めた。いや、救い出されたというべきか。作家・晴香さんが大声を放ちながら周囲を徘徊しているのだ。
「起きて! みんな起きて!」




