212未来史図書館殺人事件02
外から野球部のノック音が遠く聞こえる。
「そして55歳の時、妻の幸子の病死をきっかけに、無人島『深津島』に図書館を建てることを決意した。どれだけ歴史を学んでも人は救えない、そのことがショックだったらしい。勝は変わった。あれだけ好んでいた人付き合いも断ち、図書館建設が終了すると、大量の書物と共にこの辺ぴな島に移住した」
純架は熱心に読み上げた。
「以後は島から出ることもなく、取り憑かれたように独自の研究に打ち込んだ――『未来史予測』である。過去の歴史から将来何が起きるか推測できれば、自分のやってきたことも無駄でなかったと信じられる。だから没頭した。そしてその異常な研究は実を結ぶ。なんと2003年のイラク戦争勃発を正確に当てたのだ」
げげっ。そいつは凄いな。本物の予言じゃないか。
「勝は1999年、雷雨激しい晩に、そのことを原稿用紙3枚に詳しく書き込んだという。天啓を受けたようだったと後に語っている。しかし当初は歴史家の友人たち――勝の住む島まではるばるやって来た――からまるで信用されず、大いに傷ついたという。勝は更に引きこもった。そして失意のまま、16年前、64歳の時病没する」
イラク戦争勃発の前年に亡くなったのか。予言した当人は、死後にその正しさを証明されたわけだ。空しい話である。
「その後、サダム・フセインの拘引やバラク・オバマ大統領の誕生などが予言どおりに生じると、勝の異常な未来予知について世間が騒ぎ出した。2011年にアメリカ軍が引き揚げて戦争終結が宣せられると、インターネットを中心に江島勝の名は大いに取り上げられた。『神』『新世紀の予言者』とまつり上げられ、マスコミや宗教団体がこぞって無人島に取材に来たという」
そして――と、純架は舌なめずりをする。
「図書館の管理人・石井は、それらを謝絶し、ネットで噂された『最後の予言書』についても口を濁し、島から丁重に追い返したという。……以上だよ、楼路君」
俺はぬるくなったコーヒーを一口飲んだ。砂糖は入っているはずなのに、やたらと苦かった。
「まだ俺がネットをやっていない頃の話か。通りで江島勝の名前は知ってても、その活動に関しては無知だったわけだ。そうか、思っていたより凄くて……悲しい人だったんだな」
純架はスマホをポケットにしまい込む。中世ヨーロッパの貴族のような髪を撫でた。
「未来予知といえば、『ノストラダムスの大予言』って聞いたことあるかい?」
俺は記憶巣をまさぐった。
「ああ、何か聞いたことがあるような……」
「1973年に祥伝社から発行された、五島勉の著書だよ。僕らが生まれる前の時代に流行った本でね。1503年に誕生して、ノストラダムスのペンネームを持つミシェル・ド・ノートルダム――医師・占星術師・詩人・料理研究家であったらしい――が書いた本『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』を取り扱っているんだ。これも未来を予知しているという触れ込みでね。ノストラダムスがアンリ2世に語った『1999年7の月に恐怖の大王が来るだろう』という点を誇張し、その月に人類が滅亡すると解釈したんだ」
そうそう、俺の前の親父がそんな話を面白半分に語っていたっけ。でも……
「おい純架、今は2018年だぞ。1999年って、とっくに過ぎてるじゃないか」
純架は苦笑する。
「その通り。予言は大外れ、というわけさ。ただ当時の日本人は、五島さんの著書に傾倒し、ひどく恐怖していたらしいよ。世間の終末思想もあり、『ノストラダムスの大予言』はシリーズを重ねて随分と売れたようだからね」
「ふうん。まるで江島勝だな」
「そうさ」
純架はその目に鋭さをみなぎらせる。
「僕は江島勝の未来予知を信じない。予言なんてものは人を惑わし、たぶらかし、不安に陥れるだけで、実を伴わないものだと考えるからさ。『ノストラダムスの大予言』のようにね。当時の研究者たちは予言が外れても責任を取らず、『解釈が間違っていただけで「予言集」は本物だ』と逃げていたそうだしね。結局いい加減なものなんだよ」
肩をすくめる純架に、俺は相槌を打つ。
「なるほどな。まあ俺も同じ意見だな。でも、その江島勝の『最後の予言書』を探しに行くんだろ? 本当にやる気あるのか?」
「依頼とあればね、引き受けないわけにはいかないよ。僕らは『探偵同好会』なんだからさ」
そう格好つけて喋ると、鼻フックを引っ掛けて変顔を誇示した。
もう一度聞く。本当にやる気あるのか?
(二)
3月17日。空は嘘のように澄み渡り、夢幻の青を道行くものに背負わせていた。今日は寒さがぶり返し、渋山台高校のブレザーを着てきて正解だった。
俺と純架は封筒に同梱されていたタクシーチケットを使い、指定された集合場所に到着した。あれからお互いの両親や先生方と話し込み、何とか5日間の休みを貰うことに成功したのだ。これで50万円が俺のふところに転がり込むまで、後は石井輝久さんの許可を得るだけとなったわけだ。何を買おうかな、と心は早くも億万長者気分だ。
港の停泊所には『深津島』へ行くと見られる他の招待客が既に到着していた。早くも打ち解けて和やかに雑談している人もいれば、気色ばんで黙りこくっている人もいる。純架がキャリーバッグを引きずりながら、俺に耳打ちする。
「さすがに3キログラムの鉄アレイが2個も入っていると重たいよね」
捨てろよ。
「それはともかく、どうやら彼らも石井さんに呼ばれたらしいね。5日間お世話になることだし、軽く挨拶しておこうか」
「同感」
だが純架が話しかけるより早く、向こうから話しかけてきた。
「何や! 君らも石井輝久さんに呼ばれたんか!」
年齢は40代半ばか。中肉中背の体格だ。でこぼこの多い顔面で、特にまぶたと頬は張り出ている。出っ歯で前歯が露出しており、身長は180センチ近辺と大柄だ。緑のジャケットを羽織って黄土色のパンツを穿いていた。
「あなたは?」
何が面白いのか、男は大笑いした。
「わいは斉藤篤彦や! 全国規模のミステリー愛好会『迎桜会』って知っとるか?」
「芸能界ですか?」
「ちゃうちゃう! 桜を迎えると書いてげいおうかいや!」
純架は心当たりがないらしく、首を振ってそのことを示した。
「いえ、寡聞にして存じません」
斉藤さんは情けなさそうな顔で俺を見た。
「君は?」
「いや、俺も全く聞いたことありません」
彼は大いに嘆き、笑顔を散らせた。
「何や、ご存知だったのは幸島さんだけかい! 結構井の中の蛙状態だったんかな? これでも日本各地で親交会や研究会を開催してきたんやけどな」
深々と溜め息をつく。心底がっかりしているようで、何だかこっちが悪いことしたみたいな気持ちになってきた。純架も同様らしく、話を切り替えようとする。
「ミステリー愛好会、ですか。例えばシャーロック・ホームズやエラリー・クイーン、アガサ・クリスティとかですか?」
斉藤さんは一転、自慢げにふんぞり返った。
「何を舐めとんねん。そんな古典はとっくに考察・研究済みや! わいらは古今東西、ありとあらゆる小説に通暁し、次代の隠れた才能を発掘するのが目的の高尚な会なんやで!」




