211未来史図書館殺人事件01
(一)
もう3月も中旬。俺、富士野楼路――そう、もう『朱雀楼路』ではないのだ――は、渋山台高校旧棟1年5組の『探偵同好会』の部室に一番乗りを果たした。単に鍵当番で真っ先に行かねばならなかったというだけではある。ともかく束の間の孤独を有意義に過ごそうと、俺は湯沸かしポットの電源コードをコンセントに差し込んだ。窓際の椅子に座り、ぽかぽか暖かい春光を背中に浴びる。鳥のさえずりと飛行機の音が窓外をのどかに通り過ぎていった。勉学の後の、何て心休まる時間だろう――
「楼路君っ! 大変だっ!」
ドアを開けるなり大声で怒鳴ったのは、絶世の美少年であり『探偵同好会』会長でもある、桐木純架だった。安逸をむさぼっていた俺の気分はぶち壊しだ。
「何だよ騒々しい。宝くじでも当たったのか?」
「近いようなものだよ。ともかくこれを読んでみたまえ」
純架はそう言って便せん数枚を手渡してきた。俺はただならぬ彼の気配に、これは何事かと興味をそそられた。ともかく文章を読んでみる。
「ええと、何々……? 『あははと笑って君が言う。「私たち、まるでゾウガメね!」。僕は波飛沫を散らしてほふく前進し、逃げる君の後を追いかけた。「僕たち、ゾウガメになってる!」……』。何じゃこりゃ」
純架が頬を真っ赤に染めて便せんを奪い取った。咳払いして手荒な真似をごまかす。
「ごめん、間違えた。これは僕のポエムだ」
どんなセンスだよ。
「本物は……えっと、こっち」
改めて、彼は自分の鞄から封筒を取り出した。金色の唐草模様が描かれた、かなり豪華な代物だ。純架はその中から手紙を取り出し、俺に預ける。俺は早速目を通した。プリンタ出力ではなく全て手書きだ。
「ふむふむ……」
差出人は『未来史図書館』館長・石井輝久。内容は、16年前に病没した歴史家・江島勝の記念館への招待状だった。
『江島様が亡くなる前に図書館に隠された、「最後の予言書」の在り処が今なお判明しておりません。現在当館では選りすぐりの方々にこの手紙をお送りし、予言書発見のご協力を仰いでおります』
江島勝か。聞いたことがあるようなないような。『最後の予言書』って何だ?
『なお、期間は3月17日から21日の4泊5日となっております』
絶賛開催中の憎っくき期末テストが終わってすぐか。
『「最後の予言書」が発見されてもされなくても、参加者の皆様には金100万円を無償で贈呈するものとします』
おいおい、100万円って! 参加するだけで純架は大金をせしめるってのかよ。
『どうかお力をお貸しください。良いご返事をお待ちしております』
俺は最後まで手紙を読み終えた。純架を見れば、興奮と期待と感激とではち切れんばかりだ。
「どうだい楼路君。石井さんは僕を選んだんだ。僕のたゆまぬ探偵活動が認められたんだよ。素晴らしいじゃないか!」
お金よりそっちが大事か。俺は再び手紙と睨めっこした。
「集合場所は港の停泊所ってなってるぞ。時刻は17日午後2時か。なあ純架、このうさんくさい手紙はいつ届いたんだ?」
「うさんくさいとは失礼な。昨日だよ。後で読もうと思って鞄の中にほったらかして、1階のリビングで『RANMARU 神の舌を持つ男』のBDを繰り返し観賞していたんだ」
そんな駄作をよく繰り返し観賞できたな。手紙の内容よりそっちの方が凄いわ。
そう、容姿端麗・眉目秀麗で、並外れた推理力の持ち主である桐木純架には、たった一つだけ欠点があった。それが奇行癖だ。彼は所構わず時刻も気にせず、傍目には狂人の所作としか思えない奇行を乱発するのだ。これには周囲の人間全員がうざがって気味悪がっているが、当の本人はどこ吹く風である。
と、そこでポットのお湯が沸騰したことを示す電子音が鳴り響いた。純架は側まで歩いて紙コップを手に取り、コーヒー2杯分を用意し始める。
「まあそういうわけで、今日の放課後――ついさっきまで、中身を読んでなかったんだ。まさかこんな嬉しい申し出だったとはね。……楼路君、ついてきてくれるよね?」
え? 俺が?
「おい純架、手紙を受け取ったのはお前だろう。何で俺がついていかなきゃならないんだよ。一人で行けよ、一人で」
「来てくれたら100万円の半額、50万円を渡すよ。それでも駄目かね?」
ぐっ。それはしがない高校一年生の俺としては、喉から手が出るほど欲しい金額だ。
「そうだな……」
俺は葛藤した。石井さんとやらに「あなたはお呼びしてない」と邪険にされないだろうか? この文面だと他にも参加者がいるようだ。彼らに邪魔者と見なされても仕方ない。……でも、50万円か。ちょっとの冷遇ぐらい我慢するか?
純架はコーヒーカップを差し出しながら決断を急かした。
「楼路君、君が断るなら他の会員を誘ってもいいんだよ? こんな美味しいアルバイト、よそじゃないと思うけどね」
俺はカップを受け取り、湯気の立つ黒い水面を眺めた。50万円。あれも買える、これも買える……。俺は誘惑にあらがい、抵抗する理由を探して――
結局、この話に乗った。
「分かったよ。俺も行くよ、『未来史図書館』へ。ただ迎えに来た石井さんとやらが、俺の同行を拒否したら、その時はいさぎよく諦めろよ。それでいいな?」
純架の顔が穏やかに晴れ渡った晴天のそれになる。カップを机に置き、全力でカンナムスタイルを踊った。
今更?
「ありがとう、楼路君! これで僕も百人力だよ! 後で先生方やご両親に相談しに行こう。まあ授業もほとんどないし、きっと学校からの許可も下りるはずさ」
喜び勇む純架を尻目に、俺は再び手紙を読み込んだ。それにしても江島勝の『未来史図書館』か。一体どんな目的で建てられて、何を目標としているのだろう?
「ネットで調べられないか? この江島勝って人のこと」
純架が肩で息をし、額から滝のように汗を流しながら、「今調べるよ」とスマホを取り出した。
PSYさんもここまで熱中して踊ってもらえたなら本望だろう。
「あ、あったあった。ウィキペディアに載ってる」
椅子に腰を落ち着けながら、純架は要点を掻い摘んで説明し始めた。
「江島勝は、80年前、江島竜好と江島香奈枝の長男として生を享けた。勝は幼い頃から世界の歴史に興味を持ち、終戦後の日本で史学の本を読み漁った。父の竜好は勝の運動方面の活躍は期待しておらず、仕事で稼いだ金で、息子に思い通りの勉学をさせた」
ふうん。なかなかいい家庭だったみたいだ。
「勝は苦学の末、大学院まで進み、海外の歴史研究に没頭した。この頃最初の著作『東方植民におけるドイツ騎士団の軍事的野心の傾向』を完成させる。先達の成果をまとめて独自の解釈と研究を加えたこの本は、歴史家たちに新たな発想をもたらした。勝の名は一躍学会に轟くこととなった」
おお、そいつは立派だ。純架は喉が渇いたのかコーヒーをすする。
「その後関東大学教授のポストを射止めた勝は、20年もの間世界各地を飛び回り、高名な研究家と対談したり、図書館に入り浸ったりして時を過ごした。仏語や独語など、五ヶ国語を自在に話せたという。その間の30歳の時、妻の幸子と結婚した。しかし彼女との間に子はできず、勝は悩み苦しんだ」




