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021タカダサトシ事件05

「古志君はプライドが高いんだよ。あの日、古志君は真島君と華原君を連絡通路に呼び寄せた。そして多分、無茶な要求――例えば多額の金をせびるとか――をしたんだろう。それで真島君と華原君は切れた。一対一では強い古志君も、相手が二人がかりで、しかも『こいつらは絶対俺に逆らえない』との油断をした状態では分が悪かった。あわれ古志君は二人にかつぎ上げられ、階下に投げ捨てられた……」


 俺は感嘆(かんたん)した。


「なるほどな。つまり古志は、自分が見下し、人間性を踏みにじってきた相手に反撃されて、そのことがプライドに強く引っ掛かった……」


「そうさ。自分よりはるかに下であるはずの真島君と華原君とにやられてしまったなんて、恥ずかしくて死んでも言い出せないのさ」


 日向が感激している。


「そうですね、それに間違いないです! さすが桐木さん!」


 純架は得意そうにその鼻を30センチに伸ばした。


 ピノキオか。


「じゃ、一件落着ということで、そのこと――真島君と華原君とが犯人であるということ――を、北上先生に話してもいいですね?」


「構わないよ。ただし出所は僕個人ではなく、『探偵同好会』としてくれたまえ」


 妙なところで気を使うものだ、と俺は思った。まあいいか。


 事件は落着したのだ。




 翌日、しかし事態は思わぬ展開を見せた。


 放課後に帰宅しようとした俺たちは、困惑という名の絵画のような表情をした日向の訪問を受けた。明らかに何か想像を絶するような成り行きがあったと見える。


「どうしたんだい?」


 純架はさすがに一抹(いちまつ)の不安を隠せなかった。俺と奈緒が二人のかたわらに座を占める。日向は重たそうに口を開いた。


「昨日の夜、北上先生に電話をかけて、『探偵同好会』としての見解――逃げた二人は真島さんと華原さんに違いない――を話しました。北上先生はそれは熱心に、桐木さんの考えた意見を傾聴(けいちょう)していました。会話の最後には、『なら明日、真島と華原にそれとなく聞いてみるよ』ともおっしゃっていました」


 俺はうなずいた。自然な流れだ。


「それで今日の昼、北上先生は二人を生徒指導室に呼び出して事情聴取しました。怒らないから、起こった事実――起こした事実ですか、それを話すように説得したそうです」


 ふむふむ。


「そうして二人は、あの時自分たちが連絡通路の上にいたことを認めました。北上先生は『探偵同好会』の、つまりは桐木さんの意見が正しかったことを知ったのです」


 純架は微笑した。


「やっぱりね。……でもそれなら、何で辰野さんはそんな浮かない顔なんだい?」


 日向は首を振った。


「話がそれだけで終わらなかったからです。二人は『でも――』と口にしました。そうして異口同音(いくどうおん)にこう言ったんです」


 俺も純架も奈緒も、固唾(かたず)を飲んで聞き入っている。日向は声を低めた。


「二人は言いました。『タカダサトシがやった。彼が古志君を懲らしめた。そして彼は逃げていった』と。そして、それ以上のことは何を聞かれても『知らない』を繰り返したそうです」


 タカダサトシ……?


 俺の頭の人名録に、そんな名前はなかった。純架を見れば、混乱したため鼻の両穴にシャーペンを突っ込んでいる。


 馬鹿か?


「タカダサトシ、ねえ。いったい誰のことだろう?」


「そんな奴はいなかった」


 俺は当時の記憶を脳内から引っ張り出す。


「俺が見たのは、現場から逃走する二人の男子だった。あの片方がそのタカダサトシとかいう奴だったのか?」


 純架は不機嫌に両手を挙げた。


「分からない」


「タカダは一人であの喧嘩無双の古志を抱え上げ、地面に向かって放り投げたっていうのか?」


「さっぱりだ」


「それに――それじゃ、数が合わないじゃないか。真島と華原が現場に居合わせたのに、あのとき俺が見たのは確かに二人だけだった。もう一人の人物、タカダはどこに消えた?」


「お手上げだ」


 すっかり意気消沈(いきしょうちん)した純架の口からは、自信なさげな言葉しかこぼれてこない。完成寸前まで組み立てたトランプタワーが一度に崩れ去っても、こんな敗北感に(いろど)られた顔はしないだろう。


「どうもこの事件、何かからくりがあるね。それが何かはまるで見えてこないけど」


 純架は背もたれに寄りかかって天井を見上げた。軽く息を吐く。


「この学校に『タカダサトシ』なる人物がいるのかどうか、まずはそれを調べないと。最近辰野さんばかり働かせているから、今度は僕らが動かないとね、不公平だよ」


 奈緒が反応した。


「じゃ、私が職員室に行って学級名簿を見せてもらうわ」


 純架は奈緒に目線をやった。


「そんな簡単に見せてもらえないよ」


 奈緒は胸を叩いた。


「こう言うつもり。『昔お世話になった「タカダさん」の弟が今学校に在籍しているみたいなので、調べさせてほしい』って。これならいけるでしょう?」


 純架は感心したようだ。


「そうだね、僕らに比べて飯田さんは人気者だからね。先生方からの信任も厚いし、うまくいくだろう。……それじゃ、お願いするよ」


「任せて!」


 久しぶりの出番に、奈緒は張り切っていた。




 俺は親父とお袋の二択に苦しんでいた。いい加減、どちらについていくか決めなくてはならない。


 俺を今まで食わせてくれたのは親父だ。俺を今まで育ててくれたのはお袋だ。どちらも、信じられないような苦難の道のりを経て今日に至っている。そのどちらを選べばいいんだ? 悩みは果てしなかった。


 一番いいのは二人が離婚をやめてくれることだ。元鞘に納まって、またいつもどおりの日常を送ってくれるのが何より最良なのだ。だがそれは夢のまま終わってしまった。というのも、二人が離婚届を役所に提出してきたと報告したのだ。


「安心しろ、楼路。お前に苦労はさせない。母さんについていくなら、その分の養育費はきちんと工面(くめん)する。お前は単純な判断で自由に決めてくれて構わないんだ。俺や母さんに遠慮することはないんだぞ」


 親父は普段通りにサラダを挟んだパンを食べながらそう言った。見慣れた朝食風景が貴重に思える。俺はインスタントのスープをすすった。


「どっちがこの家を出て行くんだ?」


 お袋がテーブルの上に焼きたてのウインナーの皿を載せる。


「お父さんよ。この家は私が引き継ぐことになってるの」


 俺はフォークをつまみ、湯気を立ち上らせているウインナーを突き刺して口に運んだ。


「親父はどこに行くつもりだ?」


「東京だ」


 俺は戦慄を覚えた。あの大都会で暮らすのか?


「ちょっと魅力的だろ、楼路」


 兄貴はくすりと笑った。兄貴は高卒でバイトしている。転居はたやすいだろう。


 東京か。東京ねえ。俺は巨大なビルが林立して、陽光を浴びて長い影を作る、そんな幼稚な光景を想像した。コンクリートジャングルなどという化石語さえ頭に浮かぶ。


 東京か。行きたいな……。




 週が変わって5月22日。純架と俺は少し早めに登校した。『タカダサトシ』の正体探しについて、奈緒と日向の報告を受けたかったからだ。


 日向は新聞部で忙しいらしく、早朝の3組にはやってこなかった。代わりに奈緒がメモ帳片手に現れた。


「『タカダサトシ』君について、結構色々分かったよ」


 純架は舌なめずりをするように垂涎(すいぜん)のネタに飛びついた。


「ぜひ教えてくれないか、飯田さん」


「任せといて。じゃ、行くわよ。まず『タカダサトシ』君は実在するの。1年2組、漢字はこう」


 奈緒が手帳の端っこを指し示す。『高田聡』と書かれていた。

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