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205生徒会長選挙事件06

 そして小向先輩は凛とした声で素晴らしい演説を締め括った。


「ご清聴、感謝いたします。小向夏樹に一票を、どうかよろしくお願いいたします」


 体育館のあちこちから拍手が沸き起こる。それはやがて渾然一体となって、小向先輩のスピーチに対する真っ当な評価となった。小向先輩はにこやかに手を振りながら、舞台袖へと姿を消した。


 実行委員会の生徒が頃合いを見計らって、次の弁論者――輪島陽太先輩を登壇させる。輪島先輩は小向先輩と入れ替わるように舞台中央に立つと、机に両手をついて目の前の暗闇を――生徒たちを眺めた。なんだか様子がおかしい。


 純架が小声でいぶかしんだ。


「何だ? 何をぐずぐずしてるんだ?」


 俺は鼻水をすすり上げる異様な音が、マイクに増幅されて響き渡るのを耳にした。


「あ、泣いてる……」


 何と輪島先輩は泣き出していた。見る者が見れば、すぐ嘘泣きだとばれる様子で。だが輪島先輩は自分の演技に酔っているようで、そんな見解があろうとは露ほどにも思っていないらしい。


「みんな、聞いてくれ。わしは立候補者の一人、2年3組の輪島陽太じゃあ。ううっ」


 ぽろぽろ涙を零す。まるで涙のカリスマだ。体育館内は異様な空気に包まれた。


「わしは昔から将来のことを真面目に考えとった。考えとったが、それだけで何も実行しようとはしなかったんじゃあ。今回の立候補はそんなわし自身を変えるため。おんしらの熱い支持を受け、生徒会長になって学校を、人生を変革させたいんじゃ」


 個人的な動機であって、生徒会長になることはおまけであるかのように聞こえる。へったくそな演説だ。


「頼む! 今回きりでいい、わしを信じてくれぃ! うおおっ!」


 輪島先輩はもう言葉にならず、皆の前で慟哭した。純架が俺に辛辣しんらつに論評する。


「まるで泣き落としだね。こりゃ酷い」


「あの人、この期に及んでまだこれなのか……」


 輪島先輩は米つきバッタのように頭を下げる。


「ご清聴、感謝感謝じゃ! わしに、輪島陽太に清き一票を投じてくれい! 任せたぞ! ううっ」


 彼は言うだけ言うと、そそくさと壇上を後にした。


 さあ、最後は高梨友里、俺たちの応援候補だ。彼女は静々と登壇すると、マイクを手前に引き寄せた。さて、前の二人に負けないインパクトを残せるか。少なくともビジュアル面では、『探偵同好会』女子メンバーの活躍で、輪島先輩はもちろん小向先輩にも引けを取っていない。


 友里はスポットライトの光が照射される中、にっこりと笑った。


 純架と俺が小声で話す。


「どうだろう。うまくいくかね?」


「最終的に草案をまとめたのはお前だろ、純架。今更信じないでどうする」


「まあそうなんだけど」


 友里が喋り出し、俺たちは他の生徒たち同様彼女の一挙手一投足に注目した。


「お初にお目にかかります。私は1年3組の高梨友里と申します。こんにちは」


 声は明晰で震えていない。意外と本番に強いのかも。


「皆さん、座りっぱなしでさぞやお尻が痛いでしょう。お辛いでしょうが、もう少しの間辛抱してください」


 笑いが起きる体育館。掴みはオッケーだな。


「さて、皆さん」


 友里が厳粛な面持ちになる。


「右を見てください」


 この要求に、頭の上にハテナマークを浮かばせながら、生徒たちが右を見た。俺も見てみたが何もない。というより、この薄闇で何かを判別することは困難だった。


 友里が続ける。


「次に、左を見てください」


 また観衆が、今度は一斉に左を向いた。俺もそうする。前に座る純架は正面やや斜め前の友里をじっと見つめていた。


 友里が微笑み、力強く宣言した。


「どうですか、皆さん。私はこれだけの生徒を、言葉一つで自在に動かせるんです!」


 この気の利いたスピーチに、体育館はどっと盛り上がった。しばしざわめきが治まらない。一杯食わされた、という悔しさは、しかし心地よいものだった。


 純架が俺を少し興奮気味に振り返った。


「やあ、上手くいったね」


「これ、お前が考えたのか?」


「いや、古いラジオ番組のネタだよ」


 上手く乗せられた場は、いとも簡単に高梨友里という存在を認めていた。彼女はくどくならないようサッと、尊敬する兄に近づきたい、生徒会長として頑張りたいということを、とうとうと流暢りゅうちょうに喋った。そして幅広く生徒の意見を聞くための目安箱を現在の3倍に拡充し、より快適な高校生活を皆で送れるよう全力を尽くすと語った。


 短い持ち時間を有効利用した点で、小向先輩を凌駕する巧みさだ。最後に彼女は一礼した。


「ご清聴、ありがとうございました。高梨友里、高梨友里に、どうか清き一票を。よろしくお願いします」


 場内は温かな拍手に包まれた。俺が「小向先輩、唇を噛んでそうだな」と純架に言うと、「そうだね」と笑みを含んだ返事があった。




 翌土曜日は半日授業で、生徒は登校日だった。もう来週火曜日の投票まで時間がない。俺たち『探偵同好会』は早朝に部室に集まり、多少文句を変えた――演説でウケたことを受け、『言葉一つで自在に動かせる!』というコピーを前面に押し出したチラシを準備していた。まだ誠が寝坊でもしたのか、姿を見せていない。


 そこへ久しぶりに顔を見せた者があった。1年1組、新聞部と掛け持ちの辰野日向だ。純架と微妙な距離感で報告する。それは俺たちにとって朗報といえた。


「新聞部が昨日の演説で俄然生徒会長選挙に熱を入れ始めました。前から五代部長は、間違った噂を武器にする小向先輩がどうしても許せなかったようで……今日は『渋山台高校生徒新聞』の号外を配ることになりました。これです」


 俺たちのチラシと似たようなサイズの、だがパソコンで鮮やかに打ち出されたそれには、『我々新聞部は真実を追究します』の見出しと共に、改めて小向先輩の噂の否定と校内世論調査が記載されていた。生徒100人を対象とした無作為のアンケートによると、小向先輩と輪島先輩、友里の支持率は49:6:45となっていた。結構接戦なんだな。輪島先輩を除いて……


 これには純架も手放しで喜んだ。


「これは心強いね。ありがとう、辰野さん」


「私の努力じゃありません。高梨さんの頑張った演説が全ての原動力です」


 そこへ誠が血相変えて現れた。俺は恋敵ながら、同好会活動を真面目にこなすこいつを、少し見直してきている。


「よう藤原、遅かったな。なんだ、そんな慌てて。どうしたんだ?」


「小向先輩陣営が宣伝チラシを配り始めたぞ。それもフルカラーで写真付きの奴を、大量に」


 俺たちは愕然とした。誠が紙片を差し出す。


「どうやら連中は金に糸目をつけない戦術に出てきたようだ。これがそのチラシだ。一枚もらってきた」


 まるで円陣を組むように、俺たちはそのチラシを中央に覗き込んだ。噂に関しては一言も触れず、『頼れる3年生の新生徒会長誕生を、皆さんの手で! 小向夏樹』と派手にでかでかと書かれている。彼女の華やかな笑顔が中央に映えていた。


 純架が小柄な美少年に声をかける。


「英二君?」


 英二は首を振った。


「言っただろう、学校の政争に金は出さんと。こっちはチラシと新聞部の号外頼みだな」


 奈緒が補足した。


「あと壁新聞もね。ねえ、今まで『探偵同好会』皆でチラシ配りしてたけど、無言だったでしょう? 今度からは声を出して、友里ちゃんを応援していこうよ。『高梨友里に清き一票を!』って、大声で叫ぶの」


 純架は不承不承うなずいた。


「ちょっと恥ずかしいから遠慮してたんだけどね……。でもこうなったら仕方ない。やろうか」


 全員が一斉に賛同の声を上げた。

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