201生徒会長選挙事件02
今年の生徒会長選挙は2月19日月曜日に公示され、1週間の短い戦いの後、27日火曜日に投票、翌28日水曜日に結果発表となる。
まずはその公示の日がやってきた。早朝、俺と純架が1階の掲示板に足を運んでみると、軽い人だかりができて視線の雨が壁に叩きつけられている。立候補者三名の名前がでかでかと張り出されていた。
2年2組・小向夏樹
2年3組・輪島陽太
1年3組・高梨友里
以上の三名だ。
純架はざわつく人混みの中、背伸びしてそれを覗く。
「ふむ、高梨さんが聞いた風の噂とやらは本当だったみたいだね。まずは敵情視察といこうか。2年2組の小向先輩を見に行こう、楼路君」
「よっしゃ」
俺たちは2階の2年2組に足を運んだ。適当な先輩を掴まえて小向先輩が誰か尋ねる。以前から『探偵同好会』として何度も聞き込みに訪れていただけあって、小向夏樹の顔は俺も純架も見覚えがあった。改めて見る彼女は何だか魅力的だ。右に流した黒いサイドダウン。大学の女教授のような理知的な瞳と美貌を有し、尖った顎がシャープさを際立たせる。自信に満ちた完成された容姿だった。
「人気投票ならかなりの手強さだね。これは要注意だ」
俺と純架が遠巻きに小向先輩を眺めていると、複数の男女が現れて声をかけてきた。どれも鋭利な眼光を向けてくる。
「お前は1年3組の『探偵同好会』、桐木純架だな。また何か事件か? ずっと夏樹の方を見ていたようだが」
純架の美貌は名札のようなもので、今や誰でもその顔で判別してくる。純架は笑顔を振りまいた。
「いえ、今度の生徒会長選挙における対立候補の様子を見学しに来まして。クラスメイトの高梨友里さんを応援することになったもので……。それであなた方は?」
「俺は矢那橋雄馬。こっちの小暮孝、中園五月と一緒に夏樹をサポートするつもりだ。敵情視察ならどうぞご自由に」
「いえ、もう大丈夫です。お互い頑張りましょう」
「そうか? ならば健闘を誓い合おう」
「はい、よろしくお願いします」
純架も俺も一礼して2組を後にした。
俺は相棒に小声でささやいた。
「いやあ、おっかなかったな。突き刺すような視線だったぜ、三人とも」
「どうやら彼らが今回の敵陣営ってわけだね。小向先輩のブレインってところかな。さて、次は輪島先輩だ」
俺と純架は2年3組に移動した。さっきと同様、輪島陽太先輩を教えてもらう。彼は落語家の弟子のような丸坊主頭に太った体型だ。憎めない童顔だが、時々策士の光が目を躍るのが小憎らしい。だいぶ汗っかきらしく、ハンカチで額を拭いていた。今は2月なんだけど……
輪島先輩を見て、純架は楽観視した。
「華がないなあ。それに見てて何だかいらいらしてくる。これは大したことなさそうだ」
俺は彼の笑顔をたしなめた。
「ずいぶん酷いこと言うなあ。聞こえたら最後だぞ」
しかしついつい付け足す。
「まあ俺もそう思うけど。選挙は人気投票だからな」
俺たちは小向先輩との一騎打ちとの見方を議論しながら、1年3組に戻っていった。
旧棟3階1年5組の『探偵同好会』部室は、臨時の高梨友里選挙対策本部室となっていた。
俺たちの選挙戦は、まず友里の地味な容姿を変えるところから始まった。立候補者が小ぢんまりしていては話にならないからだ。椅子に座って若干緊張気味の友里の頭を、奈緒と真菜、結城がああでもない、こうでもないともてあそぶ。奈緒は生徒会長選挙の最重要項目とも言うべき「見た目」に腐心し、友里に決意をうながした。
「女は見られて綺麗になるものよ。周りの目を意識して自分を変えるの。例えば友里ちゃん、彼氏とかいる?」
「い、いいえ、いませんよ彼氏なんて」
「うーん、じゃあ桐木君でいいわ。選挙期間中、桐木君の彼女になったつもりで、少しでも好感を持たれるように自分自身を変革するのよ」
「あんな綺麗な人を彼氏だなんて、気の持ちようが難しいです」
「泣き言言わない」
結城が三つ編みを解いていく。
「私、整髪の腕前は英二様の散髪でプロ級です。今日はもっと素敵な髪型に変えてあげますよ」
「ええっ、今ここで切るんですか?」
「はい。大丈夫、整えて型を作るだけですから。選挙で勝ちたいのでしょう?」
「それは、まあ……」
「ならば私にお任せを。道具は持参してきました。早速カットしましょう」
真菜が付け睫毛を差し出した。
「睫毛も増やしましょうです。リップももっと唇が映えるようなものに変えるのですです」
その様子を遠巻きに見ていた『探偵同好会』男子会員たちは、彼女らのはしゃぎぶりにどうにもついていけなかった。英二が呟く。
「こんなことで大丈夫なのか? 本当に……」
純架はしかし冷静に大局を見ていた。
「とりあえず見た目を良くすれば鈍重な輪島先輩には勝てる。僕らの敵は小向先輩ただ一人だ。まだ選挙初日、今日は今後の対策を考えていこう」
誠が気がかりそうに言った。
「そのことなんだがな桐木。実は今日先生に雑用を頼まれて、職員室へノートを持って行くことになったんだ。で、運んで歩いている途中でこんな噂を耳にした……」
聞かれるのをはばかれるように、低い声で口にした。
「――小向夏樹が当選したら、部費への予算割り当てがアップする――」
純架は一瞬呆けた後、あっさり笑殺した。
「何だい、その馬鹿馬鹿しい噂は。そんな権限、生徒会長にあるわけないだろうに」
「でも話してたのは2年の女子数名だった。まことしやかにな。……何、ちょっと気になったから話しただけだ。馬鹿馬鹿しいのは俺でも分かってる」
ハサミの軽快な音が響き渡る。友里の変身が始まっていた。
その翌朝、1年3組の教室に登校した俺と純架は、別人のように彩りを加えた友里に揃って驚いた。彼女は黒縁眼鏡を捨て、銀縁の丸眼鏡をおしゃれにかけていた。髪は野暮ったい三つ編みからセミロングとなり、末端がカールしていてボリュームがある。睫毛も増量して頬には紅がさし、唇が淡く輝いていた。
若干はにかむ友里の隣で、奈緒が偉そうに胸を張っていた。
「どうよ、楼路君、桐木君! これならバッチリでしょ?」
純架は驚愕するあまり、ワイヤーアクションで廊下まで吹っ飛んでいった。
いつ仕掛けたんだよ。
俺は素晴らしい方向へ変貌した友里に思わず鼻の下を伸ばす。奈緒が俺に近づいて耳たぶを引っ張った。結構痛い。
「はい、あんまりじろじろ見ない。私が誤解するわ」
「厳しいなあ」
廊下の壁に激突して悶絶していた純架が、腰をさすりながら再び入室してくる。
「これなら小向先輩にも負けないよ。綺麗だよ、高梨さん」
友里は頬を染めた。
「ありがとうございます! 飯田さんと菅野さん、台さんのおかげです。自分でも鏡を見て、未だに自分自身か信じられないぐらいです……」
そこへ英二と結城が現れた。二人とも何やらジグソーパズルに失敗したような顔をしている。英二が切り出した。
「おい、純架。俺も昨日の藤原同様、噂を耳にしたぞ」
「噂? SMAPが解散するかもしれないという、あの不謹慎な噂かね?」
とっくに解散してるよ。こいつの芸能界への興味のなさがうかがえる。
「違う。競争相手の小向先輩の噂だ。また好意的な奴だった」




