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196激辛バレンタイン事件03

 これはごく普通の板チョコを、街頭でティッシュを配る人のように手渡す。純架がその類まれな顔をほころばせた。


「ありがとう、飯田さん。大切に食べるよ」


 誠が大事そうに、でも不満たらたらで早速チョコを食べ始める。


「あーあ、義理かあ。つまんねえの」


 英二が彼をたしなめた。


「お前、失礼だぞ。もらえるだけでもありがたいと思え」


「分かってるけどさあ」


 純架が鞄にチョコを仕舞い込みながら、結城に尋ねた。


「菅野さんはもう英二君に渡したのかい?」


 結城は少し頬を紅潮させた。


「はい、今朝」


 英二が高級そうなマフラーを外す。


「舌がとろけるようなガトーショコラだったぞ。結城の料理の腕前を改めて再確認させられたよ。羨ましいだろ」


 誠が苦々しげにチョコを噛み砕く。


「くそ、腹立つな」


 俺はものの数分でチョコをたいらげた。口元をティッシュで拭いながら、英二に微笑む。勝者同士の心の交流だ。


「そっちもそっちで上手いことやってんだな」


 英二は破顔一笑した。


「まあな。これなら来年も楽しみだ」


 結城もくすくす笑う。


「ふふっ。また英二様の舌に勝ってみせます。ああ、そうそう、私からも男子の皆さんに義理チョコです」


 そこへ真菜が入室してきた。愛しの純架の姿を認めると、相好を崩して駆け寄ってくる。


「純架様っ! チョコを持ってきましたです! 受け取ってくださいですっ!」


 純架は用心深かった。


「義理チョコだよね?」


 真菜は急停止して少し口を尖らせる。


「はあい。本命だと受け取ってくださらないっておっしゃるので、義理チョコですです。でも、手作りのチョコチップマフィンですですよ! 味には自信がありますです!」


 純架は紙袋を受け取った。


「そういうことならありがたくいただくよ。お昼にまとめて食べるつもりなんだ。たらふく味わうとするよ」


「ありがとうございますです!」


 最後に部室に登場したのは日向だった。純架が陽気に声をかける。


「おはよう、辰野さん」


 俺は心身ともに満たされて、男としての余裕に満ちていた。


「辰野さんも義理チョコをくれるのか?」


 日向は少し思い詰めた表情で、この場にいる全員を見渡す。そしてその視線を純架に固定した。重苦しく言葉を発した。


「あの、桐木さん。放課後に一対一の場を設けてほしいんですが……」


 ふむ。今朝のこの交換会には参加せず、午後に単独でチョコを渡すつもりのようだ。


 純架は少し面倒くさげに気のない返事をする。日向が本命チョコを差し出してくる気がありありとみて、わざとつれない態度をとっているようだ。


「ああ、構わないけど」


 英二が俺にこっそり耳打ちした。


「純架の奴、本気で本命チョコを嫌がってるな」


 俺も小声で答える。


「まあ昨日もそう言ってたしな。一対一の場であっても、絶対受け取らない気なんだろうな」


 日向は少し傷ついたようだったが、それでも気丈に頭を下げた。


「よろしくお願いします」


 上がった面は、もう普段と変わらぬ平静のそれだった。


「あと、朱雀さん、三宮さん、藤原さん、義理チョコですが良かったらどうぞ」




 昼休みになった。純架はそれまでの間に義理チョコを渡しに来た四人の女子――3年4組・中迫由真なかさこ・ゆま、2年2組・大原おおはらつかさ、1年1組・浮田紀子うきた・のりこ、1年2組・柴崎楓しばさき・かえでらのクラスと名前をメモに控えていた。ホワイトデーのお返しをするためだという。案外しっかりしてるな。


「これはしかし、結局誰のものか分からなかったね」


 そういって机から取り出したのは、差出人不明の謎の紙包みだった。早朝の部室での交換会が終了し、教室に戻ったところで、純架が自分の机の中に入っていることに気づいたのだ。自分の身分を明かしていないのだから、これも義理なのだろう。


 これに奈緒、結城、真菜の義理チョコが加わって、実に8つの義理チョコが揃い踏みした。机の上からはみ出さんばかりのチョコの山に、クラスメイトたちが羨望の眼差しを集中させる。


 噂好き・お祭り好きの久川――結局小枝さんから本命チョコをもらったらしい――が、何故かにやついて純架にアドバイスした。


「おい純架、その謎のチョコから食べ始めてみたらどうだ?」


「これかい? 別にいいけど」


 袋の中から謎のチョコ――チョコアイスボックスクッキーを取り出す。


「いただきます」


 軽くお辞儀して、純架はそれを口に放り込んだ。


 異変はすぐに起こった。何と純架が顔を真っ赤にし、下手なダンスを踊るように椅子から転げ落ちて悶絶したのだ。


「かっ、辛いぃ!」


 純架の反応で教室が大爆笑に包まれた。俺も奈緒も、というか『探偵同好会』メンバーは誰一人この展開についていけず、ことのなりゆきに戸惑った。ともかく俺は純架を助けるべく、まだ手をつけていなかったホットコーヒーの缶を開け、彼に飲ませた。


 純架はこの寒いのに汗だくだ。教室内にはまだ失笑の余熱がくすぶっている。俺は苛立ちながら残りの謎チョコのうち一つを割ってみた。唐辛子の塊が上手い具合にチョコでコーティングされている。こんなもの食ったら、そりゃ苦悶するわな。


「ありがとう、楼路君」


 失態をさらした純架が、咳き込みながらコーヒーを飲む。その顔は去りつつある苦痛に、憤慨が取って代わろうとしていた。そりゃまあそうだろう。どうも教室の皆は、この謎チョコが唐辛子入りだって知っていて黙っていたみたいなんだからな。


 完全に回復した純架は、傷つけられた誇りと無様な醜態に頬を赤く染めながら、周りにわめいた。


「誰だ! 誰が僕にこんないたずらを仕掛けたんだ! 名乗り出たまえ!」


 俺は怒気の塊と化した純架に気を使った。


「俺も知らなかったけどな。純架、熱くなるな。冷静にいこうぜ」


 純架はほとんど無視した。怒髪天を衝くとはこのことだ。


「英二君は知っていたかね?」


 英二は肩をすくめた。


「いいや、俺も楼路と同じさ。どうもクラスの連中は、お前が悶え苦しむさまを邪魔されたくなかったようだな。『探偵同好会』メンバーの誰も教えてもらってないらしいのがその証拠だ。告げ口されたくなかったんだろう」


「薄情な……。酷い話もあったものだよ、楼路君。僕が何をしたっていうんだ。DJ用のでかい機材を持ってきて教室で遊んでみたり、机の上で縄跳びの三重飛びに汗を流したり……その程度の奇行しかしてこなかったのにっ!」


 自業自得な気もするが……


「飯田さんも菅野さんも藤原君も聞いてないんだね?」


 奈緒は怒り心頭に発する純架が珍しいのか、ちょっと興味深そうに観察している。


「もちろんよ。でも私も教えてもらっていたら、言わなかったかも」


 常にクールな結城がこのとき噴き出した。


「飯田さん、結構言いますね」

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