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188冬の転校生事件05

「ここならいいだろう。じゃ、藤原君、楼路君、耳を傾けてくれたまえ」


 純架は痰でも絡んだのか、咳払いをして声を整えた。


「リスナーの皆さん、ごめんなさい」


 ラジオのパーソナリティじゃねえよ。


「藤原誠君。君は性同一性障害者だったんだね。生まれ持った性は男じゃない。女だ」


 その無音のいかずちは俺を直撃して、脳天から爪先まで激烈な衝撃を与えた。見れば誠もわなわなと震えている。俺は喋ろうとして喉に絡み、改めてかすれた声を絞り出した。


「ふ、藤原が女?」


 誠は一瞬の驚愕――図星だったのだろう――から立ち直ろうと懸命に声を励ます。


「……その根拠は?」


 純架は指を4本立てた。


「三つある」


 間違えてるぞ。


「一つは体育の着替えの時に見に付けていたタンクトップとスパッツだ。自分の本当の性を悟られないよう、君は厳重に体を覆う必要があったんだ」


 ああ、だからか。寒がりだってわけじゃなかったんだ。


「もう一つは連れションに絶対行かないこと。女の体じゃ男性用小便器に放尿というわけにもいくまいよ。君は何としても誘いを断らねばならなかった」


 なるほど。


「最後の一つは今日確認した。職員用トイレの使用だ。休み時間、君がトイレに立ったのを見て、既に真相を看破していた僕は最後の確認のため後をつけさせてもらった」


 誠が憤慨して口を挟む。


「ずいぶんなことをしてくれるじゃないか」


「これが『探偵同好会』会員の共通スキルだよ。廊下を歩いていった藤原君は、生徒用トイレを通り過ぎ、あろうことか職員用トイレまで遠出して入っていった。本来生徒が使ってはいけない便所にね。つまり教職員の皆さんは、藤原君が性同一性障害者だと認知し、男子トイレに拒否反応がある君に対してだけは、生徒禁止の化粧室を使わせてあげているというわけだ。実際順番を待っていた先生は、君が出てきても無反応にトイレへ入ったからね」


 純架は唇を固く閉ざした誠にまとめを告げる。


「君は女の体を持った男だ。違うというならこれから男子便所に行って、下腹部を見せてくれればいい。男性の象徴がついていれば、僕は全面的に謝罪するよ。どうかね?」


 長い長い沈黙だった。ようやく口を開いた誠は、開き直ってせせら笑った。


「そうさ。俺は性同一性障害者だ。だがそれで何が悪い? 本来男として生まれてきたのに、体の性別が違っていたというだけさ。俺は男だし、女が好きだ。それとも君たちも、俺のような人間を差別するのか? 普通じゃないと気味悪がって、除け者にでもしようっていうのか? 俺の前の高校のように」


 純架はやんわりと首を振って否定した。


「そんなことは一言も言ってないじゃないか。落ち着きたまえ。僕が言いたいのは飯田さんのことさ。君は彼女に惚れこんで、一生懸命口説き落とそうと努力しているが、その辺りのことを一切告げていないように見える」


 奈緒は誠の体の性別を疑っていないだろう。


「もし君の攻勢が奏功して、飯田さんが心変わりをして君を好きになったとする。それで一体いつまで隠し通せると思うんだい? 真相がばれたときの飯田さんの反応を考慮せず、ただ闇雲に陥落を目指すのは、ちょっと虫が良過ぎるんじゃないかね?」


 誠は歯軋りした。


「話してみた感じ、奈緒は差別主義者じゃない。きっと打ち明けても分かってくれるさ」


 俺はむかつきを隠せなかった。


「純架が言いたいのはまさにそこだろ。それが楽観だって指摘してるんだ。俺は奈緒がお前に振り向くとは思わないけど、万が一にもそうなったとき、嘘をついてきたことにどう責任を取るっていうんだ?」


「…………」


 純架は重罪を犯した咎人とがびとに悔悟を迫る牧師のようだった。


「嘘をついた恋愛ははかないよ。飯田さんが差別主義者じゃないって感じてるんなら、ここはあらかじめ吐露しておくべきだね。僕が君たちに話したかったことは以上だ。どうするね、藤原君?」


 誠はがっくりと肩を落とした。それは同情に値する挙措だった。


「……分かったよ。奈緒を呼んできてくれ。今、俺の口から話す」




 俺は純架と誠を残し、いったん部室に戻った。会話が弾んでいたようで、談笑の輪ができあがっていた。そんな中、俺は奈緒に声をかける。


「ちょっと話がある。ついてきてくれないか?」


 奈緒は特に不審がるでもなかった。


「うん、分かった。さっきから三人が何を相談しに行ったのか、皆で当てっこしてたんだ。日向ちゃんが『三人で付き合う気じゃないか』って言ってて、おかしくて」


 日向が慌てて彼女を制する。


「ちょっ、飯田さん!」


 俺は日向の腐女子ぶりに苦笑した。


「多分全部外れると思うぜ」


 奈緒は目をしばたたいた。


「えっ、そう? じゃあ案内して、楼路君」




 かくして純架たちの元に舞い戻った俺は、連れてきた奈緒を誠と対面させた。俺と純架が立ち会う中、誠は奈緒に自身の抱える事情を語った。


「……というわけなんだ」


 奈緒は目を見開いている。


「信じられない。まるっきり男の子の外見と声をしてるのに……」


「安心してくれ、奈緒。俺は本当に男で、ただ体が女というだけって話なんだ。将来は性別適合手術も受けたいと思ってるし、きっとお前を幸せしてみせる。だから……」


 奈緒は遮った。微笑んでいる。


「ありがとう、本当のことを話してくれて。でもごめんなさい。私は楼路君が好きなの。大好きなの。藤原君の気持ちには応えられないわ」


 はっきり面と向かって理性に満ちた回答をされた誠は、さすがに落ち込んだようだ。


「そうか……」


 しかしすぐ立ち直る。


「でもやっぱり俺は君が好きだよ、奈緒。俺の本当の姿を知っても、君は全く変な目で見てこないし。いつか君を振り向かせてみせる。絶対だ。俺は必ず奈緒に『藤原君が好き』と言わせてみせるからな」


 奈緒は唐突に俺の側に寄り、俺の両肩を掴んだ。そして爪先立ち、俺の唇に唇を重ねた。


 俺は全身の血行が熱く増進するのを自覚した。奈緒が『大事にしたい』といったことを話していたファーストキス。それを彼女は、この場で行使したのだ。誠を諦めさせ、俺を安心させるために。


 口付けが終わる。奈緒は誠に言葉の刃を突きつけた。


「私、しつこい人は嫌いよ」


 俺は彼女に申し訳なく思い、また心から感激して、何とも泣きそうになった。


 一方、別の意味で誠も泣きそうだった。


「奈緒……。そんなに、そいつのことが……」


 俺は両腕に奈緒をかき抱いた。いつかこのファーストキスのやり直しをしてやりたい。これからもっともっと大事にしたい。そんな決心が、俺の胸中で形作られた。


 傍観者と化していた純架が最後に言った。


「やれやれ。以上がこの事件? の全貌だね、皆」

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