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183台真菜事件05

 純架があっとうめいた。まるで見えない剛速球を頭部に直撃されたかのようだった。


「そうか。そうに違いない」


 俺は一人納得する純架が苛立たしくて、ついきつめに問いかけた。


「どうした純架? 何か閃いたのか?」


 純架は顎をつまんで何度も首肯する。


「台さんに電話をかけた相手は分からないが、そうするよう指示を出した人物は分かったよ。台さんの母、台祐美さんだ」


 俺と真菜は衝撃でしばし動けなかった。何か応えようとするより早く、純架がまくし立てる。


「だって、他に真相を知り、それを台さんに伝えようとするべき人間はいないじゃないか。祐美さんは長年の嘘の積み重ねで良心が痛んでいた。誘拐事件の勃発とその解決では、もう隠し通せないんじゃないかと腹をくくった。でも秘密はかろうじて守られた。祐美さんはその過程で心が押し潰されそうなほど厳しい思いをした」


 俺は半ば納得した。


「なるほど。それがきっかけで、祐美さんは台さんに真実を告げようと決心したんだな」


 純架はうなずき、まばたきする真菜を直視した。


「しかし祐美さんは、自分の口から娘へ真実を教えることはどうにもできなかった。そこで親しい女友達にでも頼んで、あの日あの時間に台家へ電話するようお願いしたんだ。祐美さんが台さんに電話に出るよう指示したこと、何も知らない敬治さんが激怒したこと、いずれともつじつまが合う」


 真菜は呆然としていた。そりゃそうだろう。自分の母が回りくどい方法で秘密を明かしたという、理解しがたい事実を知らされたのだから。


「あたしのお母さんがあの電話の真犯人ですですか……」


 純架は微笑んで肩をすくめた。


「その蓋然性が高いってところだよ。断定とまではいかないね。ただ、真相を知っている人間が後どれだけいるかを考えると、9割方正解だと思う」


 そこへ奈緒が登校してきた。俺たちへ歩み寄ってきて、真菜が泣いていることに気づきぎょっとする。


「おはよ、皆。ちょっと、何を話してたの?」


 俺は応えた。


「『余計なことをしてくれた馬鹿女』を特定したんだよ」




 それから数日後の日曜日。俺と純架、真菜は、快晴の公園でベンチに座っていた。今日は日差しが暖かく、鳩の群れが噴水近くで地面をつつき回って食べ物を探している。小学生の男児数人がボール遊びではしゃいでいた。


「どきどきしますです」


 真菜が――本日は灰色のダッフルコートを着込んでいた――胸を押さえて深呼吸する。純架はその腕にすがりつかれても、今日は振り解かなかった。


「僕らは代わってあげられないからね。胸のつかえを除去するべく、言うべきことは言って、すっきりするといい。門山厚さんと共に生きるのか、それとも台敬治さんと共に生きるのか。決めるのは台さん自身なんだから」


「はいです……」


 遠くの入り口から50代とおぼしき男が、公園の敷地内に入ってきた。白いダウンジャケットに白髪混じりのオールバック。薄茶色のズボンを穿き、口髭をたくわえていた。真菜の真の父親――門山厚の、事前に教えられた外見と一致する。


 俺たちは一斉に立ち上がった。厚もこちらに気づき、歩いて近づいてくる。鳩が一斉にその進路をよけた。やがて俺たちは数歩の距離で向き合った。


 純架が深々と頭を下げた。


「あなたが門山厚さんですね。まずは初孫のご誕生、おめでとうございます」


 厚は細い目を更に細めた。


「ありがとう。君は娘の話にあった桐木純架君かね?」


「はい。こちらは朱雀楼路君です。あなたの娘であるなつめさんを救急車で病院に運んだ縁で、今日もぶしつけながら台さんに随伴させていただきました。お二人のお話の邪魔はいたしませんので、ごゆっくり」


 厚はうんうんと点頭しながら、真菜を見つめた。真菜も視線を交錯させる。


「あなたがあたしの、本当のお父さん……!」


 厚は高ぶる感情を抑えきれない風だった。頬を朱に染め、感激したようにまくし立てる。


「真菜、真菜! 会いたかったよ。話をしたかったよ」


 厚が真菜の肩に手を伸ばすが、真菜はそっと身を引いた。厚は宙を握り締めて両手を下ろす。俺と純架に目線を移した。


「無遠慮ながら、君たちはここで待っていてもらえるか? 真菜と二人きりで話がしたい」


「どうぞ、そのつもりです」


 俺と純架は改めてベンチに腰掛けて、噴水側に歩を運ぶ二人の背中を見つめた。彼らはさんさんと照り輝く太陽のもと、声が届かないほど離れた場所で向かい合った。ようやく喋り出す。


 俺は前屈みになり、両膝に両肘をつけた。近くをうろつく鳩を眺める。


「親子の初遭遇、か。感慨深いんだろうな」


 純架はホッカイロを両手でもてあそびつつ、背もたれに身を預けた。


「どちらでもいいんだ。台さんが幸せになるんなら、それで」


 やがて、仲良く話していた二人に変化が訪れる。何やら大声で言い争い、真菜が激しく首を振った。遠く距離が離れているにもかかわらず、その台詞が聞き取れる。


「あたしは台家の娘ですです!」


「真菜! 分かってくれ!」


 その後はやや落ち着いて、二言三言会話を交わす。喧嘩に発展したのかと思い、俺は会談の行方を気にした。


 だがしばらくして厚ががっくりと両膝をつく。真菜は彼を振り切るようにこちらへと歩いてきた。どうやら何か確定的な決裂が生じたようだ。俺と純架は身を起こし、彼女を迎え入れる。


 真菜はすっきりした顔だった。今までの苦悩、懊悩おうのうが嘘のように、その表情は晴れやかだ。


「見届けてくださってありがとうございますです、純架様、朱雀さん。話は終わりましたです」


 純架は凛として立つ真菜へ穏やかに尋ねる。


「それで台さんはどっちに着くんだい――まあ今の厚さんを見る限り、答えを見つけ出したみたいだね」


 真菜は一切振り返ることなく答えた。


「はい。あたしは台家の一人娘として、これからも台真菜として生きていきますです。本日はありがとうございましたです」


 そして、吹っ切れたような笑顔を花咲かせた。純架は胸に手を当てる。


「以上がこの事件の全貌だよ、楼路君」




 帰りの電車は空いていた。真菜は激しい緊張とその緩和で急激に疲れたのか、椅子にもたれて眠っている。彼女を起こさぬよう、俺と純架は傍らでひそひそと話しこんだ。純架が真面目くさった顔で語る。


「この前生まれた門山家の長女は、お父さんが誘拐の罪で裁判にかけられ、恐らく刑務所入りとなるであろうことを、いつか知ることになる。そして今眠ってる台さんは、お父さんが義理の父だということをつい最近知らされた。全く、子供というものは大変だよ。両親の業を背負って生きていかなきゃならないからね……」


 俺はぶるりと震えた。


「俺も新しい親父が出来そうなんだよなあ……。他人事じゃないぜ」


 純架は小さく笑い、俺の肩をどやしつけた。


「台さんが乗り越えたように、君もまた乗り切りたまえ。門山家の長女のいい手本となるようにね」


「やれやれ、まいったな」


 俺は真菜の幸せそうな寝顔を盗み見た。大きな決断をした後とは思えないほど、それは無邪気そのものに映ったのであった。

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