180台真菜事件02
真菜はうなだれてコーヒーを眺めるばかりだ。痺れを切らしたように英二が叩き付けた。
「台! 俺が聞いているんだ、答えろ!」
真菜がビクッと震え、紙カップを落としそうになり慌てて持ち直す。うろたえたように英二を凝視した。奈緒が英二をいさめる。
「ちょっと三宮君。何も悪いことしてないのに怒鳴るなんてあんまりよ。ね、真菜ちゃん」
「は、はい……」
純架が腫れ物に触れるように真菜を問いただした。
「台さん、何か考え事があるなら話してごらん。僕ら『探偵同好会』会員は皆口が固いし、秘密は守るよ。一人でくよくよするより、思い切って打ち明けた方がすっきりするってものさ。実際、僕も連日奇行を連発して快適に過ごしてる」
俺たちは不快だがな。
「それとも、僕らにも言えないような類のことなのかい?」
真菜は口を結び、純架の言葉にじっと耳を澄ませていた。やがて首を激しく左右に振る。
「いいえですです。そうですですね。皆さんにあたしの抱えた問題を聞いていただいて、最良の解決を求めるほうが得策かも知れませんです」
英二がカップを空にした。
「ようやくその気になったか。じゃあ話してみろ」
真菜はコーヒーを挟んだ両手を膝の上に置いた。若干震えているのは寒さのせいか、それとも心の揺らぎのせいか。
「あたし、どうしようもない嘘に騙されるほど馬鹿じゃありませんです。真実を見分ける眼力ぐらいちゃんと備えているつもりですです。でも、あの話が本当かと思うと、ちょっとでも疑ってしまうと、もうどうしようもなくなって……」
「何を言いたいのかさっぱり分からんな。女なら女らしくさっさとぶちまけろ」
真菜は英二の追い込みに、三度溜め息をついた。
「では言いますですが……。昨夜、あたしの自宅に電話がかかってきたんですです。ちょうど一家団欒、夕食を楽しんでいたひと時でしたです。お母さんに言われてあたしが出ましたです。受話器の向こうから聞こえてきたのは女の人の声でしたです。それは言いましたです。『あんたが台真菜さんかい? 安心しな、私はあんたの味方だよ。これから耳寄りなことを教えてやるからよくお聞き。……あんたは台家の娘じゃない。門山厚というおっさんの妾腹の子なんだ』」
旧棟3階1年5組の部室は、外の曇り空を反映して灰色に染まった。
「あたしは耳を疑いましたです。あたしのお父さんは台敬治、お母さんは台祐美です。でも前から薄々変だ変だと思っていたことはありましたです。例えばお母さんとあたしはよく似ていますのに、お父さんとはほとんど似通った箇所がない、ということとか……。お父さんから、門山さんって人からの電話には出ないで、すぐに切れと申し付けられたりとか……」
真相を――真菜が電話の内容通り、本当に門山厚の娘だと知っているのは――この教室内では俺と純架だけだ。かつての『おみくじの地図』事件で誘拐犯・門山健作逮捕に協力した俺と純架は、宮下隆志警部補よりその事実を教えてもらった。もちろん今日までそのことは誰にも口外してこなかった。
真菜は続ける。
「それもあって、あたしはその女性に聞き返しましたです。『門山厚、と言う方が、あたしの本当のお父さんだって言うのですですか?』『ああ、そうだよ。そしてこの前あんたを誘拐した門山健作は、あんたの異母兄になるのさ。どうだい、びっくりしたかい?』。あたしは震えて、膝がガクガクして立っていられなくなりましたです。そんなあたしの様子をいぶかしんだお父さんが、血相変えて立ち上がり、受話器を引っ手繰りましたです。そして『誰だ、お前は!』と電話の向こうに怒鳴ると、電話はそこで切れたようで、それを示す雑音だけが機器から流れ出るばかりでしたです。あたしはお父さんから真っ赤な顔で電話の内容を問い詰められましたです。でも内容が内容だけに、あたしは誤魔化すのが一番だと思い極めて、友達と喧嘩しただけと答えましたです」
俺は酷く焦って純架に耳打ちした。
「おい純架、これはまずいぞ。台さんが事実を知ってしまった。匿名の電話によって……」
「そのようだね。何というか、むごいことをする奴がいたもんだ」
真菜が両目を潤ませて一同を見渡した。
「純架様、皆さん、お願いですです。あの電話は本当なんでしょうですか? あたしは台真菜ではなく、門山真菜なんでしょうですか? 『探偵同好会』のお力で、真相を調査していただけないでしょうですか?」
まいったことに、真相も何も、その電話が告げた事実が真実なんだよな。ここでは俺と純架しか知らぬことだが……
奈緒が俺たちの顔を交互に眺める。猜疑の光が双眸に宿っていた。
「元旦の真菜ちゃん誘拐――『おみくじの地図』事件では、桐木君と楼路君だけが楽しんでたけど……。真菜ちゃんのこの真相については2人は知らないの?」
俺は見えざる手に心臓を鷲掴みにされた。椅子から跳び上がらなかったのが奇跡に思える。
「いやあ、知らない知らない」
冷や汗を流す俺に、純架も思い切り下手糞な演技で合わせた。
「何のことかなあ」
電子ポットの中にペットボトルの水を注ぎながら、結城が苦笑した。
「お二人とも、嘘が下手です」
日向が椅子から身を乗り出して俺たちを見据える。
「隠し事はなしですよ、桐木さん、朱雀さん。私は真実を追い求める新聞部部員でもあるんですからね」
真菜が俺と純架に切々と訴えた。
「純架様、朱雀さん、何かご存知なのですですね? もしそうならどうか教えてくださいです! このままじゃ夜も眠れませんです!」
「昼に寝たらいいじゃないかね」
そういう問題でもない。
俺と純架は困り果てた。果たして基本部外者である俺たちが、彼女に真実を伝えてよいものか? だが英二、奈緒、結城、日向、真菜は、事実を希求する眼差しで俺たちを串刺しにしてくる。これにはどうにも逃れられそうにない。
やがて純架が観念したように深々とうなずいた。彼はこういうとき奇行を発さない。真摯な瞳で真菜と向き合い、考え考え話していった。
「今の真菜さんの状態じゃ勉強も同好会も手につかないだろう。それじゃ高校生活を楽しめていないのと同じだ。そんな状況に置いたまま、真相を知らせないというのもあんまりと言えばあんまりだと思う。……本来は台さんがご両親からうかがうべきなんだろうが、『探偵同好会』を頼ってきた者をそうむげには出来ないよ」
真菜が苦しそうに胸を押さえる。俺も他のメンバーも、純架の言葉を傾聴した。そして彼は、ついに言った――
「それだから言うがね、台さん――その電話の内容は、事実だ」
室内に重苦しい沈黙が降ってきた。誰も、豪胆な英二でさえも何も口に出来ない。どれだけの時間が過ぎただろうか。数秒にも数分にも思えた静寂は、真菜の嗚咽で切り裂かれた。
彼女は双眼から大粒の涙を零し、全身の震えを抑えようと必死で耐える風だった。日向が無言で差し出した青いハンカチを、ありがたそうに受け取る。それを両目に当てたのは、泣いている様を見られたくないからかも知れなかった。
「……信じますです。純架様がおっしゃるならきっとそうなんでしょうです。そうでしたですか……。あたしは、誘拐犯の門山健作の異母妹なんですですね。だから妙な親近感を抱いたんですですね、さらわれた時……」




