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179台真菜事件01

   (一)『台真菜』事件




 1月の末だった。寒さは肌を刺すようで、俺――朱雀楼路すざく・ろうじは何度も胴震いした。旧棟1年5組の教室――我らが『探偵同好会』部室において、今日も今日とて暇潰しの会話が紡がれる。朝に腹へ仕込んだホッカイロは既に冷たく、何の温かみもない。俺は無用の長物となったそれを引っ張り出すと、椅子から立ち上がってゴミ箱へと歩いた。


「やあ、君もようやく里帰りする気になったかね」


 俺はゴミじゃない。


 ふざけたことを抜かしたのは、この『探偵同好会』会長にして絶世の美貌の持ち主、桐木純架きりき・じゅんかその人だ。彼はとにかく美しい。『世界に影響を与える100人』に選ばれないのが不思議なほど、ある種妖艶な、人間離れした魅力をその相貌に備えている。額を隠す前髪、耳が埋もれた豊富な横髪など、まるで中世ヨーロッパの貴族を思わせる黒いヘアスタイルが良く似合っていた。


 だがこの男の本質はそこじゃない。無類の謎解き好きなのだ。俺を誘って『探偵同好会』――まあ当時は同好会ですらなかったが――を立ち上げ、以来何十もの事件を解決してきた。その推理力、洞察力は冴え渡り、特に去年の学園祭では隠された白鷺トロフィーの奪還に成功するなど、数々の殊勲を我が手にしてきた。学校の試験の成績は悪いものの、同好会メンバーを牽引する実力はあなどれないものがある。


 とまあ、そこまでなら女子に大モテできゃあきゃあ言われていただろう。しかし残念なことに、彼には更にもう一つの側面があった――奇行癖の持ち主なのだ。


 先ほど俺に投げかけた珍奇な質問といい、いちいち癇に障る奇行を連発するのが彼の本性といって差し支えない。さっきも実写邦画『鋼の錬金術師』のDVDを俺に貸そう貸そうと押し付けてきて、断るのに難儀したばかりだ。「こんな大傑作を観賞しないなんて無粋の極みだよ」とか何とか言って、俺の貴重な人生のひと時を強奪しようとするのだから呆れたものだ。俺はどうにか押しのけ、今は寒気に震えながら席についているというわけだ。


「ほら、楼路君!」


 その俺に突如放り投げられたのは何かの小さな包み。俺が空中で掴まえると、それは一粒ののど飴だった。


「ナイスキャッチ!」


 こちらへ投じた張本人は、俺の所属する1年3組の実力者、飯田奈緒いいだ・なおだ。少年のようなベリーショートの黒髪で、愛くるしい小動物のような大きい茶色の瞳、小さめな鼻、繊細な唇が可愛らしく、耳が丸まっているのがチャームポイントだ。


 今でも信じられないが、彼女は俺の恋人なのだ。俺は包みを開き、のど飴を口に放り込みながら奈緒に尋ねた。


「コンビニで買ったのか?」


「うん。最近は乾燥して喉もいがらっぽくなるから、楼路君のために、ね」


「ありがとよ、奈緒」


「どういたしまして」


 俺と奈緒は微笑み合った。ああ、幸せだ。純架のせいで不愉快だった気分が浄化されていく。


 そこへ揶揄する声が上がった。


「ふん、バカップルがのろけやがって」


 俺が声の主に視線を向けると、そこには格好いいというより可愛いといった具合の美少年がいた。茶色の髪は癖っ毛で手入れが大変そうだ。瞳は穢れを知らぬ純朴さで、鼻は生意気そうに尖っている。富豪三宮財閥の御曹司、三宮英二さんのみや・えいじだった。負けん気の強いクラスメイトで、純架との勝負に負けて『探偵同好会』に入会してきた変わり者だ。


「おい結城、カップが空になった。紅茶を注いでくれ」


「はい、かしこまりました」


 その英二にかしづくクールビューティーな少女は菅野結城すがの・ゆうき。制服は皺一つなく、銀縁眼鏡の奥のグレーの瞳は底知れない。知的な見た目と中身を擁しており、鋭利な刃物のような印象だ。三宮家の専属メイドとして代々仕えてきた一族の末裔だった。見る男の心を奪う成熟した彼女だったが、残念ながら既に英二と交際中だ。


「それにしてもこの部屋は暴力的に寒いな。結城、今度教師陣とかけ合って暖房の導入を交渉するぞ」


「承知いたしました。構いませんね、桐木さん?」


 純架は制服である紺のブレザーの上に茶色いトレンチコートをまとい、更に体中にホッカイロを巻きつけていた。


「駄目駄目、この程度の寒さで音を上げるようじゃ一人前の男とは言えないよ」


 じゃあお前は半人前以下だろ。


 そこで引き戸が開き、二人の女生徒が入ってきた。一人は辰野日向たつの・ひなた、もう一人は台真菜うてな・まなだ。


 日向は黒縁眼鏡にショートカットで、顔はまあ綺麗な方だといえたが、希少価値を主張するほどでもない。スレンダーな体にはいつものごとく紅色のデジタルカメラをぶらさげていた。新聞部との掛け持ちで、取材能力は一級と評されている。


 彼女が手を引く真菜は、どうにも元気がなさそうに見えた。うつむいて、吐く息の白さが青ざめた顔色と似通っている。真菜は褐色の肌に片側で縛った赤茶色の髪を擁し、真珠のような凛々しい黒い瞳が美しい。小振りな鼻と大きな口は共に深い印象を周囲に与える。少し猫っぽく、野性味溢れていた。しなやかな体躯、滑らかな動作は高い運動神経の発露といえた。


「はあ……」


 これまた真菜らしくもない、物思いに耽るような溜め息。普段は愛する桐木純架にすり寄り、べたべたして、それをよく思わぬ日向に怒られている彼女。だが今はそんな定番アクションを微塵も行なわず、ただ黙って空いている椅子に座った。


 結城が気を使い、真菜に優しく尋ねた。


「お茶を淹れましょう。紅茶がいいですか、コーヒーがいいですか?」


「コーヒー。砂糖お願いしますです」


 てっきりまたまとわりつかれると心配していたであろう純架は、しかしそれがどうやらなさそうと知って、安堵と不審のない交ぜとなった表情をしていた。


「どうしたんだい、台さん? 元気がなさそうだけど……」


 真菜は結城から紙カップのコーヒーを渡され、両手で押しいただいた。表面に息を二、三度吹きかけてから、ゆっくり中身をすする。入れ物の角度を戻して唇から漏れたのは、やはり深い溜め息だった。常にない大人しさだ。純架の問いに答えないのは、嫌だからではなく、初めから耳に届いていないからのように思えた。その証拠に瞳は黒い水面を見つめ、考え事に集中しているのは明らかだ。


 俺は日向に問いかけた。


「なあ辰野さん、台さんはずっとこうなのか?」


「私は1組だから、2組の台さんの様子をつぶさに知っているわけではありませんが……。放課後すぐ、新聞部の友達に挨拶しようと2組に行ったら、台さんが教室でぼんやりしてました。何を聞いてもずっとこの調子で、いつもならチャイムと同時に3組の桐木さんのところに飛び出していくと聞いていたから、ちょっと意外で……。それで今日は、私が引っ張る形でここへ連れてきたんです」


 ううむ、毎日愛しの純架様に絡みついていた真菜が、こうもしょんぼりしていると、こちらとしても調子が狂うな。それは他の皆も同様で、英二は不味そうに紅茶を傾けていた。


「おい台。何があったかは知らんが、それはこの『探偵同好会』のメンバーにも打ち明けられないほどの悩み事なのか?」

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