176年始の失踪事件10
純架が解説した。
「福勝理恵さんがしたためた2通の手紙は、暗に自分の居場所を伝えていたんだ。最初の家出の際に送ってきた1通目の手紙はこうだった」
『今回のこと、本当に深く、深く反省しています。岸辺から覗く海、遥か遠くに鳥が舞っています。振り仰いだ山、セミの鳴き声がうるさいくらいです。名前も場所も明かせませんが、今は友達の家を頼っています。どうか私を捜さないでください。一応、戻る気ではいますので……。――理恵より』
「大切なのは『覗く海、遥か遠くに』という部分だ。ここに『み、はる』――『みはる』、すなわち『桜井美晴』さんの名が示されていたんだ。このとき理恵さんは、親友の桜井さん家に転がり込んでいたわけだね。理恵さんのスマホの電話帳で『みはる』を調べたらビンゴだったよ」
なるほど、純架が昨日電話していた相手は桜井美晴だったのだ。彼女に、かつて理恵を隠匿していたことを確認したというわけだ。
「そして3度目の――つまり今回の家出で福勝家に届いた2通目の手紙。それはこんな文面だった」
『いつも迷惑かけてごめんなさい。今回は友達の園子の家に居候してます。私の心は不安定な水面のようで、急な波が現れては立ち消え、波紋を広げ、とても穏やかではいられません。私の居場所はお母さんの家ではないのです。お母さんは気にせず、好きなように生きてください。またいつか会える日を心より楽しみにしております。――理恵より』
「これには『園子』とあって、僕らはまんまと騙された。これはフェイクだ。本当に重要だったのは『急な波』という箇所だ。これが『ななみ』――すなわち『永峰七海』さんを指していた、というわけさ。理恵さんのスマホに『ななみ』の名前で登録されていた電話番号と住所は、永峰さんのものだけだった。だから田辺君と福勝さんは、永峰さんの家にいると見当がついたわけだよ」
明雄は話を聞いて呆れ返っていた。
「おい理恵、お前そんなことしてたのか」
理恵は両手の人差し指をつつき合わせた。
「だって、その……。私だって罪悪感がなかったわけじゃないんだよ? 家出したことに対して。だから、気づくかな、どうかなって、そう思いつつ無事を知らせる手紙を送ったんだ。スマホはすぐロック解除できるようにしてあるし、辿り着ける可能性を5パーセントぐらいは残しておいてあげようかと考えて……」
「あほな奴だな、相変わらず」
「うるさいなあ」
理恵はばつが悪そうにそっぽを向いた。俺はともかく、純架が彼女の残したヒントに気づけて良かったと、心から思った。
「それは分かった。それより田辺。何で理恵さんを連れて家出なんてしたんだ? 理恵さんは常習犯だったようだが、何でお前がそれに付き合って行方不明になったんだよ。納得いく説明、もらえるよな?」
明雄は理恵の肩を抱き寄せると、恥じ入ることなく堂々と言い放った。
「簡単だ。俺がこいつを好きだからだ。結婚を考えるぐらいにな」
驚愕のさざなみが一同の上を走る。
「実は理恵は2度目の家出のとき、悪い男に引っかかってな。乱暴されて酷い思いをして帰宅する羽目になった。そいつは俺様が直々にぼこってきたが、理恵はそのとき妊娠してしまったんだ」
俺たちは静寂を友とする。明雄は続けた。
「このことは理恵の母親も知らない、俺たちだけの秘密だ。理恵は下ろすつもりだったが、俺は産めと言った。むしろそのとき自分の本心に気づけたと言っていいぐらいだ。俺は理恵を愛している。その子供なら、誰が親でも愛せるし育てられると思ったんだ。それに、誕生した命に罪はないしな」
俺は幾分なじるように難詰した。脳裏に田辺幹靖・ゆかり夫婦の顔が蘇る。
「なぜそれを自分の両親に相談せず、こんな失踪なんて真似をしたんだ。あまりにも身勝手すぎるだろう」
明雄は初めて苦しそうに顔を歪めた。
「一人の父親になるにあたって、独立して仕事をして金を稼いでいかなきゃいけない。高校生は辞めるしかなかった。それが申し訳なかった。それに親父もお袋も放任主義で俺に構ってこなかったし、俺も今更そのすねをかじろうとも思わない。だから家出して、理恵と二人でまずは出産するまで帰宅しないと心に決めた。それで七海以外に真相を打ち明けず、ここに居候させてもらっていたんだ。間違っていたとは思わない……」
最後はうめくようだった。純架が話の切れを待って口を開く。
「この家に住んでるはずの、永峰さんのご両親は?」
七海がふてくされたように頭を掻いた。
「私の親は二人揃って海外出張中で、この家には毎週日曜日、祖父母が見回りに来るだけなんだ。お金は使い切れないぐらい送ってくるし、だから好きに出来た。理恵は私の大親友だから放っておくわけにもいかないでしょ。それで二人を匿ったんだ。日曜日の数時間だけは外に出てもらってね」
俺は合点がいった。
「俺が田辺と理恵さんを見かけたのは、まさにその日曜日の数時間の出来事だったってわけだ」
純架は目を閉じ、残念そうに溜め息をついた。
「それでこれからどうするつもりだい、君たちは」
明雄の決意は固い。
「まだまだここに居たい。理恵が出産するまでな。うまく子供が誕生したら、それぞれの実家に戻って事情を話し、荷物を持って今度こそ家を出て、赤ん坊と三人で暮らし始める。そういう考えだ。……どうか、見逃してほしい」
純架は手厳しかった。
「甘い! これだけ多くの人間に迷惑をかけて、まだかけ足りないって言うのかい? 僕らは君たちの親に面会したけど、どちらも心から君たちを心配していたんだよ。本当に、心の底から」
苦渋の面持ちの明雄と理恵に、諭すように語りかける。
「警察も出来る限りは動いてくれた。僕たちも動いた。君たちの親も待っている。本当に申し訳ないと思うなら、ここは帰るべきじゃないかい? 君たちは、君たちの親をもっと信じてあげるべきだ。全てを打ち明け、きちんと相談してあげてほしい。親を、もっと頼ってほしい」
純架は自分の説教くさい台詞を打ち消すように苦笑した。
「まあ、僕に言えるのはここまでだ」
明雄の唇は固く閉ざされたままだ。それを開こうとしたのは理恵だった。
「明雄、やっぱりもう帰ろう。この人の言う通りだよ。もし明雄が一人で親に言い出せないなら、あたしが手伝うからさ」
明雄は少し立腹したようだ。
「馬鹿言え。お前に手伝ってもらうぐらいなら自分で言う」
純架は英二に話しかけた。
「英二君、真島さんの口を締めておくことはできるよね?」
英二が真島を見上げる。
「どうだ、真島」
「英二様がおっしゃるなら、それはもう……」
純架が改めて明雄と理恵に微笑んだ。
「僕ら『探偵同好会』は口が堅い。君たちがここにいるという秘密は、誰からも周囲に漏れることはないだろう。後は君たちの決断次第だ。それについて、僕はもう何も言わないよ」
カーテンの外はすっかり暗くなっている。純架は肩をすくめた。
「今日も遅くなった。じゃ、帰ろうか、みんな」
それから数日が過ぎた。寒い部室で窓外に降る雪を恨めしく見つめながら、俺は結城に淹れてもらったコーヒーをすする。じんわり温かさが胃袋に染み渡った。
日向が純架たちに嬉々として話すのを、何となしに聞く。既に明雄から知らされた情報の、それは反復だった。
「その後、田辺さんも福勝さんも意を決してそれぞれの家に戻り、きついお叱りを受けたそうです。そして今後を相談した結果、子供は親公認のもと無事出産することに決まったそうですよ。警察は真相を知らぬまま、田辺さんたちが無事保護されたことを喜んでいたそうです。……以上は復学した田辺さんから教えてもらった話です」
純架は胸に手を当てた。
「やれやれ、以上がこの事件の全貌かな。楼路君の目撃談に始まったこの一件も、すっかり片がついたね」
真菜が――今日も今日とて純架にまとわりついていた――首を伸ばす。
「凄いですです、純架様! ご褒美ですです! キスしますです!」
必死で唇の鋭鋒をかわす純架。
「こら、よさないか台さん!」
日向が拳を振り上げて威嚇する。
「桐木さんから離れなさい、台さん!」
奈緒が俺にささやいた。
「こっちの件はまるで片がつきそうにないわね」
「全くだ。……ああ、平和だな」




