173年始の失踪事件07
純架は冷静に対応した。
「いえ、違うんです、福勝さん。理恵さんと一緒にいた男は、現在渋山台高校1年1組に在籍する田辺明雄という人物なんです。そしてその田辺君も、現在行方不明となっているんです」
渚さんはさすがに驚愕を押し殺せなかった。
「本当ですか? まさか、心中とか……」
その言葉に、部屋の空気が凍りついた。ありえなくもない。もしかしたらそれが事実で、既に決行されている可能性だってあるのだ。
だが俺は激しく首を振った。
「田辺に限って、そんなことするとは思えません。あいつは悲観的な傾向の持ち主じゃないですから」
渚さんは自分自身の言葉で狼狽する心を、必死に抑えているように見える。
「だといいのですが」
純架は自身の携帯電話から、明雄の顔写真――渋山台中学校卒業アルバムの一枚だ――を渚さんに見せた。
「この男が田辺明雄君です。見覚えはありますか?」
渚さんは眼鏡をかけてよく観察した。
「……いいえ、覚えはありません」
純架が残念そうな表情で、話を一歩先に進めた。
「では福勝さん、理恵さんのスマホがあれば調べたいのですが、構いませんか?」
「ええ、はい」
渚さんはあっさり了承し、立ち上がって部屋の隅をごそごそ探した。やがて携帯電話を持ってくる。
「どうぞ。理恵の携帯です。パスワードロックは彼女の生年月日――000625で簡単に外れます。理恵の家出はこれで3回目ですが、今回はもう戻ってこないんじゃないかと不安でなりません」
「というと?」
「こんな手紙が昨日届いたんです」
スマホと共に手中にあった封筒を純架に差し出す。同好会会長は丁重に受け取り、中身を開いた。
「ええと、何々……。『いつも迷惑かけてごめんなさい。今回は友達の園子の家に居候してます。私の心は不安定な水面のようで、急な波が現れては立ち消え、波紋を広げ、とても穏やかではいられません。私の居場所はお母さんの家ではないのです。お母さんは気にせず、好きなように生きてください。またいつか会える日を心より楽しみにしております。――理恵より』」
やや奇妙な文面だったが、確かに帰宅の意志は感じられない。
「差出人は不明、か……。でもこのボールペンの筆跡は理恵さんのもので間違いないんですよね?」
渚さんは首肯した。
「はい、そうです」
純架はにやりと笑った。
「うまいぞ。手がかりが出てきたじゃないか。理恵さんが居候しているという、この『園子』さんの電話番号やメールアドレス、LINEが残っていれば、彼女の後を追跡できるね」
しかし、その希望は渚さんの一言であっけなく打ち砕かれた。
「いえ、もう試してみました。スマホ内を漢字の『園子』、平仮名の『そのこ』、両方で検索してみたのですが、該当する名前はありませんでした」
純架は渋い顔つきだ。
「むう……そうですか」
手渡された電話をいじる。しかし数十秒にして、あっさり匙を投げた。
「電話番号登録件数500件! こりゃあかん」
引っくり返る純架に、日向が同調した。
「交際範囲、広すぎですね……」
真菜が立ったまま――座ると膝が痛いらしい――当たり前のことを言った。
「こんな膨大なデータをいちいち確認してたら日が暮れてしまいますです」
純架は起き上がると了解を取った。
「理恵さんの部屋を覗いてもよろしいですか?」
「ええ、構いませんよ。……でも家出を繰り返すようになってから、持ち物はほとんど売ってお金に換えたようですよ」
俺たちは黄ばんだふすまを開け、隣の部屋を覗いた。カーテンは閉められていて薄暗い。紐を引っ張って電灯を覚醒させると、ほとんどもぬけの殻だった。あるのは鏡台、折りたたまれた布団、何もかかっていないハンガーラック、30インチ程度の液晶テレビ……
純架はまた渋面を作った。
「福勝さんはもうこの部屋を調べたんですよね?」
渚さんはうなずく。
「ええ。めぼしい手がかりはありませんでした」
奈緒が顎をつまんだ。
「私の感覚からいっても、この部屋は異常に物がなさ過ぎるわ。もうここを見放したような決意が感じられる。化粧品とかバッグとか、外出用の小道具は残らず持ち去られているようね。代わりにあまり重要でない雑誌とか夏物の衣類とかは、うち捨てられているけどね」
純架は自身を励ますように頬を叩いた。
「ともかく調べてみよう。何か理恵さんの家出に繋がる痕跡が残っているかもしれない。福勝さんが点検した以上に、詳しく、ね」
それから1時間ほど、鏡台や押し入れ、衣類に書籍などをチェックした。しかし5人がかりの捜索でも手がかりらしきものは一向掴めず、結局全て空振りに終わった。
「これは無理だね」
純架が肩をすくめた。その状態で両膝をカクカク交差させる。操り人形を演じているようだ。
その意味は未来永劫分からないのだろう。
真菜は渚さんに膝の傷を手当してもらったが、純架にハンカチを返そうとはしなかった。
「これはあたしの宝物なのですです。頂いてもいいですですよね?」
「別に、欲しければ構わないよ」
「嬉しいですです!」
純架は再び首にかじりついてきた真菜に、しかし命を救われたこともあってか、あまり抵抗しなかった。
「福勝さん、理恵さんのスマホをお借りしてよろしいですね?」
「ええ、どうぞ。充電器もお持ちください」
こうして俺たちは福勝家を辞去した。そろそろ日も沈みかかっているようだが、曇り空なのでいまいち分からない。
純架が使命感に燃えていた。
「今日はこのスマホのデータを点検するよ、徹夜でね。楼路君が頑張ってくれたんだ。今度は僕が頑張らなきゃね。……って、あれ? 英二君じゃないか!」
純架の視線の先を辿れば、確かに見慣れた三宮英二と菅野結城、それからサイボーグのような見慣れぬ男がこちらに歩いてくるところだった。男は几帳面なのか髪を五分にし、たくましい体でせかせか動く。両目の鋭さが非凡なところをうかがわせた。
英二がこちらに気づいた。
「あっ、お前ら、先に福勝に辿り着いてたか」
太い足腰のロボット染みた男は、その長身をぎこちなく折り曲げた。
「どうやら君たちが『探偵同好会』さんですね。お初にお目にかかります。真島悠斗です。私立探偵をやってます」
どう見てもどこかのフィットネスジムのインストラクターといった感じだ。
純架が提案した。
「福勝さんにこれ以上心理的負担を強いるのは忍びない。どうだい、情報交換といこうじゃないか。今調べてきたことならただで教えるよ」
英二は口角を持ち上げた。
「いいだろう」
近くのコーヒーショップで『探偵同好会』フルメンバーに真島が揃い、それぞれの情報を披瀝した。しかし、どうやら真島はことごとく純架の後手をいっていたらしく、彼からめぼしい新発見がもたらされることはなかった。警察の作成した似顔絵を元に、俺同様、各種卒業アルバムをしらみつぶしにチェックして、福勝理恵に辿り着いたらしい。彼も苦労したのだろう、同じ境遇のものとして同情する。
真島が改めて確認した。
「『園子』さんですか……。そのスマホには本当に記録がないんですね?」
「そのようです」




