172年始の失踪事件06
翌朝、純架は登校中に俺に報告した。
「昨日はあれから福勝理恵さんの電話番号を尋ねて回ってたんだ。ようやく彼女の自宅に電話をかけることができたのは、帰宅して更に作業した末だった」
俺は軽い興奮を覚えた。
「コンタクトが取れたのか」
「いいや。面白いことに、福勝さんは現在家出中で、一ヶ月ほど前から音信不通らしい。応対してくれたのは彼女の母親だった」
意外な展開だ。
「ほう」
「母親の話では、福勝さんは我らが渋山台高校に入学し、一昨年は1年3組に在籍していたらしいんだ」
「していた……?」
「中退したようだよ。一昨年の秋にね」
ということは、明雄とは入れ違いだったわけか。……というか、待て待て、田辺明雄の側にいた女イコール福勝理恵と、まだ断定できるわけではない。
「ちょっとペース落として捜索しようぜ、純架。俺のあやふやな記憶を元に進めてたら、いつかえらい目に遭うぞ」
「僕は君の証言を信じているよ」
純架はさらりと言ってのけ、今日は比較的暖かな街道を、スキップするような足取りで闊歩していった。
放課後、英二と結城を欠いた『探偵同好会』部室において、純架は福勝家に行くことを宣言した。
「とりあえずどういう状況なのか、福勝さんの母親に聞いてみようと思う。さっきアポは取った。これから行ってみるとしよう」
真菜が純架の手を取り、一方的に恋人繋ぎした。純架は辟易した表情でやや強引に手をほどく。真菜が悲しそうに指をさすった。
「純架様、照れてますですの?」
この女はしかしマイペース過ぎる。少しは自分の立場や置かれている状況、周囲の視線を考えたりしないものだろうか?
……いや、考えまい。それがこの台真菜という女子の特性なのだ。
「じゃ、行こうか」
俺たちは部室を後にし、職員室へ鍵を返却すると、スマホの地図を頼りに電話で聞いた住所に向かった。純架は捜査の進展――多分――に浮き浮きと先行し、工事現場の前を横切った。
そのときだった。純架と真菜の真上から、鉄骨が落ちてきたのは。
俺は叫んだ。
「危ねえっ!」
瞬間、それまで純架にしがみついていた真菜が、人が変わったようにアスファルトを蹴りつけた。もの凄い瞬発力で、抱えた純架ごと前方へ跳躍する。鉄骨は派手な炸裂音と共に地面に突き刺さり、破片と粉塵を周囲に撒き散らした。
「純架! 台さん!」
俺は奈緒、日向と共に、突き立った鉄骨の脇をすり抜け、彼らの側に駆け寄った。純架も真菜も無事だった。いや、真菜は膝を擦りむいている。痛々しく血がにじんでいた。
「二人とも、命は大丈夫らしいな」
とりあずそのことにホッとする。後ろから工事現場の作業員があたふたと駆けつけてきた。
「すみません! 無事でしたか?」
俺は瞬間沸騰し、彼に怒鳴り散らした。
「馬鹿野郎! 何て真似しやがるんだ!」
「す、すみません!」
純架が起き上がり、真菜の負傷箇所に視線を落とす。
「ごめん、台さん。怪我してしまったようだね」
「こんなのかすり傷ですです。純架様こそお怪我はありませんですか?」
「ああ、僕なら元気だ」
純架は白いハンカチを取り出し、真菜の膝に包帯代わりに括りつけた。真菜は痛みと歓喜の入り混じった顔をかたどる。
「君はもういいよ。その足では痛いだろう。タクシーを呼ぶから、それに乗って帰りなさい」
真菜は猛烈に抗議した。
「いいえ! あたしなら大丈夫ですです! 純架様の捜査から外さないでくださいです!」
純架は途方に暮れたような表情だった。
「やれやれ、じゃあ仕方ないね。僕が肩を貸すから、負けて退場するプロレスラーのようについてきなさい」
どんなたとえだ。
「はい! 嬉しいです、純架様!」
どうやらこのまま福勝家へ行くようだ。工事現場の作業員が平身低頭、今後の警察対応について愛想笑いで相談してきたが、俺は「いいですよ、どうでも」とあしらって、純架たちの後を追いかけた。
それにしても、危機に際しての真菜の反射神経はどうだ。まるでオリンピック選手のようじゃないか。この運動神経は、いつかまた、今回のように役立つときが来るかも知れない。奈緒や日向もそう思ったのか、真菜に対する目が違ってきている。俺の思い過ごしかもしれないが……
電話で教えられた住所には、あまり手入れのされていない小ぢんまりしたアパートがあぐらを掻いていた。築30年は固い。福勝の名札は1階5号室にあった。郵便受けと洗濯機が外に設置されている。カラスの鳴き声が曇天に響いた。
純架がドアをノックする。程なく、40代後半とおぼしき女性が出てきた。貧相な顔つきで、腹がたるんでいるのが粗末な服の上からでもそれと見て取れた。
「あなた方が電話であった『探偵同好会』の人なんですね?」
「はい、そうです」
真菜はさすがに膝が痛むのか、純架から離れて柱にもたれかかっている。女性は名乗った。
「私は福勝渚。福勝理恵の母です」
「お初にお目にかかります。渋山台高校1年、桐木純架です。理恵さんについてお話をうかがいたいんですが……」
渚さんは頬を緩めた。
「お上がりください」
俺たち5人は六畳間に通された。それまでファンヒーターを点けていなかったらしく、室内の温度は外気温と大差なくて、俺の胴震いは一向止まなかった。
渚さんは安物らしき煎茶を、これまた格調低い湯飲みで出してきた。それでも温かなそのお茶には、渚さんの気遣いが感じられて、全身が程よくぬくもるのだった。
純架は礼を失さぬ態度で軽く飲んでから、話を切り出した。
「さて、理恵さんのことですが……」
しかし、渚さんは遮るように、前傾姿勢で尋ねてきた。
「あの、昨日の電話でおっしゃっていたことは本当なんですか? 理恵が男と一緒にいたというのは」
俺が答えた。
「はい、間違いありません。多分……」
渚さんは顔の左半分を手の平で覆い、目を閉じて溜め息を吐き出した。
「またですか……」
「また、というと」
理恵の母親は頭を冷やすためか、しばし沈黙を守った。やがてぼそぼそとつぶやく。
「理恵にはほとほと参りました。去年頃から素行が悪くなって、悪い友達と付き合うようになったんです。警察に補導されたり、この部屋に男を引き入れることもしばしば。せっかく合格した渋山台高校にも不登校を繰り返すようになり、あげくフリーターになると言い出して中退してしまいました」
そうだったのか。渚さんは無念の塊を飲み込む。
「ぎりぎりまで説得したんですけどね。まるっきり無駄でしたね」
純架が気の毒そうになだめた。
「まるで流れる雲のようなお嬢さんですね」
そうなんですよ、と渚さんは訴えた。
「それで今回の話でしょう? 正直またか、と思いましたね。理恵は家出して一ヶ月前から帰ってきてませんが、やっぱり別の男のもとに転がり込んだようです。あの子には手を焼かされます。私の夫の――つまり理恵の父親の――福勝尚之さんは、3年前に過労死で亡くなってしまいましたが、それもあの子の精神に悪い影響を与えたのではないか、と……。男をとっかえひっかえするのも、尚之さんの幻影を追っているんじゃないかと心配でなりません」




