169年始の失踪事件03
青柳先生が片方の眉をぴくりと動かした。
「一般家出人? どういうことでしょうか?」
「朱雀さんの情報で、田辺さんはただちに生命の危険があるわけではないことが明らかになりました。もちろん捜索の手を緩めるわけではありませんが、警察としてはこれまでのような切迫した状況ではないと判断し、携わる人員を削減する方向に向かうこととなります。危険が迫っているのが特異行方不明者、そうではないのが一般家出人。ご理解いただけますか」
俺たちはこの冷たい言葉に寂として声も出ない。美空さんは畳み掛けてきた。
「残念ながら行方不明者は田辺さんだけではないですし、警察としてももっと凶悪だったり重要だったりする事件の捜査に人員を割かなければならないのです。それが警察というものです。事件が起きないと積極的に動けないんですよ」
俺は頭が真っ白だった。
「そんな……。何か起きた後ではまずいから、こうして捜索をお願いしているのに……」
美空さんは立ち上がった。
「本日は情報提供ありがとうございました。何、所持金が尽きれば、案外田辺さんもすぐ戻ってくるんじゃないですか。多分単なる家出で終わりますよ。私の勘ではね」
「何が『私の勘ではね』だ!」
帰りの車内で、青柳先生は憤慨を隠さなかった。それでも法廷速度を守るのは俺がいるせいだろう。いなければ彼のこと、違法なスピードでかっ飛ばしていたに違いない。
カーナビが曲がり角を指示する。主の謝罪がそれに被さった。
「済まんな朱雀、こんな遅くまで付き合わせて」
「いいえ、お袋にも電話してありますし、問題ないです」
俺は窓外を流れる景色に目をやった。太陽が追いやられてから月が主役を気取っている。星という名の無数の配下を従えて……
田辺明雄。一体何故彼は失踪なんかしたのだろう?
明けて木曜日。放課後『探偵同好会』部室に全員が揃うと、俺は皆にせがまれて昨日の顛末を語り聞かせた。
純架は怒ったように表情を曇らせた。俺の話と、自身の腕にまとわりつく真菜の両方にいきどおりを感じたのだろう。
「警察はこういうとき役に立たないね。酷い話だよ」
奈緒が足を組んで背もたれに頬杖をついた。
「で、どうするの桐木君? この件はこれで終わりにする?」
純架は苦笑し、読んでいた横山光輝の漫画『三国志』第18巻を机に置いた。
お前本当に俺の話を聞いてたか?
「煽るねえ、飯田さん。もちろん決着になんかできやしないさ。この件は『探偵同好会』が独自に動いて解決してみせるよ」
真菜が純架の髪を掻き分け、出てきた耳を噛んだ。
「純架様、あたしも参加できますですか?」
純架は真菜の頬っぺたを平手でぐいぐい押し戻した。
「君も立派な同好会員だ。もちろん動いてもらうよ」
俺は別に真菜がいてもいいと思う。だが奈緒や日向、英二に結城は、この新入会員に非常な嫌悪感をにじませていた。最もできるのはそこまでで、入会届けを出して受理されたこの新人を、邪険に押し出すわけにもいかない。結局妥協と諦念の混血児が彼らの頭部で巣を張る始末となっていた。
真菜が嬉しそうに叫んだ。
「あたし、純架様のお役に立って見せますです!」
日向が対抗意識丸出しで大声を出す。
「わ、私だって頑張りますよ!」
真菜が日向に向かって舌を出した。
「日向さんは黙っていてくださいです。あたしと純架様、二人だけで田辺さんを発見しましょうです」
英二は侮蔑の視線で新入会員の顔を突き刺すと、意外なことを言った。
「まあ、お前らはお前らで勝手にやってろ。俺は俺で、金を支払って私立探偵を雇うつもりだ。こと人探しに関してなら、探偵だって警察に負けちゃいない」
純架が抗議した。
「おいおい英二君、それは『探偵同好会』の守備範囲外だよ。探偵に頼るんじゃこの同好会の存在意義が問われるじゃないか」
英二は苦笑して取り合わない。
「だから言っただろう、俺は俺でやる、と。今回ばかりは純架でも警察以上の仕事はできそうにないからな。結城」
お茶を淹れていた結城が、ご主人様の意向を汲んだ。
「早速手配します。前回同様、真島悠斗様でよろしいですか?」
「ああ、頼む」
奈緒が尋ねた。
「誰よ、その真島さんって」
英二はダイヤモンドの輝きを褒められたように声に力を込めた。
「元警察官の有能な、人探しのスペシャリストだ。請求金額も半端じゃないけどな」
電話をかける結城の姿に、純架は英二説得を断念したようだ。
「今回ばかりは袂を分かつ、というわけだね。まあ、田辺君を無事連れ戻せれば、誰がどんな手段を用いようがどうでもいいことだよ」
英二は嘲笑した。
「早くも負けたときの言い訳か?」
「そう取ってもらっても構わないよ」
純架はそう言って英二をかわすと、鞄を持ち上げた。
「じゃあ行こうか――英二君と菅野さんを除いてね。まずは田辺さんの両親に話を聞くとしようよ」
俺と純架、奈緒、日向、真菜の5人は校舎を後に、一路田辺家を目指した。住所は青柳先生から教えてもらってある。『探偵同好会』が一目置かれている証左と言えた。
渋山台駅に程近いマンションの5階中央が、失踪した田辺明雄の居宅だった。ドアの前まで来ると、純架は俺にバトンをパスした。
「田辺君を最後に見た楼路君が主役なんだ。さあ、インターホンを押したまえ」
俺はためらいを脱ぎ捨てて言われた通りにした。少し緊張する。やがて覇気のない女の声が返ってきた。
「どちらさまですか?」
警戒の色濃い言葉だった。俺はそうする以外ないので、仕方なく名乗った。
「既に警察からお話は行っているかと思いますが、この前の日曜日、最後に田辺君を見た朱雀楼路といいます。ぜひお話したいなと思いまして、やってきました」
女の声の急変ぶりは吃驚するほどだった。
「ああ! 私は母親のゆかりです。よくお越しくださいました。どうぞお上がりください。ちょうど主人が帰ってきたばかりのところなんです」
「友達も連れてきちゃってるんですけど、いいですか? みんな田辺君を心配してるんですが……」
ゆかりさんは逡巡しなかった。
「どうぞどうぞ。狭いですけど」
こうして俺たちは田辺家の客人となった。明雄の父は田辺幹靖と名乗り、背広とネクタイを取り払ってくつろいでいる最中だった。
幹靖さんとゆかりさんの二人は、ぞろぞろ押しかけてきた5人に嫌な顔一つせず、熱いコーヒーでもてなしてくれた。寒空から暖房の効いた室内に入り、縮こまっていた背が自然と伸びる。じゅうたんもふかふかで、できればここで眠りたいほどだった。もちろんそんなわけにもいかず、俺たちは正座したり崩したり、思い思いの姿勢で居間の炬燵に入り込んだ。
真菜はこの家の中でも純架にべったりだ。もし純架の迷惑そうな顔がなかったら、二人はお似合いのバカップルとして、単にいちゃいちゃしているだけに見えただろう。実際、明雄の両親はそういう目で二人を眺めている。




