164おみくじの地図事件04
30分ほど走行して辿り着いたのは、郊外の森の中だった。何だか『能面の男』事件を思い出して薄ら寒い。あのときは英二ともども殺されかけたっけ。俺たちは舗装された道路の最終地点で車を降り、タクシーを待たせて地図の場所に向かった。
昼なお薄暗い森の中、携帯の電波は1や0を指している。怪鳥の鳴き声のようなものが遠くから聞こえ、風が梢をざわつかせた。人一人がやっと通れるほど狭い獣道を、俺たちは言葉もなく黙り込んだまま先へ先へと進む。今この場には俺たち以外いないという恐怖に背中を押されながら……
俺は沈黙に耐えられなくなって、先を進む純架の後姿に愚痴をこぼした。
「全く、正月早々何て目に遭うんだ……」
純架は気にせず、草を掻き分けつつ足を運ぶ。
「楼路君、これも『探偵同好会』の大切な任務だよ。我慢、我慢」
「昨日の大晦日、一騒ぎあったばかりじゃないか! バイト代が欲しいぐらいだ」
純架はスマホのコンパスと地図とを見比べながら急ぎ足で進行する。
「もう一軒家が見えてもいいころだけど……。あ、あれだ!」
10分ほどの苦難の道の果て、朽ち果てたあばら屋が眼球で捉えられた。錆びて使い物にならなくなったであろうチェーンソー、2、3個転がるドラム缶、トタン屋根に剥離した外壁など、恐ろしくオンボロだ。かつては森林伐採で生計を立てていた人々の拠点として使われていたらしく、薪割り用の切り株と刃の欠けた手斧が脇に見える。無人なのだろうか、物音一つしない……
そのときだった。
「だ、誰か来ましたですか?」
内部からうら若い女の、震えて怯えきった声が聞こえてきた。俺と純架は顔を見合わせると、崩れ落ちたドアのぽっかり開いた穴から急いで中に入った。
そこには異様な光景が展開していた。
ベージュのハイカットブーツに長めのデニムジャケットという衣装の女子高生らしき女が、赤茶けたドラム缶の上に危なっかしく立っている。その首には紐が回され、天井に程近い梁から垂れ下がるロープと繋がっていた。両手は後ろで縛られ、顔には目隠しさえされている。もし屈んだり足を踏み外したりすれば、即座に首が絞まるようになっていた。
酷いことをしやがる。俺は大男に無性に腹が立った。
もう何時間もこうしていたのだろう、彼女の両足は疲労のためか引きつり、呼吸は喘ぐようだ。それでも、近づいてきた俺たちの足音をおみくじの大男――誘拐犯人のそれと勘違いしたのか、かすれた声で気丈に挑発してきた。
「いい加減あたしを放す気になりましたですか? それなら結構、最善ですです」
純架は優しく応じた。
「いや、僕らは誘拐犯ではありません。あなたを助けに来ました。今までよく孤独に頑張りましたね。すぐ解放して差し上げます」
女は数秒固まった後、安堵からか深い溜め息をついた。
「本当ですですね? 嘘じゃありませんですね?」
「はい。おっと、動かないでください。下手に動くとドラム缶から離れ、本当に首吊りが完成してしまいます」
女は緩みかけた緊張を引き締めた。
「はい、気をつけますです。それにしても助かりましたです。私は台真菜。あなたは?」
「桐木純架。もう一人は親友の朱雀楼路君です」
純架は俺に指示した。
「ドラム缶を押さえていてくれたまえ。その隙に僕が上に登って、十徳ナイフでロープを切断する」
「おいおい、お前いつもそんなもの持ち歩いているのか。銃刀法所持違反だろ」
「いつ野生の熊に出くわしても戦えるように準備しているのさ」
そんな機会はないし、もし遭遇したとしても十徳ナイフで撃退できるような相手でもなかろう。
俺と純架は注意して行動を起こした。一歩まかり間違えば、目の前の少女が死ぬかもしれないのだ。ドラム缶を抱え込んだ両手は汗ばみ、純架が上に飛び乗るとそれは一層激しくなった。
ロープが固いのかアーミーナイフの切れ味が悪いのか、緊張の瞬間は2分ほど持続した。だがそれも、紐がぷつりと切れる音で終わりを告げる。
真菜は死のあぎとから生還したのだ。
純架が目隠しを外すと、彼女の真珠のような凛々しく黒い瞳が露出した。真菜は褐色の肌に片側で縛った赤茶色の髪を擁し、小振りな鼻と大きな口とで見るものに深い印象を与える。少し猫っぽく、野性味溢れる雰囲気だ。
「降りられますか?」
「任せてくださいです」
そのしなやかな体躯が、滑らかな動作でドラム缶から飛び降りる。運動神経の高さを感じた。
「楼路君、彼女の両手を縛り付けている綱を外してくれたまえ」
純架も着地する。やがて腕の拘束を解かれた真菜は、両手を広げて、下りてきたばかりの純架に目一杯抱きついた。
「ありがとうございますです! 大好きですです!」
その勢いたるや凄まじく、純架は彼女に押し倒された。
「ちょ、ちょっと台さん……」
さすがに戸惑う純架の頬っぺたに、真菜は自分のそれを擦り合わせる。まるで小動物のような、原始的な愛情表現だった。
「純架様……」
顔を離した少女は、こんどは純架の唇に接吻しようとした。純架は平手で口元を覆うことで未然に防いだ。
「いい加減にしたまえ」
純架は真菜の上体を手で押しやり、無理矢理立ち上がった。真菜は座ったまま物足りないとばかりに舌なめずりをする。
「もう、純情なんですですから……」
いや、どう考えても真菜が積極的過ぎるだろ。にしても、彼女は生まれたばかりのひよこが初めて見たものを親だと勘違いするように、目隠しが取れて最初に見た純架に恋したようだ。それが証拠に、俺になど一瞥もくれない。両手を組み合わせて胸元に当てる真菜は、きららかに双眸を明滅させ、猿でも分かる情愛の視線を純架に向けるばかりだった。
純架はそれよりも、と真菜に尋ねた。
「君、トイレは大丈夫かい? 散々ほったらかしにされて尿が溜まってないか?」
真菜はその言葉でようやく思い出した、というように、自分の下腹部を両手で押さえた。
「も、漏れそうなのですです。ちょっと外で済ましてきますので、ここで待っていてくださいです」
そう答えると、脱兎のごとく外へと飛び出していった。純架はほっと安心の感情を顔に横切らせる。
「ああいうのは苦手だよ、楼路君。スキンシップが酷過ぎる。海外じゃないんだからさ」
「そうか? 俺はちょっとうらやましかったけどな」
「飯田さんに言いつけちゃおうかな、今の言葉」
「よせやい。ほんの冗談だ」
5分ほどして真菜が戻ってきた。
「用を足しているところを見られたくなくて、少し遠出してましたです」
純架の腕に自分のそれを絡ませる。早くも溺愛態勢だった。純架はその程度なら邪険に扱うこともできないらしく、なすがままにされた。
「それじゃ話を聞かせてもらいたいね。一体いつどこで、誰に誘拐されて、この場所に監禁されたんだい?」
真菜の表情が当時の戦慄を思い出したか、一瞬にして曇り空となった。
「あたしは昨日の夜、一人で買い物から帰宅している最中に、いきなり格闘家のようながたいのいい男……」
俺は怒りを抱いてつぶやいた。
「あいつか」




