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139白石まどか事件07

 純架は苦悩した。煩悶する所か?


「……分かった。奇行はしない。約束するよ」


 沙織は綺麗な笑みを閃かせた。


「私、今の彼氏をキープしたまま、あなたと付き合ってあげる。どっちがいいか品定めしながら、ね。それでもいいなら構わないけど。どう?」


 うーん、これが妥協点か。純架は一も二もなく同意した。


「じゃあ付き合おう」


 そういって、沙織を抱きしめた。沙織は抵抗せず抗議した。


「ちょっと、彼氏に見られたらどうするのよ」


「そうだね、ごめん」


 純架が身を離すと、沙織は上気した顔で髪を払った。


「調子に乗らないでよね」


 まんざらでもなさそうだな。俺は純架の手並みに拍手を送りたい気分だった。




 純架の1年2組通いはその後も続けられた。あるときは清水先生との昼食を蹴らせ、自分との食事にこぎつけた。あるときは部活の終わりを待って、一緒に下校した。沙織は純架の前によく笑顔を見せるようになった。晩秋の深まりと共に、二人の仲は急速に接近していった。


「純架君!」


 ある朝、沙織が登校した俺たちを見つけて声をかけてきた。


「今日もお昼一緒に食べよ」


「うん、嬉しいよ、沙織さん」


 いつの間にか名前で呼び合っている。純架が心配そうに尋ねた。


「それにしても、今まで昼食を一緒に取ってきた彼氏に、恨まれたりしないかな」


 沙織はやんわり否定した。


「大丈夫よ。彼氏、最近は私のこと言い間違えたりするんだから。ちょっと頭にきてたんだ」


「言い間違え?」


「そうよ。私は沙織なのに、時折『美音子みねこ』とか呼んでくるの。酷い話でしょう?」


 純架は追従ついしょうした。


「それは酷いね。指摘したりしたの?」


「うん、何度もね。でも彼氏、指摘されると『言ってない』とか訳わかんないこと口にして、不機嫌になるんだ。やんなっちゃう」


 美音子、か。清水先生、他にも女がいるんだろうか?


 チャイムが鳴った。沙織が残念そうに離れていく。


「じゃあね純架君、また後でね!」


「沙織さんも、またね」


 純架がにこやかに手を振ってみせる中、沙織は自分の教室に入っていった。


「どうすんだ、これ」


 俺は純架を詰問した。いくら弓削先輩の希望とはいえ、やり過ぎではなかろうか。


「何、いざ別れる段になったら、フルスロットルで奇行しまくればいい。きっと沙織さんも興ざめして離れていくよ」


 ああ、そうか。その手があったか。




 そんなある日の放課後。2組で沙織と軽く話していた俺たちは、そろそろお互いの部活動に行こうかと腰を浮かしかけた。


 そのときだった。純架が何者かに肩を掴まれたのだ。その手の主の顔に、俺は驚きを隠せなかった。それはなんと、沙織の彼氏、化学教師――


 清水京太郎その人だったのだ。


「清水先生!」


 沙織が恐怖に青ざめる。純架はとぼけて、肩の手を払いのけながら「何か?」と問いかけた。


「1年3組の桐木純架、だよな。ちょっと話したいことがある。化学準備室まで来てもらおうか」


 沙織がうろたえて半狂乱になった。


「違う、違うの先生! 私と純架君は単なる友達――」


「言い訳するな」


 絶対零度の声音だった。俺は背筋に汗が伝うのを感じた。ぶち切れ教師・清水の目には、そら恐ろしいほどの憎悪が宿っていたのだ。


「分かりました」


 純架は大人しく答えた。不安の彫像と化した沙織に一つ苦笑いすると、黙って先行する清水先生の後についていく。俺と沙織は誰もいない教室に取り残された。




 十分ほどで純架は帰ってきた。清水に殴られてないか心配したが、けろりとしている。沙織が純架の手を取った。


「良かった……無事だったのね」


「男同士の話し合いだよ」


 俺は清水がまたやってこないか気にしながら質問した。


「どんなやり取りがあったんだ?」


「何ということはないよ。清水先生が『弓削沙織に近づくな。彼女は俺の可愛い教え子だ。お前ごときがちょっかいを出すんじゃない』というから、僕が『別にちょっかいなんて出していません。ただ友達として色々なことを話しているというだけです』と返したんだ。そうしたら清水先生、激高してね。口端から唾液が漏れるのを手の甲でこすったんだ。『お前がうろちょろするようになってから、弓削は化学準備室に来なくなった。お前のせいだ。もう一度言うが、弓削に手を出すな。いいな』とまあ、それでおしまいさ」


 純架は改めて沙織に聞いた。


「沙織さんの彼氏って、清水先生のことだったんだね」


 熟知していた事実だったが、今まで知らないふりをしてきたのだ。沙織はこくりと首肯した。


「やっぱり清水先生には私が必要なんだ……」


 思い詰めたような声色だ。沙織は清水先生に依存されているようで、その実依存している。そんな気がした。




「……というわけさ」


 純架は『探偵同好会』部室でメンバー相手に情報を共有した。


 まどかは常の明るさはなく、顎をさすってまつ毛を伏せている。真剣に悩んでいるらしく、その顔は険しい。


 純架はそんな彼女に話しかけた。


「白石さん、そろそろ話してくれないか。清水先生と沙織さんを二人きりにしてはいけない理由。清水先生が沙織さん相手に言い間違える『美音子』という人物。その他、洗いざらい」


 奈緒、日向、英二、結城、もちろん俺と純架。6人がまどかの顔に視線を集中させる。純架がさらに押した。


「頼むよ、白石さん。どうやら君は、僕らより今回の一件に――清水先生や沙織さんの隠された秘密に詳しいようだからね」


 まどかは面を上げた。『探偵同好会』会員の一人一人を見渡す。やがて大きく息をつき、両手を腰に当てた。


「せやな。このままだと清水先生が純架をどつくかもしれへんしな。皆口が堅いことを知っててあえて言うけど――他言無用でお願いな」


 そうして、白石まどかは過去の出来事を語り始めた。




 23年前、それはちょうど秋の終わりごろだった。


「清水先生!」


 あたしと荻原美音子おぎわら・みねこは、渋山台高校の廊下で清水京太郎先生とすれ違った。締め切られた窓から暖かな夕日が差し込んでいる。


「おう、白石と荻原か。今帰りか」


 28歳の若い清水先生は、生徒たちに好かれる好青年だった。美音子は彼の腕を取った。


「先生、また明日ね」


「お、おう」


 同級生の間でも、清水先生を理想の彼氏に挙げる人は多かった。美音子はその中でもトップバッターだ。彼が1年5組の担任となった春から、彼女の恋心はトマトのように急速に色づいていったのだ。あたしはそんな美音子を応援しながら、その無邪気な純真さにどこか嫉妬していた。


「あーっ、やっぱ清水先生いいなあ」


 黄昏どきの帰り道、美音子は万歳しながら恥ずかしげもなく大声を出した。そこでふと何かに気づいたかのようにあたしに注意する。


「でも駄目よまどか、先生に手を出しちゃ。以前先生言ってたもの、まどかの関西弁結構好きだって」


 あたしは苦笑した。


「何や、しょうもない。前にも言うたやろ、あたしは美音子の恋を応援するって。もう決めたんやから。安心せいや」


「ならいいけど」


 あたし――白石まどかは、大阪市出身の15歳。地元から遠く離れたここ渋山台高校に入学したのは、父親の転勤に合わせたからだった。最初こそ関西弁を馬鹿にされ、挫けかけたものの、後ろの席だった美音子にサポートしてもらい、周囲の風景にどうにか馴染んでいった。そんなわけだから美音子は大の恩人で大の親友。かけがえのない仲間だった。

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