137白石まどか事件05
「何しに来たの? 彼女を捨てて小生と付き合う気になってくれた……ってこともないだろうし」
俺は彼女の憤慨を抑えるように両の手の平で空気を押した。
「いや、今日は今『探偵同好会』で調査している案件で、純架に報告に来たんだ。……久しぶりだね、愛ちゃん」
愛は俺の挨拶に何も返さず、冷たい目でひと撫でする。
「やっぱりそんなことだと思った。あの日、渋山台高校学園祭で受けた仕打ち、小生は忘れたことがないわ。辛くて苦しくて、何度枕を涙で濡らしたか……」
握った拳が震えている。それが内心の憤怒を表わしているようだった。
「このまま楼路さんを『戦塵拳』で粉微塵にしてもいいんだけど、それでもかつては片思いした相手。それは気が引けるし……。そうね」
名案を思いついたらしく両目が輝いた。喉を押さえて咳き込んでいる純架に話しかける。
「お兄ちゃん、『負けた罰』を言うわ。楼路さんにビンタして」
どうやら今の兄妹組み手には、負けた側が相手の言うことを聞く罰ゲームがあるらしい。そういえば前回は負けた愛がお茶汲みしたんだっけ。
純架はしかし、首を振った。
「いや、そんなことはしないよ」
愛の顔がみるみる曇った。
「お兄ちゃん、負けたら言うことを一つ聞く約束でしょ? 憎き楼路さんの頬を張って! 小生の恨みを晴らして!」
純架はかたくなだ。
「駄目だよ、愛君。僕一人の身に関してならともかく、仲間に手を出すのはルール違反だ。できないよ」
愛は地団太を踏んだ。
「楼路さんを張って! 今すぐ! 早く!」
「駄目だ、無理だよ、愛君」
愛は歯軋りした。
「もう、お兄ちゃんは本当に融通が利かないね!」
俺は抑えきれず会話に割り込んだ。
「愛ちゃん」
「何よ」
俺はきっちりと頭を下げた。面を上げると、きょとんとする愛に出来るだけ誠実になるよう言葉を選んだ。
「本当、悪い。俺はクラスメイトで『探偵同好会』仲間の飯田奈緒が本当に好きで、恋人同士になったんだ。愛ちゃんの好意を受け止められなくてすまないと思ってる。この通りだ。本当に悪かった。許してくれ」
室内に静寂が舞い降りた。愛の目線が俺のそれを射抜く。
「楼路さん……」
英二が愛を指差した。
「おいガキ、お前は自分が不幸せになったら何でも怒って殴りつけるのか? 本当に楼路が好きだったんなら、なぜ楼路の幸せを祝えない。わがままを撒き散らしてそれで楼路に惚れてもらおうだなんて、虫が良すぎると思わないのか? 反省しろ、反省を」
唐突な横槍に、愛の炎は鎮火するどころか燃え上がった。
「う、うるさいわね、この小学生!」
英二が切れ気味に睨みつける。
「何だと?」
俺は愛の隣に立つと、彼女の頭を撫でた。
「愛ちゃん。俺のことはさっさと忘れて、早く次の恋を目指してくれ。大丈夫、愛ちゃんならすぐ似合いの相手が見つかるさ。そのときは俺なんかどうでもよくなってるよ。保証する」
「楼路さん……」
しおらしくなった愛に、俺はほっと一息ついた。
その直後だった。
愛が俺の脛を蹴ったのは。
「あいたっ」
愛はドアに逃げた。肩越しにあかんべえする。
「ふん、べーだ」
そのまま部屋の外へ出て行った。最後の刹那、彼女は年相応の笑みを浮かべていたようにみえた。
純架はようやく立ち上がった。
「やれやれ、愛君にも困ったもんだ」
報告が終わって、俺たちは純架の家を辞去することにした。その際、純架は女装姿で見送るのはさすがに気が引けたらしく、いったん着替えに2階の自室へ上がっていった。俺の家はすぐ隣だが、英二や結城の屋敷はだいぶ離れている。
そこへ、純架の親父さん、桐木将太が現れた。いつの間に着替えたか、小豆色の作務衣を着込み、煙草にライターで火を点ける。
「いつもうちの純架がお世話になってます。本当にありがとうございます」
俺たちは恐縮した。
「いえいえ、こちらこそ」
親父さんの達磨のような顔がにこやかに崩れる。
「純架は昔から友達が出来なくて、孤独に喘いでいました。いつも一人ぼっち。大の奇行好きという性癖が災いして、仲間を作れませんでした。そしてそれはいつの間にか当たり前になり、慣れてさえいたのです。それなのに……」
涙が溢れたか、目尻を拭った。感極まった声で続ける。
「高校ではお隣の朱雀君や皆と、『探偵同好会』で和気あいあいやっている。充実した高校生活を満喫している。奴の親として、こんな幸せはありません。誠に感謝しています。本当にありがとうございます」
深々と頭を下げた。俺は衝き動かされるように言った。
「俺たちも純架が仲良くしてくれて、とても嬉しいです。お互い様です。こちらこそ、ありがとうございます!」
親父さんは面を戻した。にっこり微笑む。
「……まあ、それはいいとして。ところでこんなのはどうですか?」
懐からA4の紙を取り出し、よく見えるようにかざす。サンダルの絵が描かれていた。
「電飾サンダルに次ぐ、変わりものサンダル第二弾! ウイングサンダル! この脇の部分に羽根を装着して、モーター駆動により高速で上下させるのです。きっと雲の上を歩いているような優雅な踏み心地が味わえることうけあいです! 更に各種カットにより従来の製品より五割軽量化を施して……」
もうええっちゅうに。
翌月曜日の放課後、俺たちは弓削慎太郎先輩に調査結果を報告した。清水先生と弓削沙織が公園でキスする写真と動画を前に、弓削先輩の顔はみるみるうちに曇っていった。
「よくも、よくも清水の奴……!」
純架は努めて冷徹だ。
「これからどうなさいますか、弓削先輩。清水先生に直接訴えますか? それとも沙織さんに暴露しますか?」
弓削先輩はこの世の終わりでも見たような顔つきで答えた。
「……どうすればいいか、俺が聞きたいよ」
奈緒が憤っている。
「沙織ちゃんはお金までもらってるんでしょう? 典型的な援助交際です。まずは沙織ちゃんに、清水先生から手を引くようきつく言うべきじゃないですか」
弓削先輩はその案に乗った。
「そうだな。ありがとう。そうするよ。妹に、沙織に写真を見せてきつく言ってみる」
純架は写真と動画を複製した記録媒体を弓削先輩に渡した。
「では、後日その結果をご報告ください。当校の教師が関わっているとなれば、僕らも放ってはおけませんので」
「分かった。恩に着るよ」
あくる日の昼食時。『探偵同好会』の1年3組メンバーは――つまり1組の日向と地縛霊のまどかを除いた5人は、机を向かい合わせて食事にいそしんでいた。
そこへ、絶望の歩く見本といった体で、弓削先輩が暗い顔で現れたのだ。
純架はいったん箸を置いた。
「どうしましたか」
俺たちのそばに来ると、顔を寄せ合う同好会員に小さな声でぼそぼそと喋った。
「昨晩、沙織に写真を見せて迫ったんだ。これは化学教師の清水で、女はお前だ、と。そうしたら沙織の奴、何て言ったと思う?」
弓削先輩は一同を一渡り見て、溜め息と共に語を継いだ。
「あいつ、逆切れしてこうほざいたんだ。『お兄さんには関係ないでしょう』『清水先生が好きで何が悪いの』『探偵の真似事して気持ち悪い』……」




