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136白石まどか事件04

「君たちは?」


 煙草の先を尻尾のように上下させながら尋ねてくる。俺たちは答えた。


「純架のクラスメイトの朱雀楼路です」


「同じく、三宮英二です」


「同じく、菅野結城です」


 男は大きく何度も点頭した。


「そうか、君たちが純架の言っていた友達ですか。遅れてすみません、わしは純架の父、桐木将太きりき・しょうたです。初めまして」


 サンダルに取り付けられた電球が、赤や緑、黄色や青の光を点滅させている。俺はどうにもこらえきれなくなって問いかけた。


「あの、このサンダルは……?]


 純架の親父は得たりや応とばかり、満面に喜悦の色を浮かべた。


「よくぞ聞いてくださいました! これはベンハーサンダル、そうあの映画『ベンハー』で主演のチャールトン・ヘストンが着用していたもので、それに人類初ともいえる『光』の芸術を組み合わせたものなのです! 遠くからでも視認できることから交通事故などを未然に回避できる優れもので、古代オリエント文明発祥から伝わるサンダル界の画期的な新発明といえるでしょう! そして何より……」


「ちょ、ちょっと待ってください」


 俺は恍惚とした表情で早口にまくし立てる純架の親父に、慌てて言葉を差し挟んだ。


「純架に報告しなきゃいけないことがありますので……。サンダルの話はまた今度」


 桐木将太は演説を断ち切られて不満げだ。


「そうですか? やれやれ、仕方ない。でも約束ですからね、次回はちゃんと聞いてくださいよ」


「はあ……」


 英二は目をしばたたいている。俺に耳打ちした。


「何だこのおっさん、純架に負けず劣らずの奇人ぶりだな」


「俺も初めて会ったけど、確かにそうだな」


 扉に向かいかけていた純架の親父は、こちらに首だけ振り返った。


「何か?」


 俺は急いで手を振った。


「いえ、何でも」


 桐木家の玄関は、前に俺が訪れたときと同様、無数のサンダルで埋め尽くされていた。親父さんが胸を反らす。


「どうです、わしのコレクション。白い旗が立てられているものは特にお気に入りのものです」


 足は二本しかないのに、何でこんなにサンダルを集める必要があるのだろうか。俺は片隅に寄せられた、他の家族のものと思しき靴に悲哀を感じた。


 英二は靴を脱ぎながらうかがった。


「それで、純架は?」


「今は自分の部屋で寝ていますよ。後で起こしてきますね。ささ、どうぞ上がって、上がって」


 履物の海を乗り越え、俺たちは廊下を歩いて居間に通された。40インチぐらいの液晶テレビと、ガラステーブルにソファが並んでいる。そこでは34歳、ゴーグルに迷彩服を着た純架のお袋・桐木玲奈が、バラエティ番組を観てくつろいでいた。


 彼女は俺たちの気配に気づいたのだろう、いきなり海にダイブするように身を投げ出し、ソファの陰に隠れながら拳銃を構えた。金髪を揺らしながら、銃口で俺たちを狙う。


「危ない!」


 結城が血相を変え、英二を抱いてドアを盾にした。


「英二様、伏せてください! 朱雀さんも!」


 俺は突っ立ったまま、冷めた口調で冷静に指摘した。


「いや、あれサバイバルゲームのモデルガンだから」


 結城が瞠目する。


「え……? 偽物、なんですか?」


「そう」


 親父さんがお袋さんをたしなめる。


「駄目じゃないか玲奈。いつも言っているだろう、お客様に銃を向けたり、撃ったりしちゃいけないと。全く……」


 言い終えると、親指を立てて上下に振ったり、平手を作って腰の横で泳がせたり、投球のように肩口で手首をひねったりした。


 俺は気になって聞いた。


「何やってるんですか?」


「ハンドサインですよ」


 気づけば純架のお袋も似たような動作を行なっている。やがて彼女は、まだ警戒心を解いていない結城に一礼しながら、ドアの外に出て行った。親父さんが満足げに首を上下させる。


「今茶を入れて持ってくるそうです」


 俺はたまげた。


「あれで通じたんですか?」


「まあお座りください。純架を呼んできます」


 俺たちはソファに腰を下ろした。途端、巨大なおならの音がした。英二が結城を見る。


「違います」


 結城は口を尖らせた。俺は音の発生源が自分だと気づいて、ソファをよく調べてみた。


「ブーブークッションだ」


 座るとおならの騒音がする、ドッキリ番組などでおなじみのアイテムだ。


「居間のソファにこんなもの仕掛けるなんて……」


「多分桐木さんでしょうね」


 結城は呆れたように溜め息をついた。確かに奴以外考えられない。


 お袋さんが煎茶を湯飲みに入れて持ってきた。無言で机に並べると、無言で帰っていく。あの人、喋ることがあるんだろうか?


 そこで「やあやあ」と純架が入室してきた。なぜか女装している。タンクトップにクルーネックニットカーディガン、サロペットパンツ、ウェッジサンダルといったいでたちだ。その毛のない俺でもどきっとするほどの容姿だった。


 結城が見惚れている。


「美しい……」


 英二は吐きそうな顔をした。


「何だ純架、女物の服なんか着て」


 純架は得意げだ。


「父さんから『女装をしてみてはどうか』と勧められて、始めてみたんだ」


 勧める方も勧める方なら、始める方も始める方だった。


「それより、今日は確か弓削さんの尾行当日だったよね。成果はあったかい」


「それなんだが……」


 自信満々に俺が説明しようとしたときだった。


「あちゃーっ!」


 金切り声を発してドアから躍りこんできたのは、黒い胴着に黒いシャツ、黒帯、黒いフルフェイスのヘルメットを着けた人物だった。入室するなり純架に襲い掛かる。


「きえーっ!」


 純架も奇声を発して応戦した。二人は掴み合って壁際で回転する。英二が驚きをさらけ出した。


「今度は何だ?」


 俺は軽度の頭痛に額を押さえた。


「兄妹組み手だ」


 前に見たときは純架が圧勝していた。だが今回は女装姿ということで、思うように身動きが取れないらしい。奇人は怪人物にがっぷり組まれたまま、脇腹にパンチを浴びて劣勢に立たされる。純架も殴り返せばいいものだが、矜持きょうじが許さないのであろう。嫌がる純架は腰をひねって体をずらすが、それは怪人物のコントロールの範囲内だった。ついには背中に回られての裸締めに捉えられた。純架は顔を真っ赤にし、降参の意思表示として相手の腕を数回叩く。純架の敗北、相手の勝利だ。快心の結果に、怪人物は同好会会長を解放してヘルメットを取った。


 純架の妹、桐木愛だった。


「やったぁ、久々に勝った!」


 丸い瞳、お茶目な鼻、ませた唇と、まだあどけなさが残る相貌だ。髪は黒いセミロングで、手足は細く胸もない。将来咲くであろう大輪の花の、まだ片鱗といった見た目だ。


 上機嫌の愛は、そこでようやく室内を見渡した。英二や結城といった見知らぬ人々を目の当たりにし、挨拶しようとする。


 だが……。


「……って、あれ? 楼路さん?」


 俺を発見した愛の顔がみるみる険しくなった。かつて俺に向けていた、あの屈託のない愛情に満ちた眼差しは、もうどこにも見当たらない。憎しみの火をちらちらまたたかせ、きつい双眼を更に吊り上げる。

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