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135白石まどか事件03

 英二はこの仕事に興奮気味だ。俺は彼をたしなめた。


「下手したら一発でばれるかもしれないんだからな、注意しろよ」


「ああ、大丈夫だ」


 結城は切符を確認し、俺に小声で聞いた。


「この値段からすると、弓削さんはそう遠くへは行かないようですね」


「弓削さんの男が近くの駅に住んでいるのか、それとも地元でのデートを嫌って少し離れたところで待ち合わせするのか……」


 沙織は二駅先の新谷川駅で降車した。俺たちも後に続く。そこは渋山台よりやや物寂しいところだった。


「スタバに入るぞ」


 スターバスターは有名なコーヒーショップで、全国にチェーン展開している。沙織は駅前のそこに入店し、レジで商品を注文した。どうやらエクストラショットカフェモカを頼んだらしい。コーヒーを受け取ると二階へ上がっていく。


 俺は英二、結城と相談した。


「どうする?」


 英二は顎に拳を添えた。


「一人外に残して、急な動きに対応できるようにした方がいいな」


 結城が首肯する。


「では私が」


 俺は見栄を張った。


「外は寒い。女の子を野外で張り込ませるなんて気が引ける。俺がやろう」


 英二が気を使った。


「あんまり長引くようなら交替交替だ。そうだな、30分置きに連絡を取り合おう」


「分かった」


 俺は自販機の横、準備中の飲み屋の前に陣取って、スタバを眺めた。中で待機している英二からの通信によれば、沙織は窓際ではなく奥の方の席に座っているということで、こちらを見られる心配は皆無だった。


 もう11月。早いもので、俺が『探偵同好会』に入会してからもう半年以上が経過している。色々な出来事があった。なんなら命を狙われることも一度じゃきかなかった。


 奇人変人の桐木純架と、まさかこうまで仲良くなるとは思わなかった。飯田奈緒とは恋人同士になったし、辰野日向、三宮英二、菅野結城とは親友になった。よもや地縛霊の白石まどかとも親交を結ぶとは想像だにできなかった。


 風景は変わる。俺は俺の元を去った兄貴や親父を思い浮かべた。そういえばいつの間にか、お袋との二人暮らしにも慣れて、以前の一家団欒がどんなものだったか回想できなくなっている――


 そこまで考えたとき、スマホが震えた。俺は画面を確認する。英二からだ。『男が現れた。今出て行く』とあった。弛緩から緊張へ、心のネジを締め直す。電柱の影からスタバの出入り口を見守った。


 来た! 沙織を伴って、コートにサングラスの長身の男が店外に姿を見せた。二人は連れ立って反対方向へ歩いていく。沙織の腕が男のそれに絡みついていた。ずいぶん仲がよさそうだ。


 そこで英二、結城と合流する。


「追いかけよう」


 俺たちは三匹の猟犬のように二人を追跡した。やがて沙織たちは駅から少し離れたところにある白亜の建物に入る。『ボンアミ』、フレンチレストランだ。


 結城が俺たちに尋ねた。


「どうします、中に入りますか?」


 俺は首を振った。


「やめておこう。確実にばれる。しかも予約なしだし」


 その後、結城が手配したらしく、黒塗りのリムジンがやってきた。黒服の招きに導かれ、俺たち三人は暖かい車内に落ち着いてほっと一息ついた。


 英二は窓外のレストランに視線を走らせる。


「まさか一般の高校一年生に過ぎない弓削沙織が、こんな高級な店を選ぶはずもないな。男が誘ったんだろう」


 俺はかじかんでいた指を曲げたり伸ばしたりした。


「男はそれなりに収入のある人物だな」


 結城が賛同する。


「ですね」


 俺たちは英二の護衛車でぬくぬくできるからいいが、本職の刑事や探偵はそうもいかないんだろう。思わず同情してしまう。


 一時間ぐらい経過しただろうか。英二が俺の腕を掴んで、緊張を押し殺すようにささやいた。


「出たぞ」


 空腹を満たして幸せそうな沙織が、男に絡みつきながらレストランを後にする。


「行こう」


 俺たちは十分な距離を置いてから、再び寒空の下、尾行を開始した。


 夕暮れの街角は、買い物から帰宅する主婦、遊び疲れて家路を急ぐ子供、競争しているかのような自動車の列などであわただしい。街灯が早々と点灯し、郵便配達のバイクが走り去っていく。俺たちは適度な間隔を保持して沙織と中年男の後を追った。


 二人は銀杏並木を過ぎ、紅葉色づく公園に入った。着いて早々ベンチに並んで腰掛ける。俺たちは木の陰に隠れて注視した。しばらくの間、何やら楽しそうに会話している。


 そして男と女は、不意にキスをかわした。俺は彼らに聞こえないように声を低めて指図する。


「俺は写真を撮るから、英二は動画を撮れ」


「了解」


 男はサングラスが邪魔なのだろう、ゆっくりとそれを外す。その秘密のベールに包まれた顔貌が、とうとう露わになった。


 俺はあっと叫びそうになって、慌てて口を押さえた。その男は、俺たちがよく見知っている人物――


 化学教師の清水京太郎その人だったのだ。


 清水先生は沙織とのキスを楽しんだ。35歳もある年齢差は、この二人には関係ないようだった。沙織はうっとりと、夢見るような目つきで教師に応えている。幸福の絶頂のような、満たされた表情だった。


 やがて二人は親愛行為をやめて立ち上がった。清水先生が再びサングラスをかける。懐中から財布を取り出し、中から1、2万円を抜き取って沙織に渡した。沙織は一旦拒否したが、清水先生がやや強引に押し付けると、不承不承受け取ってしまいこんだ。


 俺は夢中でスマホのシャッターを切った。音が出ないようにしてあるので気づかれる心配はない。


 二人は並んで公園を出た。新谷川駅に戻ってくると、名残惜しそうに抱きしめ合う。そうして清水先生と沙織は別れ、それぞれ別々の方向に歩き出した。沙織は駅だから、帰るつもりなのだろう。


 英二が成果を喜んだ。


「尾行は成功だな。決定的瞬間を掴んだぞ」


「ああ、そうだな。弓削先輩が気の毒だけどな。……しかしまさか、あのぶち切れ清水先生が相手だったとはなあ」


 男女関係とは分からないものだ。


「俺は帰って純架に報告するけど、どうだ英二、菅野さん。一緒に来るか?」


 てっきり拒否するかと思いきや、英二は首肯した。


「そうだな。たまには下々(しもじも)の生活に触れてみるのも悪くないな」


 結城が同意する。


「ハウスダストが心配です」


 俺は仏頂面だ。


「お前らなあ……」


 英二と結城はくすくすと笑った。




 黒服たちの車で走ること20分。俺は朱雀家と桐木家の前で停めてもらった。外はもう夕闇迫る頃合いだ。皮膚がひりつく寒さだった。


「ここが純架の家か」


 英二が物珍しそうに二階家を見上げる。


「あの奇人の割りにはごく普通じゃないか」


 いや、そりゃそうだろう。どんな家を想像してたんだ?


 俺は純架の家のインターフォンを鳴らした。それほど間をおかず、『はいはい、今出ます』と野太い声で応答があった。誰だ? 純架の家で、残る男と言えば……。


 玄関のドアが開いた。出てきたのは、達磨だるまのような顔と体格で、太鼓腹に短足。紺色の作務衣を着て、電飾付きのサンダルを履いた男だった。くわえ煙草から紫煙をくゆらせている。歳は40歳ぐらいか。

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