134白石まどか事件02
俺たちは一斉に頭を上げた。純架が代表して意見する。
「この男性と密会するのをやめさせたい、と。まあ確かに、妹さんが怪しげな中年と隠れて会っているなど、犯罪の臭いがぷんぷんします。援助交際の可能性もありますしね。ただ……」
純架は溜め息混じりだった。
「そんなこと、沙織さん本人に直接言えばいいと思いますが。この写真を突きつけ、どういうことだ、ってね。それがこの男と別れさせる絶好の方法です。なぜそうなさらないんです?」
弓削先輩は痛いところを突かれた、とばかりにうなった。いかにも悔しげに顔半分を掌で覆う。
「実は、俺と沙織は不仲なんだ。あんまり仲が悪くて、ここ数年まともに口を利いたこともないぐらいだ。もしこの写真を見せて、どういうことだと問い詰めてみたとしても、多分無益に反発されるだけだろう。関係ない、とか言ってな。それにこの程度の写真では、ピントがずれ過ぎてて説得力に欠ける……」
手の平を拳に変えて膝を押さえる。
「だからここに来たんだ。実績ある『探偵同好会』なら、中年男の正体を突き止め、妹を救い出してくれるんじゃないかってな」
平手を合わせ、頭を下げる。
「頼む! この通りだ。何とかしてくれ」
俺は気の毒になって助け舟を出した。
「まあちょうど何の事件もないことだし、調べてみようじゃないか、純架。皆もいいだろ?」
奈緒たちはばらばらにうなずいた。
純架は「うーん……」と悩んだ後、「こ」と言い放った。
下品な奴だ。
「そうだね、そうします。弓削先輩、この依頼、お引き受けいたします」
願いが叶った2年生は愁眉を開いた。
「ありがたい! 恩に着るよ」
純架は写真を胸ポケットに収めた。
「ところでこの写真では薄暗くて、沙織さんの顔がいまいち判別できません。横顔ですし……。妹さんを真正面から撮ったものがあるとありがたいのですが」
弓削先輩はたのもしく胸を叩いた。
「それなら用意してきた。抜かりはない」
スマホを差し出し、撮った待ち受け画像を見せる。それは家族写真で、弓削先輩の両親と、やや不機嫌そうな少女が写っていた。これが沙織か。彼女は黒く艶やかな髪を肩に隠れるまで伸ばし、妖しい魅力の深い瞳を擁する。肌は雪色で血の気が薄い。大人っぽい、他人の目を引く美少女といえた。
「ひっ」
コルク栓を引っこ抜いたような声に、俺はその発生源を見やった。まどかだ。彼女は沙織の写真に深い衝撃を受けたらしく、両手で口元を押さえて顔面蒼白に――幽霊のくせに――なっていた。
純架は気づかず写真を送信してもらう。
「これはいつ頃のものですか?」
依頼人は遠い目をした。
「春の沙織の入学時に皆で撮ったんだ。半年前だな。あいつは嫌がってたけどな」
腕時計を見た。そわそわと立ち上がる。
「塾があるんだ。とりあえず、そういうことだから。調査の方、よろしく頼む。何か聞きたいことがあったら電話してくれ。何でも答えるから」
机に置いていた鞄を引っ掴み、「じゃあな」と手を振りながら、笑顔で教室を出て行った。
純架はその様子を見送ると、「さて」と俺たちの方へ上半身をねじった。
「これは久々の素行調査だね。沙織さんが謎の男と密会したのは先週の日曜日だった。なら今度の日曜日にも再び会う可能性があるね。張り込みと尾行を仕掛けるしかないよ。ただし、僕以外の人間が」
英二が聞きとがめた。
「何でお前は尾行しないんだ?」
純架は両手の平を上にかざした。
「僕は面が割れすぎてる。ちょっと前ならいざ知らず、今じゃ渋山台高校の生徒たちのほとんどに顔を覚えられているからね。頼むよ、皆」
そういうことならしょうがない、か。
いつの間にかまどかが純架の近くに寄り、スマホの画面に映った沙織の顔を凝視している。俺は聞いた。
「どうしたんだい、白石さん。沙織さんの顔が珍しいのかい?」
てっきり「そんなわけあるか!」とでも返してくるのかと思いきや、彼女は無反応だ。どうやらこちらの声かけに全く気づいていないらしい。
さすがに純架もこれに疑念を抱いた。
「白石さん? 過去に沙織さんとの間に何かあったのかい?」
「……いや、何でもあらへん」
まどかは青い顔のまま、一歩後退した。純架がなお追及する。
「喋りたくないことでもあるのかい?」
まどかは笑ってみせた。とてもぎこちなかった。
「何でもない言うとるやろ。ほっとかんかい」
純架は不審に感じたのだろう、しつこく質問を重ねた。
「いや、何が事件の解決に繋がるか分からないし。何かあるなら遠慮なく言ってくれたまえ」
まどかは半切れだ。
「ほっとけや!」
英二は彼女のあからさまな動揺に、さしてアンテナが働かないようだ。
「どうでもいいな。言われたとおりにほっとけ、純架」
奈緒と日向は同調した。
「まどかちゃんが言いたくないなら別に……」
「そうですね」
俺は純架の肩を叩いた。
「そんなことより尾行のメンバーを考えよう。その方が有意義だ」
純架はこだわるのを止めたようだ。
「そうしようか」
しかしその段になっても、まどかは沙織の写真に釘付けのままだった。
そして数日後、見事な秋晴れとなった日曜日。『探偵同好会』のうち俺、英二、結城の三人は、弓削先輩とその妹・沙織の家の前で待機していた。全員軽い変装にと、帽子とマフラーを備えている。黒い高級車内でターゲットが外出するのを待ちながら、英二は静かに紅茶を飲んだ。
「しかし楼路、俺たち自らがこんな真似せずとも、本物の探偵を雇って探らせた方が早いんじゃないか? その程度の金ならいくらでも出せるぞ」
金持ちの発想だな、と思いながら、茶請けを口に入れる。
「同好会の外部の人間に力を借りるのは気が引けるし、第一まだそこまでの事態じゃないだろ」
結城がささやいた。
「出ました」
俺と英二が一斉に弓削邸の玄関に視線を飛ばす。防寒ファッションを整えた沙織が表の道路に姿を見せていた。それなりに化粧をし、高校一年生とは思えぬ成熟した外見だ。特に周囲を気にするでもなく、こちらとは反対方向へ歩き出す。
「行こう」
俺は二人をうながし、車のドアをそっと開けて外部へと降り立った。沙織の数十メートル背後の位置を維持し、つかず離れず尾行する。
英二がいつになくはしゃいでいる。
「やってみると結構面白いものだな、尾行ってのは」
「調子に乗って気づかれるなよ」
「分かってる」
沙織は渋山台駅構内に入った。人混みの中、切符を購入する。俺は彼女が券売機から離れると、急いでいくらの切符を買ったか確認した。
「210円だ」
俺たちはうなずき合うと、急いで同額の切符を手に入れて改札を抜けた。沙織の背中を発見してほっとする。ただ、プラットホームに一緒に立ってはこちらを見つけられる恐れがあったので、俺たちは彼女の視界から隠れるように物陰に潜まねばならなかった。
のぼりの電車が入ってくる。停止して人を吐き出した。俺たちは沙織が車内に乗り込むのを確認すると、急いで隣の車両に飛び込んだ。ドアが閉まり、列車が動き出す。




