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112消えたトロフィー事件17

 純架は内部を叩いた。


「思考の土台って奴ですよ。鍵で開けられないなら別の手段で目的物が盗まれたに違いない。それは何か? 我々が疑ってもいない事実が、実は異なっていたとしたら? 思考の土台――常識をいったん破棄して、一から再構築していったとき、僕はこの真実に辿り着きました。探偵小説なら読者から総すかんを食らうところですが、しかしこれ以外に方法はないわけで」


 純架は戸板を元に戻した。寄りかかるようにして戸棚を元の位置に戻す。


「周防先輩は恐らく父親から二十年前の戸棚のこと――裏側が外れるという構造――を聞き出したのでしょう。旧校舎から新校舎へ引っ越しの際に気づいた笑い話として、ね。しかし周防先輩は考えた――まずそれをこの計画の橋頭堡(きょうとうほ)にしようと。これは疑いようのない事実です」


 高津川先生が感嘆する。


「君が私にしたいくつかの質問は、これに関してのものだったんだね」


 純架は点頭した。


「さて周防先輩と神埼先輩は、こうして白鷺トロフィーを手に入れ、戸棚を元の位置に戻しました。その後どうしたか?」


 一同の顔を見渡す。


「これが肝なのですが、周防先輩は打ち合わせ通り、神埼先輩を一人生徒会室に残し、ドアに鍵をかけて急いで職員室へ返却しに行ったのです。二人入って出るのは一人。まさにマッドマックスの世界です」


 どうでもいい。


 神埼先輩は怒鳴った。


「でたらめだ。さっきから嘘ばかりほざきやがって」


 しかしその声量はだいぶ低くなっていた。純架は取り合わず話を進行する。


「神埼先輩は待ちました。時刻は進み、辺りは暗くなっていく。生徒や先生方が帰宅し、午後六時になって警備員が巡回を開始する。恐らくそこまできて、神埼先輩は真っ暗闇の中、行動を開始しました。といっても大立ち回りじゃありません。神埼先輩は何をしたか。そう、ダンボールをカッターで切って、白鷺トロフィーにセロテープで貼り付けていったのです」


 感嘆の声がいくつか立ち上った。


「明かりはスマホでも使用したのでしょう。もちろんトイレにはいけないから尿意は我慢しなければなりません。多分、限界になったらペットボトルの中へ排尿したものと思われます。睡魔とも闘ったに違いありません。なかなか、普通の精神ではやり遂げられない難事です。大したものです」


 室内を純架の言葉が歩き回る。


「最大の敵は巡回する警備員です。アルコムの彼らに見つからないように、近づいてくる足音が聞こえたら静かにし、机の下にでも隠れて難を逃れたのでしょう。そうして神埼先輩は、一晩かけて白鷺トロフィーの外観を樹の模型に変えたのです。ずっと室内にいたのですから、校門や廊下、階段に赤外線センサーや防犯カメラが取り付けられていても、全く関係ありませんね」


 神埼先輩の顔はどす黒かった。


「お前、ふざけるなよ」


 その声は弱々しかった。周防先輩がなだめた。


「神埼君、彼の話を最後まで聞こうじゃないか」


 純架は一礼して推理を(つむ)ぐ。


「そうして水曜日の早朝6時、警備員が仕事を終えて学校を離れる段になって、神埼先輩はようやく忍耐から解放されました。後は最後のトリックです。神埼先輩は出来上がった樹の模型――白鷺トロフィーを手に、ロッカーの中に隠れました」


 俺は純架がロッカーに隠れていたことを思い出した。純架は身振り手振りを交えて話す。


「そこへ計画通り、周防先輩と目撃者役の――本人はそうとは気づいていませんが――淡木先輩が、鍵を開けて入室してきます。周防先輩はトロフィーの紛失を白々しく『発見』し、淡木先輩に窓の鍵を確認させると、彼女を職員室へ向かわせます」


 淡木先輩が口元を押さえて震えている。自分が無意識にアリバイ作りに協力させられていたことを知って戦慄(せんりつ)を覚えているのだろう。


 純架は舌を回転させた。


「そして淡木先輩が先生を連れて戻ってくる前に、神埼先輩はロッカーから外に出ます。それから窓を開けて、周防先輩の協力の元、樹の模型もろとも屋外へ降り立ったのです。植木のおかげでその場面を誰かに見つけられる恐れはありませんでした。こうして打ち合わせ通りにことを運んだ周防先輩は、最後に空いている窓を閉めて鍵をかけ、何食わぬ顔で淡木先輩を待ちました」


 奈緒に視線を合わせた。


「……飯田さんの『一日中』という言葉がなければ、また三井さんの協力がなければ、このトリックは見破れませんでした。ありがとう」


 奈緒は頬を朱に染めた。俺はそんな彼女を可愛いと思った。


 宮古先生が純架に当然の疑問をぶつけた。


「おい、結局トロフィーはどこへ行ったんだ?」


「白鷺トロフィーという外観は隠蔽(いんぺい)され、樹の模型という見かけになっています。目にした誰もが学園祭の道具だという先入観を抱き、見つかっても咎められません。神埼先輩はそれをいいことに堂々持ち運び、校門まで行ってそこに設置したのです。もうお分かりですね? そう、それは校門すぐ側の位置にある、通称『樹の大門』――樹のアーチの根っこです」


 先生方はほぼ無意識であろう、そろって立ち上がっていた。純架は目をすがめる。


「水曜日早朝の時点では、『樹の大門』はまだ組み立て途中の段階だったはずです。すりかえるのは容易だったでしょう。生徒会の作品ですから、コンクリートの重石でごまかせば誰にも気づかれません」


 純架は周防先輩と神埼先輩を見渡した。


「そうですね、周防先輩、神埼先輩。以上がこの事件の全貌ですよ、お二人さん」


 純架は胸に当てた手を拳に握った。


 アルコムの警備員が青い顔をしている。


「我々は侵入者――というか、校内に残っていた生徒に、不覚にも気づけなかったというわけですか。これは我々の失態ですね。なるほど、確かに私たちにも必要な話でした。ありがとうございます、桐木さん」


 青柳先生が常日頃の厭世(えんせい)ぶりを忘れて問いかけた。


「おい周防、神埼。今の桐木の話、本当なのか?」


 神埼先輩はかたくなだ。


「違います、先生。全部こいつのでたらめです。俺たちはそんなことしてない……」


「もういいよ、神埼君。諦めよう」


 周防先輩がさとすように言った。神埼先輩がその両目を見つめる。


「会長……!」


 生徒会長は役員に指示を出した。


「『樹の大門』を壊して、白鷺トロフィーを確保して。来場者の邪魔にならないように気をつけて。大至急だよ、急いで!」


 生徒会員数名が慌てて飛び出していく。周防先輩はそれを見送ると、パイプ椅子にぐったりともたれかかり、天井を見上げた。


「まさかこんな結末になるなんて……」


 俺は彼をなじるように問いかけた。


「周防先輩。先輩がおっしゃっていた情熱って、つまりこういうようなことだったんですか」


 周防先輩は答えず、独語を続けた。


「最後はもっと違っていたんだ。白鷺祭の閉会式で、白鷺トロフィーがないまま式が進行、そのまま終わる。そして後片付けに入ると、ばらされた樹のアーチからトロフィーがひょっこり顔を出してな。それに驚く先生や生徒たちを見ながら、神埼君と一緒にこっそり笑い合う――そんな最後のはずだったんだ」


 無念そうに瞑目(めいもく)した。


「僕たち生徒会のトップが、ぬるま湯の白鷺祭を嘲笑(ちょうしょう)する。それが最高の、最大の醍醐味(だいごみ)だったのに……」


 純架が冷たく指摘した。


「周防先輩。先輩がやったのは単なる悪質ないたずらです。そんな行為に意味なんてありません」


 周防会長は純架の顔をまじまじと見つめた。二人の視線が交錯(こうさく)する。


(たけ)る気概はもっと建設的な何かへ向かわせるべきでした。多くの先生、生徒に迷惑をかけて、自己満足にふけるなどもっての他です。少なくとも僕は許しません」


 周防先輩は身を起こし、がっくりとうなだれた。純架の言葉を噛み締めるように、たっぷり時間をかけてから口を開いた。


「そうだな。これから神埼君と一緒に職員室へ謝りに行くよ。白鷺トロフィーを持ってな」


 神埼先輩は涙をこらえている。周防先輩は彼の頭を撫でた。


「それにしても『探偵同好会』か。気骨ある生徒がいてくれて、僕は嬉しいよ」




 白鷺祭は盛況のうちに幕を閉じた。全校生徒が一堂に会した閉会式では、主役である白鷺トロフィーを――その価値をあまりよく知られないまま――2年2組代表が受け取った。手品と喫茶店を組み合わせた催しだったそうだ。我らが『肩叩きリラクゼーション・スペース』は残念ながら入賞できなかった。やはり初日の内容が問題視されたらしい。しかし宮古先生が語ったところによると、アンケートの結果ではぶっちぎりで一位だったそうで、純架は大いに面目を(ほどこ)した。


 周防生徒会長と神埼副会長は先生方にこっぴどく叱られ、すっかり縮み上がったという。進路にも影響しかねないとのことで、犯した罪にはふさわしい罰が与えられそうだ。


 一方、俺たちの所属する1年3組の『ダーツ喫茶』は、久川がお客さん相手に容赦なくブル三連投を成功させ、顰蹙(ひんしゅく)のうちに幕を閉じたらしい。案外周防先輩が探していた相手は、彼のような傑物だったのかもしれない。

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