104消えたトロフィー事件09
部室に戻って掃除と今日の反省会をこなす。奈緒が純架にやや不満げに質問した。
「明日、私たち女子は受付専門なの? つまんない」
「残念だけどそうなるね。まだ先生方の許可は下りてないけど、明日も『肩叩きリラクゼーション・スペース』をやるならそれは必須条件だからね」
俺と英二を見る。
「楼路君、英二君、明日はきつくなるだろうけど交替で肩叩きだよ」
英二は先ほどの純架の発言を気にしていた。
「そんな調子でトロフィーは見つかるのか? 職員室では捜査が進んでいるというようなことを言ってたが」
純架は曖昧にうなずいた。
「正直、あれははったりだよ。それほど今回の一件の核心に迫れたわけじゃない」
純架は少し時間を取り、現在の状況を簡潔に説明した。
「ともかく周防生徒会長の行動は怪しすぎる。でも彼がトロフィーを盗んだのではないことも、鍵の件から判明している。周防先輩は自分が犯人でないことを証明するために淡木先輩を使った。その発想と行動はもろに犯人そのものなんだけど、悔しいことにそれを打ち破る証拠は一切ないんだ。会長はまるで『無罪で押し切れる』と確信しているかのようだ。そして現状はそうなりつつある」
無言の聴衆を前に、純架は色々な思いの詰まったため息をついた。
「火曜日の放課後すぐ、周防先輩は職員室から鍵を借りて生徒会室に入った。なくしたスマホを神埼先輩の助力で見つけるためにね。その時点ではトロフィーはあった。鍵は10分で返却されているから、その間にトロフィーを別の場所に移動させるのは不可能だろう」
純架はわずかにいら立っているようだ。
「そして翌早朝、周防先輩は淡木先輩と一緒に生徒会室に入り、トロフィーの紛失に気づいた。つまりこの一晩の間に何者かの手でトロフィーは盗まれたんだ。窓もドアも鍵がかかっている状態でね。どうやってかは未だ分からない……」
英二が口を差し挟んだ。
「周防先輩が嘘をついている可能性は?」
純架は首を振った。
「今まで生徒会長が嘘らしきものをついたことはない。堂々としていて、まるで隙がないんだ。もし嘘をついていたらああも動じずにはいられないよ。どんな凶悪な人間でもね」
額を手で押さえる。
「それに、白鷺トロフィーみたいな目立つものを持ち出したりしたら誰かに見つかるはずさ。放課後すぐの時間帯は、まだ多くの生徒が居残って学園祭の準備に忙しかったんだからね。かといって夜中に侵入するには、警備会社アルコムの監視カメラと赤外線センサー、警備員の巡回を潜り抜けなきゃならない。生徒会室に潜り込むには更に合鍵が必要だ」
苦笑した。
「犯人はこれだけの壁をどう乗り越えたんだろうね? 全く不思議な事件だよ」
奈緒が細い指であごをなぞった。
「それにしてもトロフィー、何で盗んだんだろ。周防先輩が犯人だとしても分からないよ。家に持ち帰ったのかな、飾りたくて……」
「そんなすぐ疑われるような行動は取らないと思うけど。……でもそうだね、動機の面も平行して追及していかないとね」
結城が腕時計に目を落とした。
「英二様、そろそろご帰宅のお時間です。下校しましょう」
英二は軽く両腕を伸ばした。
「もうそんな時間か。明日のフル回転に備えて俺はもう帰るぞ、純架」
「そうしたまえ。僕もいい加減お腹が空いたし、帰るとするよ」
幽霊のまどかが悲しそうだ。
「何や、もう帰るんか? もうちょっと話していこうや。一人は嫌や」
俺は、もうすっかり怖くなくなった彼女をさとした。
「白石さんも明日はぶっ続けで治癒能力を発揮してもらうから、今日はもう休んでくれよ」
「とほほ、地縛霊は辛いのう……」
雑事を終えて帰宅の途に着く頃には、辺り一面とっぷり暮れていた。山の稜線が不明瞭な視界は、漸次夜色に染め上げられていく。闇に抗うように店や車は照明をつけて、街道というキャンバスに光の絵画を描いていた。
俺と純架は並んで歩いている。家が隣同士という親友らしく、特に用事がなければこれがいつものパターンだった。
純架は高校で配られた日程表を、乏しい明かりの中で読み上げる。
「明日は午前10時から午後2時半まで白鷺祭か。で、午後3時に体育館で閉会式、と。いよいよ時間がなくなってきたね」
そう言われると俺もなんだか焦ってくる。といって、俺の頭脳でこの難事件を解決するのは不可能のように思えた。自然、最も頭の冴える純架に比重をかけてしまう。
「明日はどうする? 何なら俺と英二の二人で肩叩きをやって、純架には捜査に専念してもらってもいいけど」
「それは助かるよ。でも、僕も肩を叩く。一時間半程度なら別に構わないし、捜査の息抜きにはちょうどいいから」
そんな悠長なことで構わないのだろうか。俺はますます不安になった。
「おい、大丈夫なんだよな?」
純架は悪びれず返した。
「さあ。今回ばっかりは僕もお手上げ状態だからね。ともかく明日も頑張ろう、楼路君」
俺は純架と別れて帰宅した。色々疲れた。早く飯食って風呂入って寝よう。
そう考えていたときだった。俺のスマホから着信音が流れてきたのは。
表示された相手の名前は周防生徒会長だ。そういえば電話番号を交換したんだっけ。俺は通話ボタンを押した。
「もしもし」
「やあ、夜分悪い。どうやら電話番号、間違えてなかったようだ」
「周防先輩、俺に何か用ですか。トロフィーの件なら同好会の会長である純架に尋ねた方が早いと思いますが」
周防先輩は意外なことを言った。
「いや、僕は君に用があるんだ」
「俺に?」
「電話じゃなくて、ちょっと会って話したいんだ。君の家の近くにある公園なり喫茶店なり教えてくれたら、僕がそこへ出向くんだが」
俺は少し考えた。公園なり喫茶店なり……。そうだ。
「じゃあ喫茶『シャポー』にしましょう。電話を切った後にメールで場所を教えますね」
「済まないね。ああそうそう、桐木君や他の『探偵同好会』会員は抜きで。サシで話したいんだ」
俺は好奇心を刺激された。
「分かりました。うちの隣が純架の家ですが、それなら何も言わずにおきます」
「ありがとう」
時刻は夜の8時を回っていた。俺は私服に着替えると出発し、一人夜道を歩き出した。『シャポー』は徒歩で行ける範囲にある。そこに赴くのはゴールデンウィーク、あの『変わった客』事件以来のことだった。
到着してドアを開ける。すると音に気づいた店員が大きな声で「いらっしゃいませ」と愛想を振りまいた。髭もじゃの鏑マスター、その奥さんの春恵さん、ウェイトレスの剣崎さんが、4ヶ月前と変わらぬ姿で――いや、春恵さんは無事出産したのか、胴が細くなっていた――出迎えてくれた。
「おうい、ここだ、朱雀君」
椅子から立ち上がって呼びかけてきたのは、太った周防先輩その人だった。俺はテーブルを挟んで相対して座った。生徒会長は穏やかに笑った。
「悪いな、急に呼び出したりして」
シャツにジーンズと軽装だ。上着は見当たらない。もう10月なのに寒くないのだろうか、と俺は余計なことを考えた。
「いいえ。それで、話ってのは」
「おごるよ。何でも頼むといい」
「それじゃ遠慮なく……すいません」
俺は挙手して剣崎さんを呼び寄せた。彼女は懐かしそうに目を細める。
「何だ、朱雀じゃないか。5月のバイト以来だな」
俺も自然に頬をほころばせた。
「お久しぶりです。春恵さんは子供を産んだんですか?」
「おう。元気な男の子だったらしいよ。今は家でおじいちゃんとおばあちゃんがあやしていることだろうよ」
「何よりです。……イタリアンスパゲッティとアイスコーヒーひとつ」
剣崎さんは復唱して去っていった。




