第1話 異世界転移
迫りくるトラック。誰かの悲鳴。
なんでかわからないけど、俺は目の前の轢かれそうだった同級生を突き飛ばしていた。自分が身代わりになるかのように。
失敗しないこと。それが俺の行動指針だった。
人生で一度だって、自分の意志で”選択”をしたことはなかった。既に敷かれた”普通”という名のレールを渡り、失敗しないように用意された答えをなぞるだけの空虚な日々。
生きているはずなのに、生きていないような感覚が胸の奥に澱のように溜まり、ぼんやりとした答えの分からない虚無感だけが俺を包んでいた。
そんな中突き飛ばした少女は、「なんでこの人知り合いでもないのに?」って顔でこちらを唖然と見つめている。そりゃそうだ。友達でもなんでもないのに、命を懸けるなんて。自分でもわからない。
周囲から聞こえる悲鳴の中、高速回転する思考と、スローモーションのような光景を眺めながら――俺の身体はトラックへと衝突する。
――そうして、俺……白瀬来榎の一生は、17年という短い年月で終わりを迎えた。俺の死を偲ぶような両親はもうこの世にいないし、きっと誰も悲しむことはないか。
ゲームオーバーだ。もし人生をリトライできるなら……俺はどうするだろうな。
自分で選択して……自由で、のんびりした生活を――
◇ ◇ ◇
「うわあああああ!」
俺は叫び声とともにガバっと身体を起こす。
はあ、はあと息を荒げ、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「……あれ……」
違和感が駆け巡る。
地面の感触や頬を撫でる風。心臓の鼓動。無くしたと思っていたものが、まだここにあった。
「…………俺、死んだ……よな?」
一瞬の意識の断絶があった。まるで悪夢にうなされるように起き上がったが、その瞬間のことは鮮明に覚えていた。
あの時、俺は確実にあのトラックにひき殺された。まだあの横から全力で殴られたような(それ以上なわけだが)、激しい衝撃を覚えている。
普通なら体が粉々になっているはずだし、何より目が覚めるわけがない。
混乱している中、視界に移る景色に違和感を覚える。明らかに歩道ではない。
「というか……どこだ、ここ……?」
見渡す限りの木、足元に広がる草。そこは、どう見ても森の中だった。
仮に一命をとりとめ救急車で運ばれたとしても、目覚めたときは普通病院にいるはずだ。
だが、目の前の風景はどう考えても病院ではなかった。
こんな突飛な現象、思い当たるのはこれまた突飛な発想だけだ。
「えーっと……異世界……転移とか?」
なんて、可能性もあったりする?
ははっと、俺は乾いた笑いをこぼす。
だとしたら、俺もとうとうチートスキルを手に入れて無双するスローライフが始まるのか?
正解がない世界でのスローライフ。俺はラノベやネット小説を読んでそんな生活に憧れていた。
彼らが自由で、のびのびと生きているように見えたのだ。それに、そういった物語には無双がつきものだ。自分の力で切り開くというのは、さぞ気持ちが良いだろう。
「――けど、まあそんなわけないか」
なんだかだ言っても俺はリアリストだ。だからこそ、俺は変な夢は見ないで”普通”という敷かれたレールを歩いていたわけで。
とりあえず現実に頭を戻し、冷静になって考えてみる。
確かにあの時俺はトラックに吹き飛ばされた。だが体は無傷だ。どこも痛くない。ということは、ぶつかったこと自体本当はなかった、ということになる。じゃないと説明がつかない。
であれば、俺が何らかの行動を起こしてここに自ら赴いた、または連れてこられた。そしてあのトラック事故は気を失っている間にみた夢……ってところか。
まあ、こんな森知らないから自分で来たという線はなし。ということは連れてこられたか。
制服を着ているってことは、少なくとも平日の日中帯か。登下校中とか、授業中……。
というか、なんでここに連れてこられたんだ?
「……わけわかんねえな。誰かに恨まれてたっけ? 俺」
自分で言うのもなんだが、挨拶する知り合いはいるけど、友達はほとんどない。そもそも恨まれる関係値がないのだ。
とすれば、犯罪にまきこまれたとか……例えばヤクザに捕まって山奥の森に置き去りにされた、みたいな?
いやいや、有りえないな。俺みたいな”普通”を地で行くやつが、裏社会の人間と接点なんて持つわけがないし。向こうも一般人相手にそんなことしないだろうし。身代金とかって話だとしても、俺には両親もいないし金なんて雀の涙だ。そこを調べない犯罪者はいないだろう。
一般的な家庭ならスマホで位置情報を調べてどこに居るかくらいはわかるんだろうけど、残念ながら俺にそんなものを買う金はなかった。持っていたはずのカバンも近くにはない。完全に身一つだ。
「まじでどこなんだここ……森から抜けられなかったら普通に餓死するぞ……サバイバル知識なんて皆無だし。砂漠ではTシャツよりスーツの方が良いくらいの知識しかない。あとは……水だけで七日くらいは生きられるとか? そもそも水なんてどこにあるんだよ……」
途方に暮れ、とりあえず立ち上がり、辺りを見回してみる。
とてもじゃないが近くに人里があるようには見えない。
――と、ふと掲げた自分の掌を見たその時。
「――なっ……はあ!? な、なんだこれ!?」
俺は思わず声を上げる。その目に入った光景は、あまりに荒唐無稽だった。
まるでゲームでオブジェクトを選択したかのように俺の手が青いサークルで囲われ、その周囲に小さな五つの丸が浮かんでいたのだ。
ぶんぶんと手を振ってみたが、それは追随した。
それは、どうみてもゲームなんかでよく見る「ステータス」と呼ばれるものに近かった。
半分の困惑と半分のわくわくで、俺はそのサークルに書かれている情報を読んでみる。
力:3
俊敏:5
魔力:7
技巧:3
生得魔法:【回帰】:99、【解析】、【異言語理解】
「力……俊敏……? ステータス……みたいな?」
だとすると、まさか本当にここって……。
「ステータスっぽいけど……これだけじゃ高いのか低いのかもわかんないな。一桁だし上限は10とかかな。それに魔力とか生得魔法ってのもあるけど……これって、まさか魔法も使えるってことか!?」
やっぱり……異世界確定か!?
その現象とこの文言は、そうとしか考えられない。
ということは、これはチート能力に違いない! 異世界転移のお決まりだからな!
【解析】ってのは恐らくこのステータスを見る力かな? 【異言語理解】は……自動翻訳的な? 他の人と会わないとわからないな。言葉が通じるといいけど。
「んで……【回帰】? 字面じゃ能力がよくわからないな。99って数字もあるけど……レベルとかのことか? スキルレベルみたいな。だとしたら、いきなり99レベルってこれ相当強いのでは!?」
思考を巡らせていると、途端にさっきまでの困惑は吹き飛び、俺の中でわくわくとした感情が膨らみ始める。
「もし本当にここが異世界なら、最高じゃん! チートっぽい能力もすでにあるし……この後ヒロインとか登場したり、成り上がりしてスローライフ待ったなしか!?」
うおお! と俺はこぶしを握りこむ。
退屈だった虚無な日常。それが崩れ、本当の意味での自由を手に入れられるかもしれない。その嬉しさに、思わず声が出る。
たとえ夢だったとしても、それはそれで面白――
「ガアアアアアアアアアアアアアア!!!」
「!?」
瞬間、人間のものとは思えない身が竦むような咆哮が前方の草むらより響き渡る。
心臓が跳ね上がり、一気に緊張が走る。
な、なんだ今の声……熊か……? 熊鈴なんて持ってないぞ!?
い、いや……ここが異世界ならもしかして……。
すると、ドシンドシンと地鳴りとともに、その姿は草木の間からゆっくりと姿を現す。
それは、背丈は三メートルほどあり、緑色の皮膚。筋肉が岩のように盛り上がっており、右手には木で作ったと思われるこん棒を握っている。
「まさか……オーク……!?」
マンガやアニメでみるような雑魚敵のイメージとは全く違う。明らかに強者のプレッシャー。
そして、先ほど俺の手にも表れたサークルが、オークの胸のあたりに展開される。
力:15
俊敏:8
魔力:0
技巧:2
「力が……俺の5倍!? うっそだろ……チュートリアルからじゃねえのかよ普通!!」
「ガアアアアアアアア!」
こんなの……無双物語が始まる前に死ぬだろ……! こっち丸腰だぞ!?
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