第10話 急成長
視界がひらけた瞬間、ひんやりとした空気と湿った岩の匂いが鼻をついく。
「あれ……俺どうなって……」
周囲を見回すと、そこは薄暗く広がる空間だった。
天井からは水滴がぽたり、ぽたりと落ち、反響する音が静寂を満たしている。
足元には滑らかな石が連なり、苔がちらほらと生え、ところどころに小さな水たまりができていた。自然光はほとんど差し込まず、奥に続く闇が静かに口を開けている。
洞窟……ってやつか? 入ったことないけど……。
「ここは……」
「私の隠れ家の一つよ」
「隠れ家……あれ、さっきまで教会にいたんじゃ……」
足元を見ると、何やら赤い魔法陣のようなものが広がっていた。
それはよく見ると、ユーナさんの胸元にあったものに酷似している。
「まさか、転移ですか……?」
「あはは、そんな伝説級の生得魔法は持ってないよ。その下位互換ってところ。再発動に時間がかかるから、あんまり使えないのよね」
そう言って、ユーナさんは肩をすくめる。
いや、十分凄いですが……。
辺りをよく見ると生活感があり、隅には木箱や水袋らしきものが整然と並べられている。
隠れ家ってことは……やっぱ、ユーナさんって追われてる……んだよな。
まさか、転移してすぐで会った人が悪人とか……どうなってんだ俺の異世界転移……!! 女神仕事しろよ!
「――っ痛!」
俺は肩の痛みに顔を歪める。
そうだった、俺ケガしてるんだった……。
「まずは手当ね。こっち来て」
俺は服を脱がされ、裸で座らせられる。
なんとも羞恥プレイをしているようで緊張するな。美人なだけに。
ユーナさんは俺の左肩に触れると、短く何かを唱える。
すると、俺の出血がみるみる止まっていく。
「回復魔術……! ユーナさんも使えたんですか!」
「私のは気休めよ。魔力適性が低いから、せいぜい止血して回復を早めるくらい」
言いながら、ユーナさんは処置を進める。
「巻き込んじゃったわね、こんなつもりじゃなかった――なんて言っても信じてもらえないだろうけど、本当に送り届けるだけのつもりだったのよ」
「それはわかってますよ。わざわざあんな戦いに素人の俺を引き連れる意味ないですからね。……ただ、結局あの森で助けてもらわなかったら今頃魔物に食い殺されてただろうから、むしろ感謝してますよ。こうして逃げ切ることも出来ましたし」
結果オーライ、と言えばオーライなのか。いろいろと俺の力もわかってきたし。
仮に俺があの森でオークに殺されたとして。【回帰】でリトライしても、あの時点の俺には武器がない。
つまり、100回、ひたすらオークの圧倒的な膂力でぐちゃぐちゃにされ続けて地獄の苦しみを味わって死んでいく可能性があったということだ……。考えるだけでぞっとし、俺は身を震わせる。本当にユーナさんは命の恩人だ。
「そう。一般人と思いきや、意外と覚悟決まってるのね。申し訳ないけど、絶対君も殺されたと思ってたわ。でも、君が必死に耐えていて……しかも一矢報いていた。正直、びっくりした」
「まあ、自分が一番びっくりなんですけどね……もう一回やれと言われても無理ですよ」
これまでの人生でそんな戦いなんてしてこなかったし、あれだけのことが出来たのは自分でも不思議だ。
多少なりとも転移の影響で俺の身体能力が上がっているのかもしれない。それでも、パラメータからすれば俺は一般人レベルなんだから、リトライさまさまではある。
「とにかく、君だけでも生きていてくれてよかったわ。裏の社会で生きているとはいえ、助けた子に死なれたら寝覚めが悪いし」
「そう……ですね」
グレゴリーさんたちが死んだという感覚がまだない。
正直であって一日しか経ってないから、そんな親しいわけではないが、少なくともよくしてくれたグレゴリーさんの死は、俺の心をチクリと刺す。あの死の映像は、しばらくは夢に見そうだ。
ユーナさんは後ろから俺の肩に包帯を巻く。
処置は意外とすぐ済んだが、やはり剣聖のように瞬時に全快とはいかないようで、上から包帯などで押さえる形だ。
やっぱりあの回復魔術が異常だよな……瞬時に全回復って、今時おかしいって。
「――さてと。巻き込んでしまった以上、ある程度説明は必要ね。少し話しをしましょう」
「そうですね……。俺も情報を……整理……しない――と……」
瞬間、目の前がぐわんぐわんとゆがみだす。
平衡感覚を失い、視界がぼやける。
「あっれ……」
「ライカ!?」
まるで遠くから叫ばれているように耳も遠くなり、俺はそのまま天を仰ぐように後ろ向きに倒れこんだ。
◇ ◇ ◇
「ん……」
「気が付いたみたいね」
隣で、肌着のようなきわどい服を着たユーナさんが添い寝して、俺は慌てて顔をそむける。
「ななな……なんて格好を!?」
「君が弱っていたから。洞窟は寒いから、人肌で温めていたのよ」
「な、なるほど……」
分かるけど……スタイルがおかしいんだよ! 凄すぎだろ……!
俺は本能に負けてちらっと見るが、その刺激の強さにもう一度顔をそむける。
この距離感……みんな苦労してそうだな、周りの男性陣は。
ユーナさんは俺が起きたので満足し、衣類を羽織る。
「……あれ、そういえば……俺なんで横になって……?」
「倒れたのよ、君。手当するところまでは平気だったけど、疲労がたまっていたのね。血も失いすぎていたし。まあ、回復魔術を使うとよくあるのよ。体内の魔力や被術者の体力を使うものだから、一気に疲れたりしてね」
「そうですか……。どれくらい寝てました? 俺」
「二日」
「二日!?」
まじか、あれから二日……。王都に行って、そこで剣聖遭遇戦して……。
俺は思わず身震いする。我ながら、何て綱渡りをしたんだ。
思い出すだけで、何度も”殺された”嫌な記憶と痛み、不快感が思い出される。
あれはもう二度とごめんだ……。そもそも俺はスローライフがしたいんだ! 闇社会と騎士のいざこざに巻き込まれるつもりはない!
さっさと離れて、まっとうな異世界生活を楽しもう。
と不意に見下ろした掌に、俺のステータスが浮かび上がる。
そうだ、ステータスってのがあるんだった――
力:15
俊敏:20
魔力:8
技巧:30
生体魔法:【回帰】:72、【解析】、【異言語理解】
「!?」
なんだこれ……パラメータがアップしてる!?
これって固定値じゃなかったのか! しかも、倍どころの騒ぎじゃないぞ……。
特に技巧がすさまじいな、確か前が3だったから……27も上がったのか。
普通の戦いでここまで増える訳ないよな……? だとしたら、他の人はもっと高くないとおかしい。……もしかして、俺の経験値って、リトライしても引き継がれているのか?
本来なら死ねば無になるその経験値が、俺の場合はリトライがあるから蓄積し続けた……ってことか? しかも、格上の剣聖から得られる大量の経験値を。
いや、でも大抵これくらい上がるものなのかもしれないし……くそ、この世界の常識がよくわかんねえな。
「ユーナさん」
「どうしたの?」
「あの、ステータスってありますよね」
「ステータス? 何それ。神殿で見られる生得魔法の話?」
神殿で見られるのか本来は。
「いや、ほら、力がどれくらいとか、そういう……」
「? さあ。それは私知らないわね。何かの特技? ……そういえば、生得魔法で相手の能力を数値的に計測する魔法があった気がするけど、何だったかな」
ステータスの概念はないのか……。もしかして、一般的な知識じゃないのかこれ……。
ということは、この情報も俺のアドバンテージになりえるってことか。
事前に相手の脅威度がわかるのは大きい。
「そうですか……何でもないです、ありがとうございます」
とりあえず、ユーナさんの能力を見てみるか。
どれどれ……。
力:60
俊敏:75
魔力:30
技巧:80
生得魔法:【反撃】【帰還】
何も変わっていない……?
俺よりも多くの騎士を相手にしていたはずだから、感覚的にはもっと上がってるものかと思ったけど……。それとも雑魚相手だったから経験値に旨味がなかったか……。うーん、わからん。
だけど少なくとも、俺のステータスの上がり方は尋常じゃないはずだ。
つまり、【回帰】は単なる時間の巻き戻し……なかったことにするわけじゃないんだ。死の苦痛や恐怖だけじゃない……俺の身体が、必死で生きようと回避し、適応し、戦ったその『肉体の経験』そのものが、俺のこの身体に『経験値』として焼き付いている……。
圧倒的強者にリトライしまくって大量の経験値をもらうのはある意味チートじゃねえか……!?
だけど、その為に払うべき対価が自分自身の「死」だなんて、ちょっと高すぎるぜ……。簡単に、経験値稼ぐから死んで来るわ、なんて言えるわけがないことは、剣聖との戦いで嫌というほどこの心に刷り込まれた。
それでも、剣聖はおろかユーナさんとの間にはまだまだ大きな差がある。
あんだけ苦労してまだこれだけか……。
パラメータ1当たりの影響度もわからないことには、まだ数字に惑わされちゃだめだな。
「……なに? じろじろ見て」
「え、あ、いや! ボーっとして……」
「ふうん? まあ、とにかく起きてくれてよかったわ。これで、これからのことが話せる」
「これから?」
「えぇ」
そう言って、ユーナさんは改まってこちを見る。
その顔は、真剣だった。
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