劇が好き
気を失ったアンネワークを運んだのが、ウォルトルということで婚約破棄は現実味を帯びた。
心労による寝不足で倒れたと診断されたアンネワークは保健室で療養することになった。
付き添いにウォルトルとジャクリーヌが交代で当たり、明け方に近い時間だった。
ジャクリーヌが傍にいるときに入って来たのは、フーリオンだ。
挨拶をしようと立ち上がったジャクリーヌを視線で下がらせると、眠ったままのアンネワークの脇に立つ。
「・・・容体は?」
「心労によるものだろうとのことでした」
「そうか」
優しく何度も頭を撫でてからフーリオンは何も言わずに廊下に出た。
何も言わないフーリオンに焦れて、ジャクリーヌは追いかけた。
「お待ちください」
「何だ?」
「アンネワーク様に全てをお話しいただくことはできないのでしょうか? あの方とて貴族令嬢です。いくら芝居が苦手だとしても、きっと」
「その気持ちは分かる。何度、俺も伝えようかと迷ったからな」
「でしたら!」
「だが、もし相手に芝居だと、演技だと、ばれてしまったらどうする? おそらく次はないし、今も決定的な決め手に欠ける。思い通りに進んでいる。そう思わせるのが精一杯だ」
マリエルの行動の意図が読めない以上は、危険を冒すべきではない。
だが、日に日に落ち込んでいくアンネワークを見ていたくないというのも本音だった。
「苦労をかけるな。アンネを頼む」
「・・・かしこまりました」
何があってもアンネワークを支えると決めたジャクリーヌは黙って付き添いに戻った。
太陽があと少しで昇ってくると窓の外の明るさが教えてくれる頃にウォルトルが軽食を持って交代に来た。
扉が開く音でアンネワークは少しだけ目覚め、傍にいるジャクリーヌの手を握る。
「アンネワーク様」
「・・・すごくいい夢を見たの」
「どんな夢ですか?」
「ふー、がね。優しく頭を撫でてくれる夢」
「・・・それはっ、それは良かったですわね」
「うん」
大きく息を吐いてアンネワークは、また眠った。
夢だと思っているが実際に、フーリオンは訪れて頭を撫でて行った。
「・・・来たんだな」
「はい、ほんの数分でしたが」
「ダンスパーティには間に合うようにする」
「おそらくアンネワーク様のお心もそれくらいかと」
フーリオンはアンネワークを視界に入れないようにしながらマリエルのダンス練習に付き合った。
完全にマリエルはフーリオンだけを見ており、上手く真意を探るには、ちょうどいい親密さを保っていた。
「・・・奴さんが書いたノートによると、このダンスパーティで、悪役令嬢であるアンネワークが断罪されるという筋書きみたいだが」
「・・・やらんぞ」
「分かってるさ。婚約破棄を告げるというだけでも譲歩したと拍手喝采ものなのに、嘘で断罪しろなんて言えるわけないだろう」
流石に足を捻挫しているマリエルは壁際で椅子に座っている。
フーリオンとしては、ダンスを踊らなくて済んだことに安堵していた。
「それよりも、あの方が張り切ってたのが怖いんだけど」
「アンネのことになると持てる権力全てを使う人だからな」
「それ、お前が言っちゃう? 俺、これからの王家が少しだけ心配だわ」
どんなことがあっても黙って見ていろことと事前に王妃から釘を刺されている。
フーリオンが断罪しないなら穏やかにダンスパーティは終わるのではないかと楽観的に考えたときに、それは起きた。
思わず壇上に上がり止めようと動いたフーリオンの腕を持ち前の反射神経でウォルトルは掴んだ。
「まて」
「っ」
王妃からの通達を思い出したのだろう黙って見守ることに全力を注いだ。
まさか上位貴族のロチャードがアンネワークを断罪するとは思わなかった。
ロチャードの暴挙を止めない時点で、グリファンも同罪だろう。
「・・・ここにいろよ」
「ウォルトル?」
「王妃様から適当なところで乱入しろって言われてんだ」
「・・・そうか。わかった」
フーリオンが腕を組んで、その場を動かないという意思を表明したことを確認してからウォルトルは壇上に上がった。
不自然でないように言葉を選びながら舞台袖で待機している最も権力を持つ人を呼び寄せる。
その言葉がやや芝居がかったものになってしまったのは、ご愛敬だ。
それからは王妃の独壇場になり、王妃に逆らえる者などいないからダンスパーティは一応の終わりを見せた。
「フーリオン、王妃様から伝言だ」
「何と?」
「城にて決着をつける。至急戻れ、だと」
「わかった」
謁見の間に連れて来られたマリエルは、追及されるものの全て偶然だと白を切る。
だが、これは裁判を開いたという体裁のためのもので、ここでマリエルへの処罰が覆ることはない。
大事なのは、アンネワークへの婚約破棄がマリエルの尻尾を掴むため芝居だったと種明かしすることだ。
「・・・はぁ、終わった」
「何が終わった、ですか?」
「あなたがしっかりなさらないから、わたくしの可愛いアンが食事も喉に通らないほどに憔悴したのですよ」
「いや・・・」
「あんなにも短く髪を切られて可哀想に」
王は小一時間ほど責められてから解放された。
胃を押さえながら胃薬を飲んだ姿が目撃される。
まだ細かい後始末は残っているが、マリエルが引き起こしたことは概ね片付いた。
学院にもフーリオンとアンネワークの仲睦まじい様子が戻る。
「ふー!」
「アンネ、走ると転ぶぞ」
「だいじょっ」
「アンネ! ほら言わんこっちゃない」
転びかけたアンネワークを間一髪のところで抱き留める。
短くなったアンネワークの髪は、切られた髪を三つ編みでつなぎ合わせることで長く見せていた。
「明日からお休みよね?」
「そうだな」
「王様が用意してくれたお芝居、楽しみね」
この芝居を見るためだけの旅行が実現するためには、いくつかの難所があった。
フーリオンがすでにいくつかの外交を担っているということで長く留守にできないということだ。
最初は一週間だったのを一か月に延ばしたのは、アンネワークの一言だった。
休みが短いことに不満を言ったアンネワークに助言をしたのは、ニーリアンだった。
たった一言『おとうさま』と呼んでやれば良いという助言に従って、上目遣いというオプション付きで勝ち取った。
フーリオンの仕事は、王が寝る時間を削ってこなしていた。
「モルショーン!」
「ぶるる」
「明日からお芝居を見に行くのよ」
「ぶる」
「お土産買ってくるからね」
アンネワークが卒業すると同時に結婚式が行われ、外交という名目で各地を飛び回り芝居を見て回った。
芝居を見せれば有利に交渉が進むと勘違いする国もあったが、あの容姿に騙されるが、アンネワークは驚異の記憶力を持っている。
簡単に打ちのめされて、すごすごと引き下がるというのが、吟遊詩人の間で歌われるようになった。




