6、岩崎城攻め
享禄五(1532)年、織田弾正忠信秀は家臣らを率いて勝幡城を出陣した。その数およそ三千。そこに平手五郎左衛門ら千が加わり、清洲に着く頃には一万に膨れ上がっていた。清洲からは当主織田大和守達勝が出陣する。当年五十七歳の老将だが、守護代としての矜持は忘れない。
信秀が大広間に行くと大和守を始め重臣たちは席についていた。
「義父上、弾正忠信秀罷り越しましてございまする」
信秀が平伏する。痩せた白髪の男が頷いた。尾張守護代を二十年近く務める織田大和守である。兄の死後、尾張国を一手に切り盛りする斯波氏の重臣だ。
「よう来た。松平次郎三郎め、尾張まで手にしたいとは強欲な男よ! 此度は儂も出陣する! 岩崎城を落とすのだ!」
大和守は意気盛んだった。織田領の好景気は大和守の所領にも良い効果を齎した。清洲にも人が押し寄せ、賑わっている。
守護代と三奉行、力を合わせての軍事行動は始まった。
織田信秀は牧野池の北に布陣。織田大和守は城の北である竹山に布陣した。
本陣には平手五郎左衛門、佐久間左衛門尉ら重臣が詰める。信秀は腕組みすると、弟の与次郎信康が立ち上がった。
「兄上、こんな岩崎城から離れたところに陣を敷いて何とする!」
ずけずけと物申すこの弟を信秀は可愛がっていた。信秀の右腕と言っていい。
信秀は与次郎信康を一瞥する。
「与次郎の兄上、落ち着け。岩崎城は堅城。攻めても落ちまいて。それよりも城から打って出てくることに気を付けねば」
まだ十七歳の孫三郎信光が与次郎信康をたしなめる。孫三郎は信秀と与次郎信康にとっては弟だ。ただ武勇においても知略においてもその能力の高さは際立っていた。
「しかしな、孫三郎よ。これでは清州の連中に遅れを取るぞ」
与次郎信康が不安を口にすると孫三郎は首を振る。
「清州など、我らの商人のおこぼれをもらっているだけじゃ! 刀も槍も弓矢も新しいものを買った我らが上ぞ!」
「孫三郎の言う通りよ。千代丸のおかげで銭は余る程ある。ここは兵糧攻めといこう。じっくりと腰を据えるのだ」
信秀が口を開く。その顔には精気が漲り、目はぎらついていた。
一方、その頃、千代丸は屋敷の自分の部屋にいた。忍びの瀬田孫十郎が千代丸の手元の書状を見る。
「清水湊に船を通す。それからもっと東に向かう」
千代丸は口元に笑みを見せた。孫十郎が驚いたように立ち上がる。
「北条の湊も使う。面白いことになろうぞ。ククク」
孫十郎はじっと主君を見る。この童子を選んで良かった。やはりこの御方は麒麟児よ……。孫十郎は息を整えるとまた座り直すのだった。




