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織田信長の利口な兄(織田秀俊)に生まれ変わったので領地開発して天下統一を目指す  作者: 伊月空目


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26、那古野の今川一族

 ()古野(ごや)今川(いまがわ)()、史実では織田信長が治めていたとされる那古野城を信長以前に治めていたのは今川氏の一族である。現在の()古野(ごや)城主(じょうしゅ)はかつて足利義満が重用(ちょうよう)した今川(いまがわ)(りょう)(しゅん)の弟、今川(いまがわ)()衛門(えもん)(のすけ)仲秋(なかあき)の子孫とされる。


 通説では()古野(ごや)今川(いまがわ)()の当主は戦国期には幼君(ようくん)、今川竹王丸となっているが千代丸の前に姿を現した男はどう考えても三十を過ぎているガッチリした筋肉質な男だ。勇ましい口髭(くちひげ)()やした今川(いまがわ)(うじ)(とよ)は千代丸を前にして顔を(ほころ)ばせる。


「余が今川(いまがわ)()衛門(えもん)(のすけ)(うじ)(とよ)である。ふむ、見事な(つら)(がま)えよ。(ちこ)う」


 氏豊は野太い声を発すると千代丸に笑みを見せる。()古野(ごや)今川(いまがわ)()は守護代ではないが、()古野(ごや)周辺(しゅうへん)を支配していたとされる。


 決して公家かぶれの軟弱(なんじゃく)一族(いちぞく)ではない。大内義弘の反乱には呼応しようとした過去があるし、むしろ油断ならない野心家の一族だ。今川一族は尾張に()を張って、織田家や斯波家(しばけ)とは対抗する関係にある。


「はっ、お(はつ)にお目にかかりまする。織田千代丸、四歳になりまする。御昵懇(ごじっこん)の付き合いをお願いいたします」


 千代丸は笑みを見せる。氏豊はしげしげと千代丸を見る。


隼人(はやとの)(しょう)()(まの)(すけ)からはよくよく聞いておるわ。駿河(するが)の五郎殿もな、しきりに書状を送って来る。フハハ。どうだ、千代丸よ、余と組まぬか。知行を与えたい。()古野(ごや)城下(じょうか)に屋敷も作ろう」


「有り(がた)い申し出、この千代丸、()衛門(えもん)(のすけ)(さま)のような猛将に仕えることができ、恐悦(きょうえつ)至極(しごく)でございまする」


 千代丸は笑みを浮かべて答える。断ることはできない。攻め(ほろ)ぼされるだけだろう。今は雌伏(しふく)の時だ。水野攻めをする前に事を荒立ててはならない。今川氏豊、軍記モノにあるような間抜けな男ではない。調略に通じた武を(ほこ)る男だ。


「おお、引き受けてくれるか。ふむ。五郎殿に(ふみ)を書かねばの。()古野(ごや)出仕(しゅっし)せよ、千代丸。(だん)正忠(じょうのちゅう)と余、二人に仕えるのだ」


 千代丸は平伏(へいふく)する。この時代、複数の主君を持つことは不思議ではない。百姓と武士を兼任(けんにん)する者もいる。それくらい混沌(こんとん)とした時代なのだ。


(うまいこと()古野(ごや)今川(いまがわ)()(もぐ)り込めた。内側から奴らに調略を仕掛ける。勝つのは俺だ)


 千代丸はニコニコと笑いながら、腹の中では那古野今川氏への調略を考えていた。


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