25、那古野(なごや)からの使者
享禄五年一月下旬、千代丸は城下の仮屋敷に住むと大高城には入らなかった。大規模改築のため、入れないのだ。家臣たちも城下の屋敷に入っている。
多忙の千代丸だが、そんな千代丸を訪ねて来る者がいた。
「主は殊の外、千代丸様の戦働きを褒めております。まこと知謀の士であると」
那古野城の今川家臣、佐々(さっさ)隼人正盛政である。盛政は斯波家重臣の佐々家当主の甥にあたる人物で人当たりも良く、使者にはうってつけの人物であった。隼人正は笑みを浮かべ世辞のような美辞麗句を並べる。今川と言えば、幕府創業以来の功臣である。東海一の覇者として、足利尊氏や足利義満の強い信頼を受けた文武両道の家柄。那古野を中心に勢力を築く那古野今川家を千代丸は無視できない。
「お褒めに預かり、恐悦至極でございまする。此度は何用で?」
柔和な笑みを浮かべながら切り返す千代丸に隼人正は待ってましたとばかりに白い歯を見せる。
「弾正忠様に男子誕生真にめでたときことと思いまする。次丸様も健やかに育っているとのこと、喜ばしいですな」
次丸と言うのは、千代丸の弟で三男坊のことだ。信秀の寵愛を受けた花姫は懐妊し、男子を産み落とした。信長ではない二人の男子を産んだのだ。
「お祝いの言葉、有り難く受け止めまする」
千代丸は頭を下げる。そして隼人正を見る。この男の狙いが分らない。千代丸は笑みを浮かべながら思考を巡らせる。
「一度、那古野に参られませぬか。我が主は千代丸様にお会いしたいと仰せでして。いやはや、我ら家臣団も困り果てる程でございます」
千代丸は身を固くした。那古野今川家の当主は幼いが配下の武士たちは精強だ。暗殺の恐れもある。ただ、家格は相手が上だ。
「……願ってもない申し出、この千代丸、有り難く誘いに乗りまする」
千代丸の返事に隼人正はニヤリとする。断ることはできない。たとえ殺されても顔を出すしかない。
「では那古野城にてお待ちしておりまする」
そう言って佐々(さっさ)隼人正はニコニコ笑みを浮かべるのだった。
「危ないですぞ! 敵方の城に出向くなど」
梶原平九郎が言うと岡田助右衛門がうんうんと頷く。屋敷に押しかけた家臣たちは千代丸の那古野行きを諫めた。
「佐々(さっさ)隼人正、謀を好む油断ならぬ男でございまする。病と称し、行くのは辞めたほうがよろしい」
蜂屋兵庫が静かに語る。千代丸は首を振った。
「那古野今川とは手を結ぶ。そのためには拝謁せねばならぬ。今川の若君と知己になりたいしな」
「されど……」
今度は水野磯七が食い下がる。
「那古野今川が清洲方と結べば、何とする。俺は那古野に行くぞ。案ずるな。いざという時は逃げ帰って来るわ」
千代丸は笑う。目は笑っていない。那古野は要衝だ。今川から奪い取れば、領地は豊かになる。
(佐々(さっさ)隼人正たちを寝返らせると致すか。フフフ)
野心を隠しようのない千代丸は那古野城に行くことになる。それはすべて己の勢力拡大の為であった。




