第一話
「このままでは卒業式で婚約破棄をされてしまうわ」
目の前にいるリリアン・マレー侯爵家令嬢が溜息を吐く。
「えっ? マジですか」
私はチョコたっぷりのケーキをパクつきながら聞き返した。
私たちの会話を聞いていた、麗らかな日和の中で開かれたこの茶会のドンともいえるエミリー・ベイクウェル公爵夫人が顔をしかめる。
「嘘でしょう? あのガキンチョ。あなたに恥をかかせるつもりなの?」
ガキンチョ、とはこの国の第二王子のことである。不敬ではあるが、エミリー様は現国王妃の姉なのだ。怖いものなどありはしない。
「マジでなんなんですか? あの阿呆ボンめ……」
私がモグモグとケーキを頬張りながら毒づくと、目の前の二人は同時に噴き出す。
「アハハ、王子を阿呆ボンって」
「阿呆ボン……いい響きね」
阿呆ボンはアホのボンボンという意味の略称だ。ボンボンはお菓子の名称の方ではなく、甘ったれ坊主のこと。私の居た地方では、素行のよろしくない金持ちの子供によくあだ名として付けられていた。
続けてエミリー様が溜息を吐く。
「妹も次男が世間知らずで大変だ、ってこぼしていたけど、そこまで愚かだったとは」
さきほども触れたが、ここでエミリー様が言う妹は現王妃様。そして息子は王妃様が生んだ第二子であり、リリアン様の婚約者であるサレーゾ第二王子のことだ。
要するに、お馬鹿の第二王子が、我が派閥の長であるリリアン様を卒業式という公衆の面前で婚約破棄に及んで貶めるのでは、という話でなのである。
さて、
貴族らしからぬ、少々砕けた会話が続けられているのは、すべて私のせい。粗暴な私の口調がこの女子会の面々に移ってしまっているからである。
その経緯を少し。
私の親は商人であり、なにかの拍子に男爵位を頂戴し、私はいきなり貴族の娘となってしまった。
なので丁度、就学の年齢だった私は貴族の通う学校へと入学する羽目になったのだ。
平民がいきなり貴族の世界に放り込まれるという極めて特異な状況。当然、右も左も分からないし、どう振舞えばいいのかなど皆目見当もつかない。
平民の学校へ入ったのなら顔見知りもいたであろうが、貴族学校へ通う生徒は名前どころか誰一人として顔も知らない。なので私は貴族学校への入学をずいぶんと嫌がったのだが、端くれとはいえ親が貴族になった以上、拒めなかった。
洗礼は入学式で浴びることになった。
私以外のほとんどの生徒同士は幼いころからの貴族コミュニティに属しており、既に互いの名前を知っていて、初めまして、と言った人たちでさえ相手の名前を確実に覚えていた。
あとで知ったことだが、貴族にとって人の名前を覚える、というのは必須のことらしい。
貴族の世界では、現在話している人物が、どこの誰なのか、どの派閥に属しているのか、きちんと把握していないと自分の家が余計な派閥争いに巻き込まれることもあるために、立場の弱い貴族の子供ほど、相手の名前を必死に覚えるそうな。
そんなことなど露知らず、平民あがりの私はとにかく明るく振る舞えばいいだろう、とやらかした。
「やあやあ、諸君。これからよろしく、よろしく」
と、不特定多数に向って大声で挨拶したのだ。
帰ってきたのは、数々の蔑みと憐みのこもった冷たい目。
一瞬で失策を悟った。
そして、今後の学校生活が地獄になるであろうことも。
しかし、そこで誰かが爆笑する声が聞こえた。
「アハハハッ! あー、おっかしい」
そう言って弾けるような顔で笑った立派な身なりの御令嬢。その御令嬢は私に向ってお腹を抱えながら、涙を流して笑っていた。
「ねえ、あなた。校長先生みたいな挨拶をするのね。思わず笑ってしまったわ」
言いながらもしばらくヒーヒーと笑っていたが、笑いが収まると御令嬢は言った。
「私、リリアン・マレーって言うの。あなた、ジェミー・ホランド様ですよね。お友達になって下さらない?」
これがクソ雑魚新興男爵家の私と大派閥筆頭侯爵家の御令嬢、リリアン・マレー様との出会いである。
そこから私とリリアン様との付き合いが始まった。
リリアン様には入学式から既に取り巻きがおり、彼女たちはこんな猿同然の娘を派閥に入れるのか、と懐疑的であったが、リリアン様は不思議と私を大事にしてくれた。
それとなく貴族のルールを教えてくれ、教養や振る舞い、どこの誰がどの派閥で、どう関わればいいかをチキンと仕込んでくれた。
恩返しに私はリリアン様とその取り巻きを徹底的に楽しませることにした。
元々、平民出の私は学校では珍しい存在だ。貴族出の彼女たちが経験しようも無い話などワンサカある。それらを面白おかしく喋り、常に周りを笑わせた。
時にはリリアン様と派閥の方々と共に町娘に扮し、平民の街に繰り出して遊んだりもした。
平民街は商人の娘の私にとって庭も同然だし、親しい店を厳選すれば危険も無い。店主たちも、とっておきだぞ、と言って珍しい食べものや品物を出してくれた。
だからといって私が真にリリアン様の取り巻きになりえたかというと、そうではない。
政治や派閥争いに関する重要な集まりやお茶会に、私は一切、呼ばれなかった。これは信用の度合いがどうこうという話ではなく、私が派閥争いのターゲットとならないようにリリアン様が配慮してくれた結果だ。貴族になりたての弱小男爵家の私が派閥争いに巻き込まれても、脆弱過ぎて身の守りようもない。なので目を付けられることのないように、派閥の本筋とは微妙に外れた立場に置いてくれたのだ。
お陰で私は、リリアン様という強大な派閥に属しながらも、ただの取るに足らない道化、という非常に楽な位置付けでいられた。
リリアン様が友人になってくれていなければ私の学校生活は酷いものになっていただろう。彼女からすれば入学式で大失態を犯した珍獣を憐れんで、気まぐれに拾った感覚かも知れないが、私は感謝してもしきれないほどの恩を感じている。
なので私がボスと定めたリリアン様が、婚約者である馬鹿王子に貶められるのは我慢がならない。
卒業式という大勢の前で婚約破棄を宣言されれば、リリアン様に瑕疵が付くのは避けられない。いくらリリアン様に落ち度が無くても、婚約破棄という行為は、男から結婚を拒否された女、というレッテルが貼られてしまうものだ。
そんなことは耐えられない。
王族へと嫁ぐために血のにじむような努力をし、精進し続けてきたリリアン様には、絶対にあってはならないことなのだ。
だから、私は動くことにした。
リリアン様の経歴に、瑕一つ付けない為に。




