一%の綺麗事
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ワインレッドのレザーコートの胸の辺りから一直線に身体ごと深く斬られ、漆黒の鋭いヴラドの突きの一撃で、左肩の骨を砕きながら身を剣で刺されたカインは、力なく左手をだらりと垂らし、胸元とレザーコートの袖口からは血が王の間の床まで滴り落ちていた。
傷口から熱を持った痛みに襲われながらも、僅かに眉を痛みに顰めるだけでカインは、右手に持ったガラスの剣を片手で正眼に構えながら不敵に笑っている。
対するヴラドも、漆黒の胸の鎧――ブレストプレートごと斬られた上半身は、ブレストプレートの裂かれた溝と、プレートの下から血が流れ落ちているが、ヴァンパイの驚異的な再生能力で今もなお傷が塞がっていっている為、紅い目は鋭く細められているものの、平然とした顔で自身の剣の間合いの外にいるカインを睨みながら、漆黒の剣の柄をしっかりと両手で握り、剣を上段に構えていた。
「アンタにも貫くべき信念がある様に、俺にも譲れないモノと貫くべきモノがある」
手負いの狼の如く犬歯を剥き出していき、不敵な笑みに獰猛さを増させていくカイン。
「はん。それに、俺達みたいなのは何処までいっても所詮人殺しさ……手を血に染め様が、守りたいモノ、貫きたい信念がある。そうだろ? そこに綺麗事なんざ一%位しか存在してねぇさ。そんなことは、お前にもわかってることだろう?」
皮肉気にひと笑いするとカインの獰猛な笑みに、悪ガキの笑みが見え隠れした。
「それに隠しきれてないぜ? アンタの剣に生きる気質がよ。俺達みたいなのには酒と剣と血が躍る相手がいればいい……どこまでいっても俺達みたいなのはイカれてるのさ」
カインとヴラドの戦いの実力の差は経験だ。
実力はヴラド方が上なうえ、ダメージもカインの方が負っているのにも関わらず、銀髪越しに覗く紫苑色の瞳はギラつき、ギリギリの死線を楽しんでいる証拠に口角がつり上がり、不敵に笑っている。
このカインの不敵で悪ガキな笑みは、どんな状況でも完璧に崩れ去ることはなかった。
「確かに剣に生きるその気質は貴様も我も同様だ……貴様の言う通り我の手も血に塗れておる。英雄は堕ち、ただの人殺しとなった我が身……だが、それでも! 誰にも理解されなくとも! 貫かねばならぬことがある! 貴様が言う様に我にも守りたいモノがあるのだ! 故に我は力を欲する! その邪魔は誰にもさせぬ! そんな我等に綺麗事など一%も存在せぬわ!」
理想を掲げ、民衆や家臣、家族にさえ何を言われ様が、理解されなかろうが、自身が掲げる信念と理想を貫く為に力を欲するヴラドは、その邪魔をするカインに漆黒の刃を向ける。
「アンタはその一%まで堕としたんだな……俺にとっての一%の綺麗事は、闘いから帰るべき愛する女への想いだ」
カインが放った信念の言葉を皮切りに、大理石の冷たい床を蹴ったのは二人同時だった。
距離を潰し、互いに自身の剣の間合いに入った敵を斬ろうと幾重もの剣閃を走らせ、防ぎ、刃が交差し合う。
死の甲高い音が、何度も何度も響く王の間。
そんな中で、最初に相手を死へと導く刃を当てたのはヴラドだった。
神速の如き速さで、横一文字に放たれた漆黒の刃がカインの腹部を一閃する。
――ダメだ! カイン……逃げろ!
光が宿っていなかったマリアの碧い瞳が大きく揺れる。
マリアの想いも虚しく、カインの見事な腹筋はレザーコートごと横に深く斬られ、身体に太刀筋で出来た十字の傷口の横の一線から血飛沫が飛び、王の間を舞う赤を蝋燭の灯りが照らす。
――やめろ! ヴラド。やめてくれ! もうこれ以上アタシから大切な人を奪わないでくれ!
表情のないマリアの唇が、ヴラドに哀願する様な強い想いで傀儡の魔眼の術に反発して心の言葉通り動くが、声にまではならない。
腹筋を深めに斬り裂かれたカインは、床に足を踏ん張り倒れまいと必死に留まると、ガラスの剣の剣先を大理石の床に擦らせ、甲高い音を立てさせながら右斜め上へと斬り上げる。
――もういいカイン! アタシのことはもういいから! もう、見捨ててくれて構わないから……。
悲痛な祈りにも似たマリアの想いが溢れ、虚ろな蒼い瞳から涙が頬へと伝う。
だが、カインは止まらない。
執念にも似たその一撃は、ヴラドが剣で受け止めるよりも速く一閃され、ガラスの刃がヴラドの首の辺りから鼻を通り、顔の表面を右斜め下から左斜め上へと斬り裂く。
顔への斬撃、普通ならば怯むはずだ。
だがしかし、ヴラドは斬られた衝撃で行き先を彷徨ってしまった刃に再び意思を宿らせ、顔から血が流れ、片方だけ紅く染まった視界に入ったカインの太腿へと剣先の行方を定め、漆黒の剣の刃をカインの太腿へと深々と突き刺した。
「グッ!」
――やめろよ! やめてくれよ! もう嫌だ……もう嫌なんだよぉおおお!
太腿を深々と刺されたカインは一度低く呻き。
傷付いていくカインの姿をただ見ることしか許されないマリアは、涙を流しながら声を出そうと必死に唇を動かすが願い虚しく声は出てはくれなかった。
そんな二人にまるで追い打ちをかける様に、カインの太腿に深々と刺さった漆黒の刃をヴラドは一気に引き抜くと、カインはくぐもった呻き声を上げる。
「グァッ!」
「終わりだ小僧……なかなか楽しめたぞ?」
狂気の宿る笑みで勝利を確信したヴラドは、カインの身体の腹部にできた十字の太刀筋の傷口が交差する点へと剣先を定め、漆黒の剣で容赦なく突きを放った。
「やめろぉおおおおおおおお!」
瞬間、王の間に響いた絶叫はマリアのものだった。
腹部へと深々と突き刺さった漆黒の刃は、生々しく剣先が肉を裂く音を立てながら、カインの背中をワインレッドのレザーコートごと貫く。
「ほう? 我の傀儡の魔眼に抗い、一時的とは言え言葉を発することができたのか? それ程の悲しみ……これはさぞ花嫁の刻印が美味く熟したであろうな」
ニィーっと口角を上げ、口元に不気味な三日月の笑みを作ったヴラドは、後ろの玉座の横に立つマリアへと振り返り、歓喜と狂気を混ぜた表情を浮かべた。
「グハっ!」
内臓を損傷し、苦悶の声と共に吐血するカインの表情は、俯き、前髪が邪魔をしてマリアの虚ろな碧い瞳では捉えられない。
ヴラドはもうカインには興味がないとばかりに、カインの方は見ずに、虚ろだが悲しみと絶望に染まるマリアの方へと振り返ったまま、自身の漆黒の剣をカインの腹部から引き抜く。
剣を引き抜かれたカインの腹部からは、大量の血が王の間の床へと流れ落ちる。
「あ、主様?」
主の勝利を信じ、何もできない自分に歯嚙みしていたシャロンの目には、ヴラドの漆黒の剣にカインが腹を貫かれ倒れるまでの様が、スローモーションの様に映った。
腹部から剣を引き抜かれると、カインは王の間の大理石の床に脱力し、力なく膝を着くと、うつ伏せにバタリと倒れる。
するとカインの周りに、ゆっくりと血が広がっていった。
やがてその血は、王の間の中央に敷かれた重厚な赤い絨毯まで辿り着く。
「――う、嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ! あのいつも軽い調子で飄々と生きてやがる男が……あのカインが死ぬはずなんてあるわけねぇ!」
玉座の横に立つマリアは、虚ろな蒼い瞳から大量に涙を流し、呆然と壊れた人形の様に「嘘だ」と繰り返し、頑なに現実を受け入れようとはしない。
「――お妃様?」
口だけでもヴラドの強力な傀儡の魔眼の力をも跳ね返すマリアの悲しみの感情に、シャロンは自身の主が倒されたことで呆然としてしまっていたことから我に返ると、その失態を苦い顔で悔やみ、今は自身の主の大切な人であるマリアだけでも救出しようと玉座への転移を試みようとする。
が、シャロンの唇は動かなかった。
何故ならば、それを読んでいたヴラドと自身の目が合っていたからだ。
別にヴラドの傀儡の魔眼の術にかかっている訳ではない……ヴラドの歓喜と狂気が混じり、カインと戦ったことによって引き出された圧倒的なまでの覇気に気圧されて、単純に動けないのだ。
始祖ヴァンパイアの女王であるシャロンでさえも。
壮絶な歓喜と狂気に満ちた凶悪な笑みを浮かべるヴラドは、身体全体からカインと闘い勝利し、ヴァンパイアの花嫁をついに手に入れた喜びに打ち震え、昂った覇気を抑えることなく辺り構わずに発し、マリアの悲しみの想いをヴラドは嗤う。
「なぁ? そうだろ……カイン? わかってるぜ? いつもみたいにアタシをからかってんだろ? なぁ? 騙そうってんだろ? アタシが信じたら平然と立ち上がってきてアタシをまた、おちょくる気なんだろ? だ、騙されねぇからな!?」
いくらマリアが涙ながらに声をかけてもカインは起き上がらず、いつもの軽い調子の声も、不敵な笑みも見せず、カインはただ王の間の冷たい床に血を流して伏していた。
「ハハハ……なんでだよ? なんで立ち上がらねぇんだよ!? ……またなのか? ……またなのかよ? ……またアタシのせいで誰か死ぬのかよ……しかも、よりにもよってなんでそれがカインなんだよ!? なんでいつもこうなんだよ! おい精霊の神様よ? ……テメェがこれを仕組んでんのか? 決めてんのか? これがアタシに与えられた試練ってヤツなのかよ? ハハハハハハ……ふざけんなよ!? ふざけてんじゃねぇよ!? いいか? テメェには必ず鉛の弾をぶち込んでやる! 絶対にだ!」
カインへの想いが涙と共に流れていくマリアの慟哭が、廃城の王の間に虚しく響き渡る。
マリアの悲しみの言葉に返す者は誰もいないと思われた時。
「う、うるせぇよ……ガッ! 勝手に俺を……殺すなよ? マリア……グフッ」
王の間に血を流して倒れていたカインが、苦し気に時々大理石の床に赤黒い血を吐きながらも、必死に起き上がろうと両手を床に着け、顔を上げた。
その上げたカインの顔には、口から血が流れた跡と、いつもの不敵な笑みが浮かんでいた。
「カ、カイン!?」
「主様!」
「ば、馬鹿な! 貴様、な、何故生きている? あれは人間にとって致命傷だったはずだ……」
震えながらもゆっくりと、冷たく硬い大理石の床から立ち上がろうと、両手と両膝を床に着いた姿勢から右足を立てると、ガラスの剣を床に突き刺して、もたれかかる。
そして立ち上がる為に、ヴラドの漆黒の剣で太腿を貫かれ、血が流れ出る方の足を痛みに眉を顰めながらも踏ん張り床を踏む。
その瞬間、大量の血が噴き出し、雷鳴の様な激しい痛みが太腿を襲うが、カインはその痛みを無視し、とうとう王の間に再び立ち上がった。
「さぁ、第二ラウンドといこうぜ? ヴラド=ツェペシュ」
身体中斬られた傷だらけで、血を流しながらもガラスの剣の刃を肩に乗せ、一本だけ立てた人差し指をクイクイと二度手前に引き、不敵な笑みでヴラドを挑発するカインは、マリアが願ったいつものカインの姿だった。
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