表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/20

第9話


今回も結構長い文体が続きます


ゆっくりとお読みになってください



孝介は東京メトロ銀座線ではなく、山手線を利用して上野駅へと向かった


理由は大したことではない。山手線の方が使いなれているためである


七時二十分発の電車に乗った孝介は約三十分をかけて、JR上野駅についた。時刻は七時五十一分。ちょうど良い時間だろうと孝介は思っていた


上野駅を出てすぐ目の前に、上野恩賜公園うえのおんしこうえんがあってそこで待ち合わせている


上野恩賜公園は通称上野公園とも呼ばれているのは有名なとこであろう。また別名で“上野の森”とも言われたりする


他にも武蔵野台地むさしのだいち末端の舌状台地“上野台”に位置することから、“上野の山”とも呼ばれる


総面積約五十三万平方メートルとかなり広く、東京都建設局の管轄地になっている


上野恩賜公園内には博物館又は美術館、文化施設が多く点在している。そのため学生の東京見学ではほとんどの場合でこの上野に立ち寄る。上野恩賜公園の左方に“上野の森美術館”がある。右方の方からは並んで文化会館、向かいには西洋博物館がある。いずれも孝介は入ったことはないが、ルーブルやゴッホなどと言った世界、いや歴史上のその名を刻んだ芸術家の展覧会がそこで行われる


さらにその先を進んで右の通りに行けば、“国立科学博物館”がある。千九百四十九年に設置されて以来、六十年経った今でもその存在感は大きい


シロナガスクジラの等身大の模型は圧倒的なのはご存知だろうか


国立科学博物館の近くに、“恩賜上野動物園”がある


通称“上野動物園”は数々の希少種を始め、約五百種類の動物を飼育している。上野恩賜公園の最大の利用目的となる動物園である


上野動物園は何が有名かと言えば、千九三十六年に実際に起きた黒ヒョウ脱走事件がある。排水溝に隠れていたところを捕獲され、無事に収まったが、この事件は阿部定事件、二・二六事件と合わせて、“昭和十一年の三大事件”と称されるようになったのはあまりにも有名な話である


もう一つ言うとしたら、日本初のジャイアントパンダの導入だろうか。ジャイアントパンダのリンリンが二千八年に、慢性心不全で永眠したことは多くの人を悲しませた




ここまで上野駅周辺について説明をして来たが、理解して頂けただろうか


話を戻すとしよう


孝介は駅前の公園の木の下のベンチに腰掛けている一人の中年男に近づいた


黄土色のジャケットをきて、一見刑事のようにも見える。元犯罪課の警部を勤めていた叔父からしたらそう見られるのも当たり前だそうだ


その格好も当時の叔父のシンボルのようなものだった


“最も警部らしい警部”


叔父は周りの人からそう言われていた


もちろん格好や仕草など、顔も含めてのことである


叔父、音無拓郎おとなしたくろうは孝介に気がつくと小さく笑って立ち上がった


拓郎は今は亡き父の兄だ。朗らかな、温厚な性格をしているため、警部だったころから周りの人間に慕われていた


孝介が本格的に仕事を探さなければならないと、孝介が入院しているときにお見舞いに来てくれたときに知った。そんな彼は面倒見のいい性格もしているため、現在営む探偵の事務所の調査員としてやらないかと誘ってくれた


ほとんど拓郎の助手として孝介は働いている。主な仕事が、今日のように拓郎の下について同行し、その一部始終を全て報告書に書き込む


字が人並み以上に綺麗なため、拓郎に抜擢されたのだ




拓郎は孝介に近寄った


「おう。やっと来たか」


孝介はそう言われて腕もとの時計に目をやる


「……八時十分前……叔父さんが早いんだよ」


「バカ。無理を通して会いに行くんだ。こっちが遅刻したら失礼だろ」


その通りである


が、拓郎の経験に寄れば相手は必ず時間通りには来ないという


もちろんそれは今回のように相手に無理を通して会合を約束した場合に限る


最後の最後まで直前まで迷うのだという。依頼者に対して罪悪感を感じるのが、対象者にとって一番苦痛だという



孝介と拓郎は駅前のカフェに出向いた


そこに入ると、上品なコーヒー豆の香りが漂う。仕込みをしている最中の髭の生やした拓郎より年上らしき男が二人の姿を見ると微笑んできた。「いらっしゃい」と声をかけてくる


おそらくそれはこの店のマスターだろう。孝介は店内を見渡した……が、やはり対象者の姿はない


中年の女性が二人、若い女性が一人だった。対象者は若い男性と聞いている


拓郎もそれがわかっていた。男に人と待ち合わせていることを告げた。やけに親しげに話すな、と孝介は思っていた。それから窓側の前から三番目の席に座った


「何か飲むか?」


「これも経費?」


「馬鹿。自己負担だ」


孝介と拓郎はホットのブレンドコーヒーを注文した。それから店内を再び見渡して見る。中々洒落た店である


「いい店だろ?」


拓郎が孝介にそう言ってきた


「俺が刑事時代によく来てた店だ」


「どうりで……」


やけに店のマスターと親しげに話すなと孝介は納得していた





拓郎が警部という仕事を辞退したのには、妻を亡くしたという理由があった


今から五年前、孝介の叔母に当たる、和子が病気のためにこの世を去った。あまりにも唐突な急死だった。自宅で突然倒れているのを、隣人が回覧板を渡しに来たときに発見したらしい。死因は脳卒中だった


最愛の妻を亡くした拓郎のショックは大きかった。その数年前も、弟である孝介の父までもを失っていたのだ


しばらく精神状態がまともではなく、一人で閉じこもる生活が続いた。酒に溺れ、毎日のように死を嘆く。それがどんなに無駄なことなのか、当人が一番分かっていた


当時警部だった拓郎は職を辞退し、それからしばらくして和子の保険金もあったため、ずっと使われてなかった元建設業事務所を借りて、今の探偵業を営み始めた


“音無探偵社”の看板を上げたのは、今から二年前である


拓郎が何故、探偵業を始めたのかは理由がある。その本質が拓郎の定めている事務所のルールである


受ける依頼は……探し物だけである。


探偵と言えば他にも色々あるだろう。人探しや物探し以外に、離婚調査、ある人物の身辺調査など……だが、拓郎はそのような依頼は断り続けている


離婚調査や身辺調査のような、ドロドロと濁った世界には足を踏み入れたくない。それが彼が探偵をしていく上での決まり事だという


拓郎は世間の温もりを欲している。連続に続いた悲劇の冷たさを、世間の温もりで暖めて行きたいのだ


人探しや物探しだけを受け入れるとはそう意味である


突然行方不明になった人、物。それを心から心配し、依頼者として事務所を尋ねてくる。その仕事に関わっていくと、人の心の暖かさ、絆、思い出、優しさに触れることが出来る


だから彼の“音無探偵事務局”は、もう一方の呼び名で“探し物探偵”と呼ばれる


“最も警部らしい警部”だった人間が生き方を変えて“探し物探偵”として生きている


孝介が拓郎の助手を引き受けたのも、実はそういうとこに理由があったのかもしれない


夢に破れ、ミュージシャンとして生きる道はもう絶たれた孝介にはこの先どうして生きようかが分からないでいた


拓郎のように生き方を変えて今を生きようとする人間の心の強さを見たい


もちろん、この先ずっと叔父の下で世話になるわけには行かず、いつかは独立し、孝介も社会の歯車の一部として働かなければならないのだ


そのためにはまず何をすべきか、叔父の下につき先ほど述べたようなものを見習うべきだと考えた。孝介の性格というより性質、考慮深さがよく出ている



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ