第九十六訓 お酒は大人になってからにしましょう
ミクたち三人が俺のアパートに泊まりに来てから、もう三週間が経った。
その間、俺は、ミクから彼氏が出来たと報告を受けて以来の忙しさとは打って変わった、比較的平穏な日々を過ごせていた。
……いや、とはいっても、別の意味で修羅場だったけど。
何故なら、学期末の試験に追われていたからだ。
大学の期末試験は、普通の筆記試験もあれば、小論文形式もあり、中にはレポート提出のみもありと、講義によって様々だった。
まだ二年生の前期ということもあって、学生の中にはほとんど講義を取っていない者もいたが、俺は講義をみっちりと入れてしまっていた。
そのせいで、受けなきゃいけない試験や出さなきゃいけないレポートが重なり、しばらくの間勉強漬けの日々を過ごす事になってしまったのだ。
……もっとも、それは大学一年生のミクや高校二年生の立花さんも同じだったようで、俺が試験勉強でヒーコラ悲鳴を上げている間も、ふたりからのメッセージはほとんど届かなかった。
俺は、そんな状況に少しだけ寂しさを覚えながら、図書館で適当に見繕ってきた文献の内容をもっともらしい熟語で飾り立てながら何倍にも嵩増しして、レポート提出で定められた既定の文字数ノルマをクリアする不毛な作業に没頭するのだった――。
◆ ◆ ◆ ◆
ようやく長い試験期間が終わった。
その日の夕方、俺は久しぶりにアルバイトをする為、勤務先のビックリカメラに行った。
品出し担当の俺が居なくて手が回っていなかったのか、売り場はかなり乱れていた。その為、久しぶりのアルバイトは、ひたすら品出しに費やされる事になってしまった。
バックヤードに山と積まれた商品を売り場の棚に並べる作業を続け、ようやく売り場の見映えが良くなったあたりで、店内のスピーカーから閉店の音楽が流れてきた。
その物悲しい音色を聴きながら、来た時よりは幾分とスッキリしたバックヤードの光景を見回していた俺の背中に、明るい声がかけられる。
「いやー、今日ホンゴーちゃんが出てくれて助かったよ~。」
「あ……お疲れ様っす、四十万さん」
声に気付いて、俺は振り返りながら挨拶した。
その声に軽く手を挙げながら応えた四十万さんは、空になった段ボールを畳みながら、しみじみと言う。
「ホンゴーちゃんが居ない間、品出しが全然間に合ってなくってさぁ」
「あぁ……でしょうねぇ」
俺は、バックヤードの業務用エレベーター前に置かれた籠車に積まれている、畳まれた段ボールとオリコンの山を一瞥しながら頷いた。
と、俺は訝しげに眉を顰めながら尋ねる。
「……っていうか、今年は葛城さんも居るじゃないっすか。俺の代わりに品出しとかしてもらわなかったんすか?」
“葛城さん”とは、今年入社して、三週間くらい前にOAコーナーに配属された男性社員である。
今年大学を卒業したばかりだから、二十二か三くらいか。
そうなると、俺より二・三歳ほど年上のはずなのだが、顔立ちがどことなく幼いせいで、下手をすると高校生に見える。
そのせいで、レジバイトの女の子やオバ……社歴の長い女性社員たちから随分と人気がある……らしい。知らんけど。
……え? 同じコーナーのメンバーなのに関心が薄くないかだって?
いやぁ……そう言われても、葛城さんが配属されたのはたった三週間前だった上、シフトの関係もあって、俺は葛城さんとほとんど顔を合わせていないのだ。
そんな縁の薄い相手に関心を持てるほど、俺は人間が好きではない。
……コミュ障とも言うが。
そんな俺のモノローグを知る由もない四十万さんは、俺の何気ない問いかけに、何故か困ったような表情を浮かべた。
「う~ん……それがさぁ」
「……なんかあったんすか?」
俺は、珍しく歯切れの悪い四十万さんの反応が気になり、思わず訊き返す。
すると、彼女は苦笑を浮かべながら、首を横に振った。
「まあ、大した事じゃないんだけどね。……売り場じゃちょっと言いづらいな」
「あ……別に言いづらいなら、言わなくて大丈夫っすよ」
俺はそう伝えたが、四十万さんは何だかウズウズしている。……本当は話したくて仕方ない様子だ。
と、
「あ、そうだ!」
四十万さんは、名案を思い付いたというように顔を輝かせると、俺に向かって言った。
「来週、私が早番の日があるからさ! 一緒に飲みに行こうよ!」
「へっ?」
四十万さんに誘われた俺は、ビックリして目を丸くする。
そんな俺の様子にも気付かず、四十万さんは愉しげに言葉を継いだ。
「南口の方に、美味しい焼き鳥屋さんがあるの! 地酒とかも結構たくさん揃えてあって、飲み比べとかもできるんだよ! そうねぇ、残業しても八時前には上がれるから――」
「い、いや、それはマズいですって!」
俺は、勝手に話を進めようとする四十万さんを慌てて制止する。
その声を聞いた四十万さんは、ハッとした表情を浮かべた。
「……あ! ひょっとして、魅力的な年上のお姉さんな私と飲みに行ったことがバレたら、彼女さんに誤解されたり嫉妬されちゃうのがマズいとか……?」
「……カノジョ? ナニソレオイシイノ?」
「あぁ……そっか。ごめん」
“彼女”という禁句を聞いた途端に表情を消した俺を見た四十万さんが、色々と察して謝ってきた。
……いや、そうあっさりと謝られるのも、それはそれで傷つくんですが……。
と、
「……っていうかさ」
そう呟きながら、四十万さんが訝しげに首を傾げた。
「じゃあ、何がマズいの? ノーカノなら、私と飲みに行っても別に問題無いでしょ」
「いや……何すか、“ノーカノ”って。変な造語を作らないで下さいよ」
俺は辟易としながら、言葉を継ぐ。
「彼女の有無とか関係無くて……未成年者を飲みに誘っちゃマズいっしょ」
「え? あれ、そうだっけ?」
俺の答えを聞いた四十万さんが、驚いた顔をする。
「ホンゴーちゃんって、まだ成人になってなかったんだっけ? マジで?」
「……一応、まだギリギリ十九歳っすよ」
「あちゃー、そうだったんだぁ。そりゃ、確かにマズいわぁ」
四十万さんはそう嘆くと、残念そうに肩を落とした。
一方、コミュ障な俺は、“未成年者”という至極合法的な理由で四十万さんからの面倒そうな誘いを断る事が出来て、心の中で秘かにホッとするのだった。
……まあ、二十歳の誕生日まで、あと三日なんだけどね。




