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第九十四訓 料理をするときは火加減に注意しましょう

 それからほどなくして、朝食の準備が整い、俺たちは夕食の時と同じようにテーブルについた。

 リビングに置かれたローテーブルの真ん中には、ミクがトースターで焼いたクロワッサンがほかほかと湯気を上げながら、大きな皿に盛られている。

 ほどよく焦げ目が付いたクロワッサンが放つ甘い香りが、食欲をそそる……はずだったのだが、各々の前に置かれた小皿に盛りつけられた謎の物体Xの放つ、禍々しいオーラと焦げ臭い香りのマイナス効果によって、かなり相殺されてしまっていた。


 「……で」


 俺は、頬をひくつかせながら目の前の皿を指さし、その上に乗った“焦げ付いた物体X”の生成者におそるおそる訊ねる。


「一応聞くけど……これ、何?」

「……スクランブルエッグ」


 俺の質問に、バツの悪い顔で、しぶしぶ答える立花さん。

 彼女は、俺の事を恨めしげに睨みながら、口を尖らせる。


「……見れば分かるでしょ?」

「いや……ま、まあ、そうだね、うん」


 逆ギレ気味の彼女の言葉に対して、反射的に「見ても分からないから訊いたんだよ」と口を滑らしかけた俺だったが、慌てて当たり障りのない答えに軌道修正した。

 そんな俺に、ミクが気まずそうな顔で言う。


「途中まではうまくいってたんだけど……ごめんなさい。私がちゃんと見てあげてなかったから」

「い、いやいや! ミクは全然悪くないっしょ!」

「そ、そうですよ! ミクさんのせいなんかじゃないです!」


 謝るミクに、俺と立花さんは慌てて言った。

 と、


「はぁ……」


 立花さんが、自分の前の皿に盛られた“かわいそうなたまご(スクランブルエッグ)”に目を落とし、肩を落としながら首を傾げる。


「昨日のハンバーグといい、コレといい……なんでいっつも失敗しちゃうんだろ?」

「うーん……多分、ちょっと火力が強すぎるんじゃないかな?」


 彼女のぼやきに苦笑しながら答えたのは、藤岡だった。

 だが、立花さんは納得できない様子で眉を顰める。


「え~? 別にそんな事無いと思うけどなぁ」

「そんな事あるから、スクランブルエッグがこんな惨状になってるんだと思うんですけどねぇ」

「……」

「……あ、スンマセン」


 立花さんに軽い気持ちでツッコミを挟んだら、無言で睨みつけられ、俺は慌てて頭を下げた。

 そして、いそいそと両手を合わせ、ぺこりと頭を下げる。


「い、いただきまーす」


 そう言ってから、俺はおずおずと目の前の皿に箸を伸ばした。

 そして、スクランブルエッグを一切れ切り分け、食欲とは関係ない理由で口の中に湧いた唾を飲み込むと、おずおずと口の中に放り込む。

 口の中いっぱいに焦げ臭い匂いが広がり、同時にジャリジャリと音を立てる独特の歯ごたえを感じた……いや、スクランブルエッグだよね、コレ? もっとこう……フワフワしてるんじゃなかったっけか?

 ……ただ、焦げていない部分は、些か固めではあるものの、ちゃんとスクランブルエッグの味がした。玉子の甘味とバターの風味がちょうどいい感じだ。

 うん。昨日のハンバーグに比べれば、ちゃんと名前と同じ味になっているだけ全然マシだ。

 そこのところは、ちゃんと立花さんに伝えた方がいいな……。


「う……うん。火加減はともかく、味は悪くないよ。ちゃんとスクランブルエッグになってる」

「……そりゃそうだよ」


 だが、立花さんは、俺の精一杯の賛辞を聞いても浮かない顔のままだった。

 彼女は、クロワッサンを千切りながら口を尖らせる。


「だって……味付けをしてくれたの、ミクさんだもん」

「あ……そうなんだ……」


 フォローするつもりが完全に裏目に出てしまった俺は、気まずさを感じつつ、スクランブルエッグをもう一口頬張った。……うん、香ばしい。

 一方の立花さんは、ますます自信を無くした様子だ。クロワッサンをもしゃもしゃ食べながら、大きく肩を落としている。

 その時、見かねた藤岡が、しょげている立花さんに声をかけた。


「まあまあ、まだ経験が足りないと、失敗する事もあるよ。だから、どんどん練習して、経験を積んでいけばいいんじゃないかな?」

「うん、そうですね」


 藤岡の言葉に、ミクも同意し、立花さんを力づける。


「ルリちゃん、お家でたくさん練習すれば、絶対に上手くなるよ。頑張って!」

「練習……?」


 ミクの激励に、立花さんは大きく目を見開くと、何やら考え込み――「そうだ!」と小さく叫びながらやにわに目を輝かせた。

 そして、何故か俺の方に顔を向ける。


「――ねえ、ソータ! ひとつお願いがあるんだけど!」

「え?」


 立花さんの口から出た『お願い』という言葉に、俺は無性に悪い予感を覚えた。

 警戒を露わにする俺に、立花さんはとんでもない事を要求する。


「あのさ……これから、ソータの都合のいい時に、料理の練習をしに来てもいいかな?」

「は?」


 立花さんの申し出の意味が良く分からず、俺は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして訊き返した。


「れ、練習をしに来る……って、どこに?」

「どこって、もちろん、ここにだよ!」

「ここ……って、ひょっとして……俺の部屋(ここ)の事か?」

「そうだよ。他にどこがあるのさ?」

「い、いや、何でやねんっ!」


 シレッとした顔で頷いた立花さんに、俺は思わずエセ関西弁でツッコんだ。


「べ、別に、料理の練習ならココじゃなくても出来るじゃん! たとえば……君ん家とかさ!」

「ダメだよ。家だと、ママがうるさいんだもん」

「じゃ、じゃあ……藤岡さん家とか!」

「……!」


 俺の言葉を聞いた瞬間、藤岡が顔を引き攣らせたのが分かった。

 まあ、彼の焦燥も良く分かる。

 立花さんが自分の家で料理の練習をするという事は、必然的に彼女がイチから作った料理の試食をさせられるという事だ。

 一回ならまだしも、何回も昨日のハンバーグレベルの暗黒物質(ダークマター)を食わせられたら、腹を壊すどころではない惨事となる可能性を否定できない。

 だから……すまない、藤岡。

 ここはひとつ、俺の胃腸の為の犠牲(ひとばしら)になってくれ!


「ほら、いいじゃん! 立花さんと藤岡さんは幼馴染なんだから、会ってからまだ間もない俺なんかよりも、ずっと気心が知れてるから、やりやすいっしょ!」


 俺は明るい声を出しながら、さりげなく立花さんにアイコンタクトを送る。

 そう、この話は、彼女にとっても『自然な形で想い人の部屋に入り浸れる』という大きなメリットがある。俺が逆の立場だったら、一にも二にも飛びつく内容だ。

 それに、長い時間を共に過ごせば、一度はミクの方に向いていた藤岡の気持ちが立花さんの方に向かうかもしれないし……。

 もし本当にそうなれば、俺にも空いたミクの隣に座るチャンスが巡ってくる……!

 うん、咄嗟に口にした割には、俺と立花さんにとってメリットしかない妙案だ。

 そう考えた俺は、当然のように彼女が首を縦に振るだろうと確信していた。

 ――だが、


「ううん! それはヤだ!」


 立花さんは、俺の想定とは真逆に、激しく首を左右に振った。

 それを見た俺は、呆気に取られながら訊き返す。


「えっ? な、何で? 何で嫌なの?」

「だって……ホダカには、ちゃんとした――あたしが自信を持って出せる料理しか食べさせたくないんだもん。昨日のソータみたいに、変なものを食べさせちゃって具合が悪くなったら大変だし……」

「い、いや……それだとまるで、俺なら変なモン食わせても構わないって感じに聞こえるんですけど……」

「別にそういう訳じゃないけど……。でも、結局大丈夫だったじゃん、昨日」

「……」


 ケロッとした顔で答える立花さんを前に、俺は思わず言葉を失うのだった。

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