第九十二訓 未成年にエッチな場面を見せてはいけません
「ちょ! そ、それはマズいって!」
俺が漏らした呟きを聞いた途端、立花さんが上ずった声で小さく叫び、鍵を持った俺の手をむんずと掴む。
「は、早く開けて! すぐ入って、ふたりの事を止めなきゃ――!」
「ま、待てって! ストップストップッ!」
立花さんが、鬼のような形相で持っていた鍵を奪い取ろうと伸ばしてきた手を紙一重で躱しながら、俺は彼女の事を必死で制止した。
そして、彼女の両肩を掴んで、噛んで含めるように言う。
「まず、俺が先に部屋に入るから。君は、俺が合図をしてから部屋に入って。いいね?」
「なんでッ? あたしも一緒に行く……いや、むしろ、あたしが先に行く!」
「いやいや、だからそれはダメだって!」
鼻息と声を荒げる立花さんを、俺は必死で宥める。
そして、背中越しにドアを指さして、押し殺した声で続けた。
「……万が一、ふたりがそういう事をしてたら、君の目には触れさせられない」
「はぁ? なんで?」
「だって、君はまだ十七歳でしょ? そういうのは見ちゃダメ」
不満そうな立花さんにそう答えた俺は、彼女が言い返してくる前に、「それに……」と言葉を継ぐ。
「好きだった幼馴染が、別の人とそういう事をしているところなんて、君も見たくないだろ?」
「う……」
俺の言葉に、立花さんが言葉を詰まらせ、悔しそうな顔で口をへの字に曲げる。
……と、「……でもさ」と言葉を継いだ。
「それを言ったら、アンタも同じじゃないの?」
「そ……そりゃ、もちろんそうさ」
立花さんの問いかけに、俺は一拍だけ遅れて頷く。一瞬、ミクとホダカのア~ンなシーンを思い浮かべてたじろいだからだ。
でも、すぐに首を左右に振った。
「でも……俺は男だし、一応成人だからさ。少なくとも、まだ未成年の君よりは耐性があると思うよ」
「あぁ……色んなモノで、そういう場面を見慣れてるって事かぁ」
「い……いや、別にそういう意味では……」
「ひょっとして……好きなジャンルだったりするの? ええと……えぬ……ねぬてぃー……」
立花さんはそう反芻しながら、頭の中にぼんやり浮かんだアルファベットを思い出そうとする。
「え、えぬてぃー……そう、NTD!」
「ニュータイプデスト〇イヤー? 節子、それ、ユニコーンガ〇ダムや」
彼女の口からでた珍回答に、俺は思わず吹き出しながら答えた。
「NT-DじゃなくてNTRな。ネトラレってやつ」
「そう、それ。――良く知ってんじゃん。さすが、ガッツリスケベ」
「う……。つ、つうか、それを言ったらお互い様でしょうが。このムッツリスケベ!」
「うっ……」
自分の言葉に対する思わぬ反撃に、立花さんは返す言葉が無いようだった。
……と、更なる言葉の代わりに、背中に膝蹴りが飛んできた。
「も、もう! そんな事はいいから、早く部屋の中を確認しようよ!」
「ら……了解っす」
俺は、衝撃を受けた背中をさすりながら頷き、再び耳を扉に圧しつける。
暫くの間、息を殺して耳に神経を集中させていたが……扉の向こうからは何も聞こえてこなかった。
「……静かだ。多分、そういう事はしてな……んがぐぐ!」
突然背中と頭に荷重がかかり、俺の言葉は途中で途切れた。
体をドアに圧しつけられた格好の俺は、自分に覆いかぶさるように身を伸ばしてきた立花さんに苦情の声を上げる。
「ちょ……ちょっと、何やってんの? お、重い……」
「誰の事が重いってっ?」
「む、むぎゅう……」
俺の文句に、憮然とした声が返ってくると同時に、更に体に感じる重みが増した。
立花さんが、自分の耳を無理やりドアに圧しつけようとして、俺の背中に体を預けてきたからだ。
そのせいで、俺の頭は、鉄製のドアと彼女の体にサンドイッチされる形になる。
俺は、挟まれた頭蓋骨と不自然な角度に曲がって荷重がかかった首の骨が嫌な軋みを上げるのを感じて、苦しげな呻き声を――
「く……ぐるじ……ん?」
――上げかけたところで、はたと気付いた。
確かに顔の右側――ドアに押し付けられている方は、痛くて冷たくて錆臭い。
……でも、顔の左側は、妙に心地よい感触で温かくて……それに、何だかいい匂いがした。
「……あ」
そして、俺は気付く。
今、俺の顔面の半分を圧し潰しているのが、立花さんの――お、おっぱ……胸だという事に!
「ちょ……ちょちょちょちょっ! た、立花さん……そ、その……あ、あたたたたたたたたた――!」
「……」
狼狽のあまり、『当たってますよ』がケンシ〇ウの北斗〇裂拳みたいになる俺の声にも気付かないくらいに集中して、立花さんはドアに当てた耳を澄ましている。
少しの間、そのままの体勢で耳を欹てていた立花さんだったが、
「……何も聞こえないよ」
と呟くと、俺の背中からどいた。それと同時に、俺の顔面も鉄扉とおっぱいの剛柔サンドイッチから解放される。
俺は、安堵しつつ――少しだけ名残を惜しみながら、家の鍵を握り直した。
そして、心臓がバクバクと激しい音を立てているのを立花さんに気取られないよう平静を装いながら、潜めた声で彼女に言う。
「じゃ、じゃあ……先に俺が入るから、君はここで待ってて。いいね」
「はぁ? あたしも一緒に入るって!」
「確かにそれらしき声とか音は聴こえなかったっていっても、本当に大丈夫かどうかは分からないでしょ? トラウマになっちゃっても知らないよ?」
「…………分かった」
俺の説得に、立花さんは不承不承といった様子で頷いた。
彼女が頷いたのを見た俺は、小さく頷き返すと、ゆっくりと鍵を鍵穴に挿し込んで、音が鳴らないように気を付けて回した。
カチンと控えめな解錠音を立てた扉のノブを握り、ゆっくりと捻りながら恐る恐る開ける。
そして、俺は背後に立つ立花さんにアイコンタクトをしてから、僅かに開いた扉の隙間に滑り込んだ。
「……」
外では既に日が昇っているとはいえ、元々日当たりが悪い上、ぴっちりと遮光カーテンで窓を覆った部屋の中は暗かった。
俺は暗がりに目を見張って、恐る恐る部屋の中を確認する。
……幸いにも、部屋の中で何やら怪しげな影がくんずほぐれつ蠢いていたりしている様子は無かった。
俺は玄関で静かに靴を脱ぐと、抜き足差し足で部屋の奥へと進む。
そして、
「……ふぅ」
キッチンの下収納にもたれかかる、部屋を出る前と変わらず、タオルケットを体にかけた状態で熟睡している藤岡の姿を見つけて、思わず安堵の息を吐いた。
次いで、目をリビングの方に向けると、こんもりと盛り上がったベッドの掛け布団が微かに上下しているのを確認する。……ミクも、ぐっすり眠っているようだ。
……どうやら、俺の心配は杞憂だったらしい。
俺はもう一度大きく息を吐いて体の緊張を解くと、玄関のドアの向こうに隠れて、某家政婦のようにこっそり覗き見している立花さんを手招きした。
「クリア」
「……了解」
俺の合図を見て、心底安心した表情を浮かべながら、立花さんが部屋の中に入る。
そして、呑気な寝息を立てている藤岡の寝顔を見て、相好を崩した。
「何も無かったみたいだね。……良かったぁ」
彼女はそう呟くと、口を手で押さえて大きなあくびをした。
「ふわぁあぁぁ……。安心したら、眠くなっちゃった」
立花さんはそう呟くと、リビングに敷いたままの仮寝床に飛び込むようにして横たわる。
そして、掛け布団代わりのタオルケットを体にかけながら、俺に言った。
「じゃあ、もうひと眠りするね。ソータも寝るでしょ?」
「あ……うん。そうするよ」
彼女の問いかけに、俺は小さく頷く。
それを見た立花さんは、ニコリと微笑んでから「おやすみ」と俺に言うと、一度はタオルケットを頭から被った。
だが、すぐに顔を出すと、横になったまま俺の顔を見上げると、おずおずと口を開く。
「そうだ、ひとつ言い忘れてた」
「……何を?」
訝しげに訊き返した俺に、立花さんははにかみ笑いを浮かべて言った。
「あのさ……コンビニまで付き合ってくれてありがとうね。何だか、とっても楽しかったよ!」
「お……お、おお……うん」
「……それだけ! じゃ、今度こそおやすみ!」
唐突な感謝に戸惑う俺にそう言うと、立花さんは再びタオルケットを頭から被り、俺に背を向ける。
「お……おやすみ……」
一方の俺は、虚を衝かれまくって目をパチクリさせながら、そう返すのがやっとだった。
そのまま数分ほどポカンとしていた俺だったが、このまま突っ立ち続けていてもしょうがないと、みんなと同じように眠る事にする。
と言っても、俺が使っていたタオルケットは、今は藤岡が使ってしまっているが、さすがに熟睡している人間からタオルケットを引っぺがすのは良心が咎めた。
しょうがないので、何もかけずに冷たい床の上に寝転がる事にする。
「まあ……もう夏だし、風邪を引く事はないだろ……」
そう自分に言い聞かせ、頭の下に腕を敷いて横になった俺は、静かに目を閉じた。
……でも、さっき立花さんの胸が当たっていた左頬の辺りが、妙に火照っているのが気になって、なかなか眠れなかった。




